研ぎ澄まされる6等星/最果タヒ展
渋谷パルコで開催されていた「最果タヒ展」へ行った。
詩の展示を見るのははじめてだったし、最果タヒという名前も知らなかった (名前からしてぶっとんでいる)。
渋谷で用事があり、暇つぶしのつもりで足を運んだ。
私は詩について何かを知ってるわけではないし、とくに興味もない。
だけど彼女の言葉がどれくらい研ぎ澄まされたものであるかはわかった。
われわれは
この距離を
守るべく生まれた、
夜のために在る
6等星なのです。
研ぎ澄まされた言葉だけの空間に身を浸していると、何か自分までもが研ぎ澄まされた存在であるかのような錯覚におちいる。
漫然と日常をおくるだけでは絶対に触れられない、まして生み出せもしない言葉。
言葉になるための言葉、というか。言葉を構築するための何か、というか。
そういうものと対峙する魂の静謐さが、展示スペースには満ちていた。
私と同じように、詩なんかわからない、というひとも多いだろう。
でもわかる・わからないという二次論は思考停止のもとだと気づいた (私は思考停止が何よりもおそろしい)。
わかったつもりになるくらいなら、わからないままぐるぐると考え続けたほうがいい。
残念ながら東京の展示は終了したけれど、名古屋と大阪はこれから巡回される。
お近くの方がいらしたら、ぜひ足を運んでいただきたいと思う。
詩と、それ以外とを分けるものって何だろう。
詩って、言葉そのものだと思っていたけど、言葉にたいする姿勢なのかもしれない。敬意とか、畏怖とか。