やりたいことや、大切なことが分からなくなったら。
4月に入ってから2度も風邪で寝込んでしまった。
どちらも38度越えの熱が何日間も続き、身体中が痛くて眠れず、かなりしんどかった。
今回痛感したのが、健康な心身があってこそ、「海外移住」だの「長年の夢」だの「やりたいこと」だの、アレコレできるのだということ。
書いてしまうとなんとも当たり前なことだけれど、人間というのは時に愚かなもので、生きる上で本当に大切なものを、失わないと気付かなかったりする。(しかし、できれば失う前に気付きたいものである)
そんなことを考えていた昨日、カリブ海にいるイギリス人の親友から久々に連絡が来た。
「ハロー!今オランダにいる?」
そんな軽いノリだったので、同じようなノリで
「いるよ〜!最近、毎日暖かくて、チューリップが綺麗だよ〜」
と、呑気な返事をした。
しかし、その次のメッセージを読み、部屋で一人、声をあげてしまった。
「チューリップ、いいね!僕は今イギリスに戻ってきてるんだ。ガンが見つかってね。治療を受けるために。でも、すべては大丈夫だと思う」
彼とはもう、10年以上の付き合いになる。
出会ってから今まで、お互いの恋愛相談から人生相談まで、あらゆることを語り合い、励まし合ってきた。
実は、私が今回オランダの部屋をスムーズに見つけられたのは、彼のおかげだった。ビザを申請するための書類も、彼が私の英語をネイティブ・チェックしてくれた。私がオランダで無事ビザを取得できたのは、彼の助力があったからと言っても、大袈裟ではない。
彼は間違いなく、私にとって大親友の一人である。
その彼にガンが見つかったなんて。
このニュースは、最近アレコレと悩むことの多かった私の目を覚まさせた。
一般的に、死は縁起が悪いとか、忌み嫌うべきもの、という感覚がある。死について考えたり語ることは、「縁起でもない」と言われることもある。
しかし私は、死は忌み嫌うものではないし、むしろ、死について考えることは、生きる上で非常に重要だと考えている。
なぜなら、死は生の延長線上にあるものであり、自然の摂理の一つだから。
死というのは、卵から芋虫が孵ったり、芋虫からサナギになったり、サナギから蝶になるのと同じ、生き物の変化の一つの形なのだと思う。ただ、それが「最後の変化の形」だから、感情的には、寂しいとか悲しいと感じる。
それは当然の感情だと思うし、私にももちろん、そのような感情はある。
しかし、だからと言って、死をタブー視したり、目を背けるのは違うと感じる。
いつか自分は必ず死ぬということ。
しかも、それはいつだか分からないということ。
確かに分かっていることは、今日が終わるたびに、「この世界で過ごせる砂時計の砂」が、1つづつ、減っているということ。(そしてもう二度と戻らないということ!)
そのことを頭の理解ではなく、腹の底でリアルに感じるとき、「自分は残りの時間をどう使いたいのか?」「自分にとって、本当に大切なものは何か?」がクリアに見えてくる。
私が昨年の9月に突然オランダに移住したのも、実は死について思いを巡らせたのが理由の一つだ。
たまたま書店で『一度しかない人生を「どう生きるか」がわかる100年カレンダー』という本を見つけた。そして、アマゾンで別途購入した「自分の生まれた年から100年分が一覧できるカレンダー」を使って、書籍に書かれていたワークに真剣に取り組んだのだ。
1枚の模造紙大のカレンダーの中に、自分が死ぬ日がある(可能性が高い)ということを目の当たりにするインパクトは、かなり大きかった。
さらに、生きていても、心身ともに健康で、エネルギッシュに活動できる年齢を考えると、自分にあとどれだけの時間が残されているか。なんと少ない時間しかないのだろう?
そのことを文字通り「目の当たり」にした時、私の中で何かのスイッチが入ったのだ。「後悔しないように生きなくては」と。
しかし。
話は冒頭に戻る。人間とは、なんと愚かなのだろう。
喉元過ぎると、自分の命が有限であること、そして、日々刻々と、「この世界で元気に活動できる砂時計の砂」が減っていっていることを、すっかり忘れてしまう。そして、「本当に大切なこと」が見えなくなり、「実はそんなに大切じゃないこと」を、さも大切なことであるかのように感じ、 “大切な生命の砂”を使っていたりする。
最近の私の悩みも、根本の原因は、「自分にとって大切なものが分からなくなっていた」ことだった。
「幸せな人生」の定義は人それぞれだと思う。私にとっては、「自分にとって本当に大切なものを、ちゃんと大切にして生きること」。
言葉にするとシンプルだけど、実行するのは結構難しい。なぜなら、
「自分にとって本当に大切なもの」
「大切なものを、いつもちゃんと自覚して、大切にすること」
これらを、しばしば忘れてしまうのだ。
だからこそ、自戒の意味を込めて今回の投稿を書いた。
自分にとって大切なことが何か、分からなくなってしまったら。
満たされているはずなのに、何かモヤモヤすることがあったら。
そんな時は、死を想えばいい。
この世界で過ごせる残り時間がそんなに多くはないことをリアルに想像する時。
1日、1日と死に近づいていることを考える時。
自分にとって何が本当に大切か、明確に分かるから。
メメントモリ。
大切なものを、ちゃんと大切にして、生きるために。
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