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〒3 エッセイ・オン・エッセイ

 エッセイを書くのは楽しいけど苦手なんだ。自分らしく書こうと思えば思うほど筆が止まるし、ようやく書き上げたと思ったらそれは物語みたくなってしまう。こんな風に。

 僕はコーヒーの入ったペーパーカップを持って堤通を歩いていた。目的は無かったが、コーヒーをすっかり飲んでしまうまで歩いていようと考えていた。あとは僕が見たものを記すばかりとなる。
クリニック、十字路、マンション、マンション、十字路、大通り、唐揚げ屋、唐揚げを四つ買った、小学生の二人組、コンビニ、歩道橋、ロイヤルホスト、歩道橋、小学校、青にならない信号機
 ペーパーカップは空になった。

 これは僕の話だけど、叙情的でもなく暗示的でもない宙吊りの文章になってしまった。これに僕は肉付けをしてエッセイにしようと試みる。

 今日は朝からウォーキングをしました。近所のコーヒーショップが開店すると同時にテイクアウトの注文をし、コーヒーを片手に北仙台のあたりまで歩いて行きました。とてもいい天気で、半袖がちょうど良い気温でした。歩いていると美味しそうな唐揚げ屋さんを見つけたのでついつい唐揚げを四つ買っちゃいました。(ちなみにその場で一つ食べておいしいと言ったら、店主さんがもう一つおまけをくれました。)
 堤通雨宮町に着きました。夏休みの子どもたちが、おそらく小学生くらいの二人組が大通りで走りまわっていました。僕も十年前はあんなに元気だったな。僕は毎週末、隣町まで自転車を漕いでいくような少年でした。もう少し歩くと小学校に到着しました。ここで僕は横断歩道を渡ろうとしたのですが、信号機がいつまでも青にならないので困ってしまいました。半分くらい残っていたコーヒーをすべて飲み切っても、信号は赤のままでした。
 
 文章に感情を込めてみたんだけど、問題はこのお話に面白みがないことだ。読者を引きつけるようなフックがないということは──── 本質的ではないことを承知しているが─文学的な価値がないということだ。これは日記で、推敲前の原稿用紙で、路上の落書きで、空のペーパーカップだ。僕はこのお話にどうにか価値を持たせたいと思って苦心する。

 僕はコーヒーを飲んだ。

 そうだ。僕が書くべきなのはこの一文だ。これが僕の言いたかったことなんだ。あとは蛇足にすぎない。ただ、僕はこうも書いてみたい。

 信号機はいつまでも青にならなかった。

 僕はこの二つのモチーフをもとに何かを書こうと思い立ったのだ。しかしこの二つの文章に直接的な繋がりはなく、間接的な示唆もない。そのため僕はこの二つの間に飛石をいくらか設置する羽目になって、それがエッセイを退屈にする。かといって他に書き足す事柄は無い。これで完成だとはっきりと言うことができる。

 僕はコーヒーを飲んだ。信号機はいつまでも青にならなかった。

 素晴らしいエッセイとなった。これらはある出来事をもとにして書かれているが、ひとつとして同じ文は無く、異なった印象を与えるだろう。これは鉢に生けられた花を様々な角度で眺めるのに似ている。重要なのは花と、視点だ。

 あなたはコーヒーを飲む。信号機はいつまでも青にならない。


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