【対話#2】イギル・ボラ×温又柔「私の言語を探して」 社会を変える、少数者の言葉を発していくこと
『きらめく拍手の音 手で話す人々とともに生きる』の刊行を記念したトークイベントの模様をお伝えしていきます。
【対話#1】の記事はこちらから。
■
イギル・ボラ:私もこんなふうに本を書くことで、私が見てきた世界を紹介してきました。私が見てきた世界というのは、ろう者の世界。私にとっては平凡な世界です。それを文章にしたり、映画を作ったりして伝えてきたんですね。それを見てくださった方が「こういう世界があったんですね!」と驚いてくださったり、「こういう美しい世界と出会いました」と言ってくださるのはとても嬉しいんですが、でもそういった感想は、もうなくてもいいのかな? って思ったりもするんです。
「ろう者の人に会ったらどうしたらいいんですか?」っていう質問は、善良な質問ではあるんですけど、もうそろそろこういった質問は、しなくてもいい時に来ているのではないかな? とも思います。
なぜかというと、例えばろう者に会った時に挨拶をしたいと思ったんだけど、「こんにちは。会えて嬉しいです」っていう手話がわからないとしますよね。でも、じゃあ携帯電話を取り出して、「こんにちは。会えて嬉しいです」とメモに打ち込んで伝えればいい時代になっていますよね。
韓国でこの本を読んでくださった方の中には、「どうしてボラだけが手話を覚えて、通訳をしなければならないのか」「ボラがそうするのではなくて、自分たちもちゃんと手話を覚えた方がいい。もっと学んでほしい。ボラだけに手話を使わせなくてもいいのではないか?」と言ってくださる方もいました。
■
イギル・ボラ:温さんも似たような経験をされていると思うんですけど、多数の方は「どうして?」っていう善良な質問をたくさんしますよね。でもそれを受ける少数側の人々は、それに必ず答えなければいけないという、社会の構造があると思います。つまり、そこにはなんらかのパワーがあると言えますよね。
温又柔: おっしゃるとおりです。であるからこそ、こういう社会の構造、私の場合は、日本で育った台湾人という、自分とほぼ等身大の立場の主人公を書くことで、私にはあたりまえだけれど、多くの人たちにとってはなじみのない世界を小説として書いて、それを読んでもらって私のことを知ってもらいたかったのだと思います。
ただ、それは本当に一回で十分なはずなんです。作家としては、もうすでに一回書いたことを繰り返しても、別の小説にはならないから。もちろん、一回の中で書ききれなかったことを書くという意味ではモチーフやテーマは繰り返すこともあるだろうけど、アプローチの仕方まで同じでは、ただの自己模倣や縮小再生産にしかなりませんよね。私はそういう作家ではいたくないんです。もっと成長したい。
とはいえ、あいかわらずこの社会は少数者にとって非常に過ごしにくいなとは感じていて、それで、そういうテーマで何冊かの本を書いた小説家という立場として、この社会に対して異議申し立てをする権利が自分にあるなら、積極的にそうしていかなくちゃという思いもあり……さて、この二つの感情をどう両立させようかと。ちょうどこの1、2年ずっと考えていたので、ボラさんが私に先んじて、そのことに格闘なされた形跡を読んで、すごく励まされました。
イギル・ボラ:その点は、本当に大事なことですね。小説家である以上は、小説家として語りたいことってあると思います。
私も作家として書きたいものがたくさんあるし、映画監督として撮りたいものもたくさんあるんですが、例えば文章を書くときに、はじめに「私はコーダです。ろう者の両親のもとに生まれたコーダです」と、「コーダ」いう単語を用いて自己紹介の文章を書きだすことになりますよね。
もし、みなさんがコーダという存在を知らず、コーダというものがどういった経験をしたのかわからないのであれば、その後もずっとそれについて書き続けなければいけない。だから、社会が私たちを理解してくれなければ、社会がコーダを認知してくれなければ、コーダとしては、やはり同じ話を繰り返すことになりますね。
コーダの中にも多様性があって、実にいろいろなアイデンティティがあるわけです。でも社会が変わらない限り、やはりコーダは同じように「コーダとは何者か」ということばかり、繰り返して話すことになります。
私は、映画を作ったり、文章を書いたりしていますが、それらの行為というのは、それを見てくださる観客の皆さん、読者の皆さんと一緒に「呼吸をすること」と同じだと思っています。社会がよりよくならなければ、深い話をしてもなかなか理解してもらえないと思うんですね。なので今日このように温さんと対談をしているのも、やはりみなさんとより良いお話をしていくために、より深いお話をしていくために、必要な場だと感じます。
温又柔:社会がよりよくならなければ……まったく仰るとおりです。だから、今日もこうしてみなさんの前でボラさんとお話できるのが改めてとても嬉しいです。
■
温又柔:その意味でも私は、今日というかけがえのない機会を、「異なる文化と文化のあいだで生きてきた私たち、それぞれ大変だったね。重なるところがたくさんあるね」とボラさんと共感しあって、ハイ、おしまい、としたくはない、というか、そうなってしまったらすごくもったいないと思っています。
ボラさんはコーダとして、私は外国人として、自分たちが生きている社会の中の「少数者」として育ちました。そのせいかそのおかげか、「多数者」にとって何の不自由もない社会が、自分や、自分に似た境遇の人たちにとっては、それほど自由ではないことを知らずにはいられません。
だからこそ私も、たぶんボラさんも、自分が今生きている社会がよりよい状況になるのを活性化する言葉を自分で見つけたいっていう気持ちが強いのだと思うんです。
本書と同タイトルのボラさんの映画を私はまだ拝見できていないのですが、きょうもこちらにいらっしゃっている矢澤浩子さんが翻訳なさった日本語で『きらめく拍手の音 手で話す人々とともに生きる』を読むと、ボラさんが日本の読者に宛ててお書きになったように「新しい文化と遭遇する豊かさ」を感じるのですが、それはきっとボラさんが、よりよい状況のために考えよう、と促してくれるからなのだと思うんです。
イギル・ボラ:ありがとうございます。
■
温又柔:……それで、今の話に関連して、ボラさんが、「父は『代表』と『唯一』を時々混同することがあった」というエピソードが私は実はすごく印象に残ってるという話がしたいなと思います。
アメリカのラスベガスで開催される「デフ・ワールド・エキスポ」に行くとき、ボラさんのお父さんは、段ボールや大型キャリーバックにぎっしりと詰めたものすごい大量の荷物を持って行こうとする。ボラさんが予感していたように、航空会社からはもちろん「超過料金を払わなければこんなにたくさん載せられない」と言われちゃうんですよね。それでもお父さんはひるまず、世界中のろう者が集まるエキスポに韓国代表として参加するのだから優遇してほしい、とあくまでも主張する。航空会社との交渉はもちろん娘であるボラさんにやらせるんですが(笑)。
ボラさんは書いています。「実際韓国から誰も参加する人はいなかったので、私たちが唯一の韓国国籍の参加者だったのは確かだが、『代表』という立場で参加するわけではなかった」と。
この箇所を読んでいて、確かに、「唯一」と「代表」って混合しやすいのかもしれないと感じました。
たとえば、何らかの少数者がみずからの経験を語ると、大多数の人とは異なるその人の経験や考え方、感じ方などが、その人の「属性」の個性とダイレクトに結び付けられて、その「属性」を「代表」させられてしまうようなことがよくあります。でも、その人の個人的な経験は、その人にとって「唯一」のものではあっても、その人と同じ「属性」を持っているすべての人たちを「代表」しているとは必ずしも限らないんですよね。
こんなことを、今、私が話すのは、私がそれを混合したくないという気持ちが強いからなんです。
たとえば、私が書いたものを読んだり、話したことを聞いてくださった人たちが、なるほど、台湾人ってそういうふうに考えるのか、とか、外国人として育つとそう感じるのか、と言ってくれることがある。でもちがうんですよね。私は別に台湾人や、外国人として育った人たちを「代表」しているわけではない。台湾人であったり、外国人として育ったという自分の「唯一」の経験を書いたり話したりしてるだけなんです。
だから、カタコトの日本語を話すお母さんがいて、そのお母さんとこういう関係を築いてきて、みたいなことを私は書いてきたし、これからも書くことはあると思うけど、それはあくまでも私と母のことであって、他の、外国出身の母親とその子どものことを「代表」して書いているとか、そういう意識はない。逆に、自分がそういう意識を持つようになったらおしまいだなと思います。私は究極的には私自身しか「代表」できないので。
これは、さっきボラさんが、「コーダ」と一言で言ってもその内実は豊かで、複雑であるとおっしゃったこととも繋がっていると思うんですよね。
イギル・ボラ:それとちょっと似たようなお話になるんですけども、今日のこのトークの前に、別のコーダの方とお話しする機会があったんですよ。今、この場にも座ってこのトークを聴いてくださっています。
コーダとして私は映画を撮っていますし、本も書いています。だから「コーダとしてのイギル・ボラ」の存在をまずみなさんに知っていただいたわけですが、でもコーダと言っても全員が同じ経験をするわけではないんですね。
コーダの中にはポジティブなアイデンティティを持っている人もいればネガティブなアイデンティティを持っている人もいますし、その中間あたりにいらっしゃる方もいます。それから、最初はネガティブなアイデンティティだったんだけれどもポジティブなアイデンティティに変わった人、または最初はポジティブだったけれどネガティブに変わった方もたくさんいます。
さらに、私の両親は手話を使うろう者なんですが、中には手話を使わずに口語で、口でしゃべる方法で話をするろう者もいます。それから、両親がろう者だという理由で、祖父母に預けられたり育てられたり、親戚に育てられたりするコーダもいます。
そして、手話はわからないという人でも、家族間でホームサインというものを使う場合もあるんですね。日本語の手話や韓国語の手話とはまた少し違うんですが、家の中で通じるホームサインを使いながら会話をする、ろう者とコーダもいます。その経験は人によって様々。
……なので、私の経験が必ずしもコーダを代表しているものだとは言えません。本の最初にも書きましたけど、本当に様々なコーダがいるわけで「あ、ボラはこうだったけど私は違うコーダだ」という感じです。
ですので、先ほどこのトークが始まる前にお会いしたコーダの方にもお伝えしたんですが、本当に様々なコーダがいるので、それぞれ自分のアイデンティティについて話したり、文章を書くことでも、もっともっと彼らひとりひとりのことを紹介していけたらいいなと願っています。
そうすることによって、きっと多くの人がその多様さを知ることができるんだと思います。「ああ、あのコーダはこうなんだ」「自分はコーダなんだけど、あのコーダとは違う経験をしているんだ」という風に、似ているんだけれども完全には同じではないとわかるわけですし。
世界には、韓国人である、コーダである私=イギル・ボラと全く違う経験をしている人たちもいますし、それは日本の人たちも同じ。フランスの人たちも同じですし。そう考えると、国籍とか性別とか地域によって人を判断したり、アイデンティティを作ることはできないですね。
(【対話#3】へ、つづく)
(2021年1月8日 代官山 蔦屋書店にて。韓日通訳:根本理恵)
〈プロフィール〉
■イギル・ボラ(Bora Lee-Kil)
映画監督、作家。1990年、韓国生まれ。ろう者である両親のもとで生まれ育ち、ストーリー・テラーとして活動する。17歳で高校中退、東南アジアを旅した後、韓国芸術総合学校でドキュメンタリー制作を学ぶ。ほかの著書に『道は学校だ』『私たちはコーダです』(いずれも未邦訳)など。ドキュメンタリー映画監督作に『きらめく拍手の音』『記憶の戦争―Untold』ほか。『きらめく拍手の音』は韓国で多数の映画賞を受賞。日本では山形国際ドキュメンタリー映画祭にて「アジア千波万波部門」特別賞を受賞、2017年の公開以降、日本各地で上映されている。
■温又柔
小説家。1980年、台湾・台北市生まれ。2歳半から東京在住。執筆は日本語で行う。著書に『真ん中の子どもたち』(集英社)、『台湾生まれ 日本語育ち』(白水Uブックス)、『空港時光』(河出書房新社)、『魯肉飯のさえずり』(中央公論新社)など。最新刊は、木村友祐との往復書簡『私とあなたのあいだ いま、この国で生きるということ』(明石書店)。
〈書誌情報〉
『きらめく拍手の音 手で話す人々とともに生きる』
イギル・ボラ著 矢澤浩子訳 解説=斉藤道雄(リトルモア刊)
手話は言語だ。「コーダ」=音の聞こえないろう者の両親のもとに生まれた、聞こえる子(Children of Deaf Adults)の話。
映画監督、作家であり、才気溢れる"ストーリー・テラー"、イギル・ボラ。「コーダ」である著者が、ろう者と聴者、二つの世界を行き来しながら生きる葛藤とよろこびを、巧みな筆致で綴る瑞々しいエッセイ。
家族と対話し、世界中を旅して、「私は何者か」と模索してきた道のり。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?