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ぱりっと、星になるレシピ
いつもより少し早く帰れた金曜日、会社帰りの道は茜色に染まっていた。肌寒い風が頬をかすめ、そろそろマフラーを重ねるべきかと思う。
夕暮れ時の商店街、看板の明かりが一つ、また一つと灯りはじめる頃。
いつもと違う路地に迷い込んでしまった私。
月初めの忙しさと締め切りに追われ、ここ数日ろくに睡眠もとれていない。疲れた足を引きずりながら歩いていると、古びた暖簾がかかった小さなおせんべい屋さんが目に留まった。
店先には「本日のおすすめ:ぱりっと」という手書きの看板。少し剥げかかった木の看板には、何かの粉が振りかかったような跡。あたたかな色をした明かりが店内から漏れ出して、疲れた心を不思議と惹きつける。
なんだか気になって中に入ると、かすかに炭の焼ける香りがして、懐かしい気持ちになった。棚の上に整然と並んだガラスのボトルの中には、丸や四角、扇形のおせんべいが詰められて、並ぶ。
奥から白髪のおばあさんが、すっと現れるように出てきて、優しく微笑んでくれた。
「あら、お疲れ様。よく頑張ったわねぇ」
その声に、今週溜め込んでいた疲れが一気に込み上げてきそうになる。
おばあさんは何も言わず、ゆっくりと奥へ戻っていった。しばらくして戻ってきた手には、真っ白いせんべいを和紙で挟んだもの。
「この白は月の光よ。ぱりっと元気の戻るおまじない入り。特別なレシピなの」
そっと差し出されたせんべいは、ほのかに光っているような、あたたかな白。
「このせんべいを食べると、今週の疲れがぱりっとはがれて星になっていくの。
会社のこと、人間関係のこと、いろんな思いを抱えて生きているでしょう?
でも、その疲れが、あのきれいなお星さまになるなら、それもまた素敵なことじゃない?」
おばあさんの言葉に、なぜか涙が出そうになった。
半信半疑でかじったせんべいは、ぱりっと薄く、口元でくだける。
塩加減が絶妙で、不思議な甘みが後から広がる。
その軽さを感じていると、不思議と心が軽くなっていった。
肩の力が抜けて、頭の中のもやもやが晴れていく感覚。
最後の一口を食べ終わった時、店内の灯りがふわっと明るくなり、気がつくと私は自分の家の前に立っていた。手には、せんべいをはさんでいたクリーム色の和紙。
その裏には丁寧な文字で「また頑張りすぎたときは、来てね」と書かれていた。インクが少し滲んでいるような、星の形のしるしも添えられている。
それからというもの、夕暮れの商店街を通るときには、あのせんべい屋さんを探す。けれど、あの路地がどこにあったのか、思い出せない。
(あのおばあさんは、今日も、誰かにあのせんべいを渡しているんだろうか)
疲れた顔をした会社員が路地へ向かう後ろ姿を見るたびに、あのおばあさんの笑顔を思い出す。
今日も残業の帰り道。落ち葉を踏む足元で、ぱりっと音が鳴った。
ふと見上げた空には、いつもより星が多く見える気がした。
おせんべいを食べた日の、温かな思いがよみがえる。
あのおばあさんは、きっと今も誰かの疲れを星に変えているのだろう。
そして私の疲れも、今頃はどこかの星になって、誰かを見守っているのかもしれない。
#月白堂 #やさしい怪談 #夕暮れ時の不思議 #商店街の記憶
#疲れた金曜日 #おまじない #星空の約束 #お疲れさま
2月は「逃げる」と言われるくらいの忙しさ。
睡眠不足になりがちで、妄想のはかどる時期でした。
特に、早めに帰れた日は、現実の世界にいるのか妄想の世界なのか。
ふわふわした足取りで家に帰ったものです。
そんなとき、誰かに「お疲れ様」と言われたら、わたしは泣いてしまったことでしょう。
そんなことをおせんべい屋さんの店先で思い出し、このはなしとなりました。
月白堂