昨日は秋分の日でしたね。 陽から陰へ。季節の変わり目。 空気の変化を感じます。 みなさん、体調はいかがですか? 私はすこし具合が悪くなって半日寝込んでおりました。 そこで今日は 心と体のことを話しましょう。 私たちは 物質的なこの身体があって生きています。 心臓が動き血が巡り脳が機能し 心臓が止まることで身体は 死へと導かれます。 そして 身体と同じく心もまた 私たちにはなくてはならないものですね。 心は目には見えない。臓器として存在しません。 でも、誰しもがあることを
今、これを書ける私は生きています。 生きているから書ける現実があり 生あれば死があります。 先にお空へ還った友人がいます。 自ら選んだ死でした。 いつかは誰もが迎える死 死、自体に善も悪もありませんが 生きていて縁ある人間からすると 死は永遠の別れであり いろんな感情を引き起こします。 「ほんとうにたいせつなものは目に見えない」 とは サン=テグジュペリ『星の王子様』の言葉ですが 死によって 物理的に切り離された人と人は 確かに別れを経験します。 生あるわたしたちは
あなたには 心を許して他愛のないことでもなんでも 話せる相手はいますか? 私は昨晩、母と作業をしながら なんてことない日々あったことの話をしていたのですが、そんな時間は久しぶりでした。 同じ屋根の下で暮らしている家族ですら それぞれの時間軸で行動し 案外話す時間はなかったりするものです。 でも 時間というのは 自ら「つくる」と決めなければつくれないものです。 仕事や、学校や地域など所属するものの行事など 一度契約したらもうほぼ決まったように「そうするもの」という時間はまた
昨晩、オルゴールの曲を聴きながら 寝る前の時間を過ごしていました。 オルゴールはα波というリラックスできる波長が出るそうですね。 ピアノ、ヴァイオリン、シロフォン… トランペット、フルート、クラリネット… 世の中にはいろんな楽器がありますよね。 奏で方も打ったり吹いたり弾いたり、様々です。 同様に、その音のカタチも様々です。 音は耳で感じる振動です。 人間の鼓膜が受け取る振動の波の大小、細かさで 私たちは音を感じることができます。 目には見えません。 しかし、私は個人的
昨晩は十五夜。 お月見はされましたか? 私が住むところでは、空は晴れ渡り とても綺麗に光り輝く月が見えました。 地球に生きる私たちにとって あたりまえにあるもの 太陽が朝を照らし、沈んで夜になること そして月がいつもどこかから見えること お月様の姿は とても身近ですよね。 満ち欠けの周期は引力の変化をうみ 人の身体にも影響を与えます。 今はどうかわからないですが ひと昔前は農作業も月の巡りを見て されていたそうです。 月の満ち欠けのひと周期は29.5日 日本では旧暦がそ
日中はまだ暑い日がありますが 朝晩の空気がひんやりしてきました。 みなさんの暮らす地域では いかがですか? すこしひんやりした空気に 秋の虫の鳴く声 季節は進んでいるんだなと 感じる今朝です。 そんな中 力強く鳴く蝉の鳴き声がひとつ。 残暑。真夏には大合唱だったのに。 そうだな、夏の終わり、か と感じました。 蝉の成虫はひと夏の命 鳴き切ったらポトリと木から落ちて 転がっている小さな身体を見かけますね。 実は幼虫として土の中で生きている期間は数年あり 長生きな虫ですが
秋の三連休、第一段ですね。 みなさま、いかがお過ごしですか? 私はこどもが好きなキャラクターの映画を見に行き 楽しい時間を過ごしてきました。 貴重な休みに娯楽を。 そう思い浮かんだ時に、 ふと 本当にそうだろうか?と考えました。 そもそも 娯楽とはなんだろうか? なぜ休みだからそうするのか? 休みにしかそれはできないものなのか? 自分の頭に無意識に浮かぶ言葉には 自分が潜在的に持つ固定観念が含まれています。 観念はおおよそ幼い頃から 育ってきた環境や関わってきた人たちと
あなたはいま なにかやってみたいことはありますか? 厳密に言うと トライしてみたいけど なんらかの理由で していない、できていないこと。 理由は人それぞれあるかと思います。 ひとつ 感じてみてほしいことを書きますね。 それは 「道をつくる」のはあなた だということ。 道とは 物理的な道でもあり 精神的な道でもあります。 たとえば 今みなさんが当たり前のように歩いたり 車で走る道も かつて誰かがここにあると便利だ ここに道があれば助かると思った1人がいて 草を掻き分け
おはようございます。 みなさんは 「ありがとう」という言葉は よく言いますか? あまり言いませんか? 私が思うに 「ありがとう」という感謝の言葉は どんな時でも 光をもたらす言葉や姿勢ではないでしょうか。 たとえば 自分が何かをしたいと思って 誰かが力を貸してくれた時 自然と感謝の気持ちが湧き 「ありがとう」といいますよね。 では たとえばこんな時はどうでしょう。 あなたはかんかん照りの中 外を歩いています。 天気予報は晴れだったのに 急に通り雨が降ってきました。
みなさんは 「モチモチの木」という絵本を ご存知ですか? 私と同世代なら(笑) 小学校の教科書で読んで知っている という方も多いのではないでしょうか。 滝平次郎さんの切り絵が印象的な絵で パッと見では こわい、と思ったという記憶の方も 多いと言われる絵本です。 確かに、表紙もちょっと暗め おじいさんとこどもの表情も 子ども向けの絵本によくある にこにこしたものではありません。 ストーリーは ジサマと5歳の豆太の2人暮らし 豆太はこわがりで夜にはひとりでトイレにも行けな
自分でなにかを始めたら 終わりを決めるのは自分ですよね。 もしくは何かの都合で 終わりを余儀なくされるか。 自発的にすることは 想像しやすいですが これは人の命も同じですよね。 すこしちがうのは 自分で始めたわけじゃない、くらい。 (厳密には、いのちも自分の魂が この世に生まれることを選んでいますが) 生あれば死あり 命は与えられたもののように享受できますが 死もまた 与えられるものであることを 私たちは知っている けれど忘れて生きることができる それは いつも死とい
私には就学前のこどもがいます。 こどもはいろんなことを教えてくれます。 赤ちゃんから、1人で歩くまでもずっと見てきていますが 先日、一緒に階段を降りていました。 手すりがあり 1人で降りようとするので 少し後ろから見守ることにしました。 片足をおろして、もう片足を同じ段に下ろす。 一段、一段、両足が揃ってから もう一段先へ。ゆっくり確実に降りていきます。 これはまぁこどもがしてる分には よく見かける姿かと思います。 そんなペースに合わせて こどもを追い越さないように
「どうかご自愛ください」 体調が良くない人に向けて そう声をかけますよね。 自分を大切に 自分の健康を最優先に考えて そんな意味合いで使われると思いますが 「自らを愛する」 ということは 当たり前に大切ではないか と思うと同時に 日本に育った私たちにはなんとなく 大っぴらにそれが大事と言えない感覚もあるのではないでしょうか? それは「自愛」と言う言葉を検索すると 「自分の利益を大事にすること。利己」 という説明がででくるあたりにつながる気がします。 自分のことだけ大切
笑えない時でも あえて笑顔を作ると 幸せになる それは科学的にも根拠があることだそうです。 口角を上げるだけで 自律神経を安定させる上で欠かせない 「セロトニン」や 気分を引き上げる 「βエンドルフィン」が 分泌されます。 楽しいから笑う ではなく 「笑うから楽しくなる」 受け身ではなく自発的に 自分のよい状態はつくれるのですね。 検索すると 「笑顔療法」というものもあるようです。 ここ数年の流行病の影響で マスクをして生活することが 当たり前のような期間が長くあり
日本の四季は ありがたいですね。 一日一日、決して同じ日は来ないのに 巡ってゆくものを感じられるのは 季節の違いがあるからではないでしょうか。 まだまだ残暑は感じますが 秋の気配も感じるこの頃です。 そんな中、百日紅がとても美しく めにとまるなぁと思ったので そのお話を。 百日紅 ヒャクジツコウ と漢字では読めますが サルスベリ の方がよく聞きますね。 実際にミソハギ科サルスベリ属の樹木です。 夏から秋にかけて 各地で花を咲かせます。 サルスベリという名前は 幹肌が
一日一話の部屋の主 haruです。 noteをはじめて4日目ですが ここであらためまして自己紹介をしたいと思います。 なぜこんなタイミングでわざわざ 自分のことを綴ろうと思ったかと言うと まずは自分のことより 伝えるべきことを伝え始めよう!という気持ちに 火がついた時に木を焚べないと(そのための場所を作らないと) 火はあっという間に弱くなるからです。 それじゃ信念がないじゃないか とも思えますが 人間揺らぎがある、ということも 受け入れつつ 燃える火(想い)を適切に自分