26mm

途中でおわる映画
途中で破れた本
途中までしか塗られない絵

きっと世界の大半は
それをガラクタと呼ぶだろう。

その他の少しの人は
"不思議なもの"として手に取るだろう。

そして世界で何人か、
その続きを想い描くのだろう。

「何もかもが途中で終わる」

私は心のどこかで
そんなことを思ってしまう人間です。

はじめから期待しない
それを期待していて、
はじめから妥協しない
それを妥協しています。

「楽しかった思い出を好きなように書いてみてください」

そんなありきたりな宿題が
とても重く感じました。

だって私の記憶は途中までしかないのだから。

楽しかった思い出が普通にあって
いま想像した言葉で好きなように書ける
普通の子供、友達が
なんだかとても気持ちが悪く見えました。

素直って気持ち悪い
ありのままの人間て、気味が悪い

歳を重ねるにつれて
そのときの反動のように
私は好き勝手に生きました。

やっぱり、
そんな自分を許せるはずがなく
結末をみるのをやめました。

せっかく1時間52分みた映画の結末が
ハッピーエンドでなかったが故に
傷ついてしまうのなら
1時間で消してしまえばいいじゃないか。

音も映像も消えたあと、
その続きを想像しよう。

おわりのない世界が1秒でもあるように。

26mmで暖めた砂浜色の髪をゆらして
1日の途中まで、私は私を生きている。

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