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【#4 質疑応答】イギル・ボラ×温又柔「私の言語を探して」 この旅はつづく

きらめく拍手の音 手で話す人々とともに生きる』の刊行を記念したトークイベントの模様をお伝えしていきます。

前回までの記事はこちら→【対話#1】【対話#2】【対話#3
イギル・ボラさんと温又柔さん、おふたりの対話後、参加者の皆様からのご質問にお答えいただきました。

■Q1:「コロナ禍でマスク着用が必須となりました。意思の疎通にどのような影響を受けていますか?」

イギル・ボラ:今日このトーク会場には、手話通訳の方が来てくださっていて、みなさんは画面越しに手話をご覧になっていると思うのですが、彼らは今日、顔が見えるように普通のマスクではなく、透明のフェイスシールドを使っていますね。
韓国でコロナの感染が広がり始めたとき、韓国の手話通訳の方は最初からマスクを付けずに通訳をしていました。ろう者たちは、マスクを付けてしまうと顔の表情が見えなくて、コミュニケーションに支障が出るんです。このコロナ禍では、やはりそれが一番大きな問題ですね。
みなさん、それぞれとても苦労が多いと思うんですが、ろう者たちの受けた影響は非常に大きいというのも確かです。
例えば、病院に行ったら、感染対策でまず隔離されますよね。その中で、医師や看護師の診察を受けるわけなんですが、そこでの意思疎通も非常に難しくなっています。通訳者が普段よりもそこに入りにくいからなんです。そういう問題も多々抱えています。

この状況は、私にとってもやはり同じことが言えると思います。今、私の目の前には何人か観客の方もいらっしゃるんですが、みなさんマスクを着用されているので、なかなか表情が見えないんですね。なので、お話しながら「ちょっとこれはあまりにも深刻すぎるのかな?」とか「このお話、みなさん面白く思ってくださっているのかな?」っていうことを考えています。

■Q2:「私は手話と音声言語のあわいにいます。たまに思考が手話寄りになるときがあり、そのまま音声言語に変換してしまい、相手がひるんでしまうような強さを含んだ言葉を選択してしまうことがあります。その逆もしかりで、手話にするには抽象的すぎて伝わっていないと後から後悔が押し寄せてくるときがあります。お二人はどうやって自分の言葉を獲得したんでしょうか? また、その瞬間があったのかお聞きしたいです」

イギル・ボラ:私は基本的に二つの言語を使っているので、二つの言語を比べたときの面白さがあります。例えば、私は音声言語でふだん話をしているんですが、「あっ!この表現は手話で表現したら最高だ」って思うときがあるんですね。「ああ、これは手話で話した方が早く伝わるし、手話の方が効果的だ」と。この言語はこんな風に通訳したら面白いし、違ったニュアンスで伝わるだろう、というふうに二つの言語を比べられるところは、私にとっては有効で、いいことのように思います。

例えば、私の両親は手話を使っているんですが、その手話を基盤として韓国語を習ったわけなんですね。で、習った韓国語を今度は文字で書く場合にすごく面白い文章を書くことがあるんです。それは、たとえると外国の人が日本語を勉強して文章を書くときに、やはり後から習った日本語ですから文章がちょっとぎこちないときがありますよね? でもそれがむしろ卓越した文章になったり、とても面白い文章になったりすることもあると思います。だからそれは決して「間違い」とは言えないし、むしろ、日本語という言葉の異なる面を見せてくれると思います。

温又柔:まさに、ボラさんのおっしゃるとおりだと思います。 やっぱり、たった一つの言語の中だけで生きていると、思考ってすぐにその形に固まってしまうと私は思うんです。手話と音声言語もそうですが、音声言語同士でも、たとえば、日本語しか知らない状態で生きていると、日本語で表せる世界だけが世界全体の形なのだと思い込んでしまうことが結構あります。

これは私自身の経験なのですが、私は子どもの頃、学校に行くと国語の時間に日本語を勉強するんですね。子どもだったので、学校に通い出すと私の日本語はみるみる上達しました。するとだんだん、学校で教わった日本語こそが正しい日本語というのか、言葉であるような錯覚を抱くようになるんです。ボラさんが、外国の人が勉強してつかう日本語はぎこちないけど、日本人がつかう日本語とは違う面を見せてくれて面白いとおっしゃってくださってすごくうれしくなったんですけど、私の両親がまさにそういう日本語をずっと話してたんです。彼らは、中国語とか台湾語という別の言語を引きずりながらしゃべってたので。でも、子どもの頃の私は、学校で覚えた日本語が正しいと信じ込んでいたので、そういう自分の親が話す日本語をすごく変に思ってたんですね。
具体例を出すと、「薬を飲む」っていうのを中国語では直訳すると「薬を食べる」って言うんです。で、それを私の母親は、私が風邪を引くと「薬を食べなさい」って。そういうときに私はすごく怒るんです。「薬は食べるものじゃない、ママ。薬は飲むものなの、ママ!」って。ずっとあとになってから、なんで私はあんなに「正しい」日本語にこだわっていたんだろうと。そもそも、学校で教わった日本語だけが本当に「正しい」のかな、とか。体の中に入れるという意味では、薬を飲んでも食べてもいいじゃないかってね(笑)。

正直に言えば私も質問者の方のように、自分が正しい日本語や正しい中国語をうまく操れず、それをコンプレックスに思っていた時期が長かったです。でも今は、ボラさんがおっしゃったことの繰り返しになっちゃうんですけど、自分は子どものときから少なくとも二つ以上の言語を身近に感じていたからこそ、両方の言語が混ぜ合わさった領域みたいなところに非常に敏感でいられたのだし、そのおかげで、一つの言語だけで生きている人たちよりも、自分独自の言葉を獲得しやすいという意味でものすごく優位だったなと思っています。

イギル・ボラ:本当に、完全に共感します! 手話は音声言語ではありませんよね。手話というのは手の表現を使って、三次元の世界の中で伝えるものですよね。だから音声言語ではなく手話を使うときは、考え方も違ってきますし、視野も広がっていくんですね。例えば私のことでいえば、手話で話しているイギル・ボラと韓国語を話しているイギル・ボラと英語を話しているイギル・ボラと、やっとひらがながわかるようになった日本語を話すイギル・ボラでは、やっぱり自我が違ってくるんです。

私はそんな風にたくさんの自我を持っています。身を置く文化や環境によって、私の姿は変化しているように感じるんです。そうやって言語や環境によって違った姿を見せる自分から、たくさんのことを悟っています。
これは私に限らず多くの人がそういう経験をしていると思いますので、これからも社会のなかで、誰もが多様性を発見できると思います。

■Q3:「言語をめぐるお二人の旅は死ぬまで続くのでしょうか? それとも途中で『こんなときは一息つける』という地点がどこかにあるのでしょうか?」

温又柔:いや、続くでしょうね(笑)。

イギル・ボラ:私もずっと続くと思います。そして完全なものって、果たして見つかるだろうか? という風にも思っているんですね。どんどん掘っていくと……例えば、サツマイモを掘っているとまた新たなサツマイモが出てきますよね。そんなふうに、どんどんどんどんずっと探していくものだと思います。

温又柔:そうですね、「死ぬまで」っていうよりは「生きてる限り」という言い方がしたいなと思います。それにしても、探せば探すほどわからなくなるので、答えなんてそもそも見つからないと覚悟したほうがいいのかも。

イギル・ボラ:でもそれは、幸いなことですよね。それによって文章も書けますし、映画も作れるのでずっとずっといろんな物語を作ることができますし、それを探せるというのは本当に幸運なことだと思います。

温又柔:はい。共感します。

■Q4:「コロナ禍の現在、手話を学びたい人にオススメの始め方はありますか?」
■Q5:「手話も国によって違うと聞いたのですが、私たちが多言語を学ぶように難しいことですか? 教えてください」

イギル・ボラ:全部YouTubeに上がっています(笑)。最近はそんなふうに韓国の手話だとか日本の手話だとか、国別に手話を紹介するような短い映像が上がっていますので、まずはそこからスタートしていただいて、コロナが落ち着いた頃には、さらに中級クラスとか高級クラスとか、どこか実際の機関に行って学ぶといいのではないでしょうか。

YouTubeには、近いうちに私の母が手話に関しての映像を上げる予定なのですが、ただそれは私の方でお膳立てをしなければいけないのでちょっと忙しくてまだできていないんですね。でも近いうちにYouTubeに上げられるようにしたいと思います。(→その後、ボラさんとお母さんの動画「きらめく手話」(日本語付)がアップされました!)

■Q6:「ボラさんのお父さん、お母さん、それから弟さんの近況はどんな感じですか?」

イギル・ボラ:まず、私の弟はソウルでバリスタをしています。私の母と父は映画の姿と同じように今も元気に過ごしています。去年、やはりコロナの影響があり、なかなか家に帰れなかったのですが、一度家に帰ってご飯を食べたことがありました。映画『きらめく拍手の音』のメインポスターの中に私の両親が二人でテーブルに座ってご飯を食べている姿があるんですが、まさにその席に、全く同じようにして座ってご飯を食べていたんですね。

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こんな風に、このポスターの写真と全く同じように一緒にご飯を食べたんですよ。映画の中の姿と同じように今も元気に過ごしています。そして最近は、私の母が、私の父がやっていた仕事を受け継ぐような形で、ろう者の協会のマネージャーのような役割をしています。このシーンがどんなシーンか気になっていらっしゃる方は、1月9日から15日までポレポレ東中野で上映がありますのでぜひご覧ください。今、配給会社の社長さんがこの映像を見てますので、私も一生懸命宣伝をしないといけません(笑)。

■Q7:「温さんの小説を読んでみたいのですが、オススメ教えてください」

温又柔:そしたら最新の小説である『魯肉飯のさえずり』を……(笑)。主人公は桃嘉といって、日本人のお父さんと台湾人のお母さんの間で生まれて、日本で育ったという設定です。この桃嘉が子どもの頃にカタコトの日本語を話すお母さんのために通訳をしたり、ボラさんの話とちょっと重なるところもあるので。今日ボラさんと出会う私を見て初めて私にご興味を持っていただいた方に読んでもらえると、とても嬉しいです。

■Q7:「今年は何をしたいですか?」

温又柔:じゃあ、ボラさんが締めということで、私から。
ちょうど今紹介させてもらった『魯肉飯のさえずり』なんですが、これを書くのに私、何年もかかってしまって……去年、やっと完成させられてホッとしたところなんです。で、この小説がお母さんと娘の話だったので、次はお父さんについてもっと書きたいな、と。だから今年はまず、父親をめぐる小説を書くことに集中するつもりでいます。

イギル・ボラ:温又柔さんの作品はまだ韓国に紹介されたおものが少ないです。とっても気になっていて、ぜひ韓国語で読みたいと思っています。今回をきっかけとしてたくさん宣伝していきたいと思います。韓国でも翻訳されて読めるように!

温又柔:そしたらボラさんに帯の推薦文をお願いいたします(笑)。

イギル・ボラ:わかりました。頑張ります!
私は、2021年にいろいろな計画があるんですが、まずは次の映画に取り掛かっています。女性の身体と、それから生産権に関する物語で『Our Body』というタイトルです。
そして作家としても、新しい本を頑張って書いているところです。去年私が製作して、韓国で公開した『記憶の戦争 Untold』というドキュメンタリー映画があります。これはベトナム戦争における韓国軍の民間虐殺を描いたものなんですが、この作品を書籍化する企画が動いていて、制作に携わった方と一緒に作っています。二月に出版予定です。それから『きらめく拍手の音』の改訂版を、また韓国で出すことになりました。

温又柔:私が日本語に翻訳されたボラさんの本を読んで感動したように、韓国語圏やもしかしたら別の言語圏にも、私が子どもの頃から感じてきたことを分かち合える人がいるんだろうな、と想像したとたん、自分の本がもっと翻訳されたらいいのに、と夢がふくらみます。

イギル・ボラ:ぜひ。韓国でもたくさん紹介されたら韓国にいる他文化家族、韓国社会とはまた違った家庭で育った方たちにとってもすごくいいと思います。彼らが温さんの小説を読んだら「自分の物語も何かひとつの物語になり得るんだ」と気づくかもしれません。そして、「社会の中にはこういう多様性があるんだ」ということを認知してもらえると思います。

最後に。この本のあとがきにも書いたんですが、私は韓国でこの本を出版した後、映画『きらめく拍手の音』を日本やカナダやベルギーなど、いろいろな国で上映してきました。この映画はろう者の物語であり、それからコーダの物語でもあるんです。でも、私の出身である韓国社会は、やはりいまでも自分たちは単一民族であるという認識が強い。韓国では、私が「これは異なる一つの文化なんですよ」と伝えても「これは障害者の話ですね」と言われてしまうことがとても多かったんです。

ところが、日本で上映したときには日本の観客のみなさんが「ああ、これはひとつの文化なんですね」と受け入れてくれたように感じました。カナダやベルギーで上映したときには現地で育った韓国の人で、二世や三世の人たちが「私も同じ経験をした」とおっしゃったんですね。やはり英語ができない両親に代わって自分が通訳をしたり、自分が保護者をしたとも言っていました。

そして、この本を日本語に翻訳してくださった矢澤浩子さんには、韓国人の旦那さんがいらっしゃるんですけれども、この本を読みながら、その二つの文化のあいだに立って夫を弁護しければいけないことがあったり、夫のために何かをしなければといけない状況になったことがあったとお話ししてくださいました。
ですので、以前は「これもひとつの文化なんです」とちょっと肩に力を入れて言っていたところもあったんですが、いろいろな国での上映を経て、そして浩子さんや温さんのお話を聞いて、「これは異なる文化なんですよ」っていう風に、力を抜いて話せるようになりました。

今このように国境を越えて、文化を越えて、言葉を越えてお話しできるというのは、私にたくさんのインサイトをくださっています。こういった機会がこれからも増えていったら嬉しいです。

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代官山蔦屋 宮台:お二人のお話をお聴きする、とても楽しい時間を過ごさせていただきました。最後はこの本にならって皆さんで「拍手」を送りたいと思います。

ありがとうございました。

(了)

(2021年1月8日 代官山 蔦屋書店にて。韓日通訳:根本理恵)

〈プロフィール〉
■イギル・ボラ(Bora Lee-Kil)
映画監督、作家。1990年、韓国生まれ。ろう者である両親のもとで生まれ育ち、ストーリー・テラーとして活動する。17歳で高校中退、東南アジアを旅した後、韓国芸術総合学校でドキュメンタリー制作を学ぶ。ほかの著書に『道は学校だ』『私たちはコーダです』(いずれも未邦訳)など。ドキュメンタリー映画監督作に『きらめく拍手の音』『記憶の戦争―Untold』ほか。『きらめく拍手の音』は韓国で多数の映画賞を受賞。日本では山形国際ドキュメンタリー映画祭にて「アジア千波万波部門」特別賞を受賞、2017年の公開以降、日本各地で上映されている。
■温又柔
小説家。1980年、台湾・台北市生まれ。2歳半から東京在住。執筆は日本語で行う。著書に『真ん中の子どもたち』(集英社)、『台湾生まれ 日本語育ち』(白水Uブックス)、『空港時光』(河出書房新社)、『魯肉飯のさえずり』(中央公論新社)など。最新刊は、木村友祐との往復書簡『私とあなたのあいだ いま、この国で生きるということ』(明石書店)。

〈書誌情報〉
きらめく拍手の音 手で話す人々とともに生きる
イギル・ボラ著 矢澤浩子訳 解説=斉藤道雄(リトルモア刊)
手話は言語だ。「コーダ」=音の聞こえないろう者の両親のもとに生まれた、聞こえる子(Children of Deaf Adults)の話。
映画監督、作家であり、才気溢れる"ストーリー・テラー"、イギル・ボラ。「コーダ」である著者が、ろう者と聴者、二つの世界を行き来しながら生きる葛藤とよろこびを、巧みな筆致で綴る瑞々しいエッセイ。
家族と対話し、世界中を旅して、「私は何者か」と模索してきた道のり。


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