チャンスの扉・僕と中国語の出会いについて
今日は、僕がどうして中国語を学習し始めたのか、そのきっかけについて少し書きたいと思います。春から何かを始めようと考えている人がいたら、何かの参考にしていただければ嬉しいです。
僕と中国語との出会いは、さかのぼること2005年のはじめ頃のことだと思います。当時僕は横浜のとある会社で企画の仕事をしていて、それはある時は営業企画だったり、経営企画だったりと、その道ではそれなりにキャリアを積み上げてきたわけですが、何となく行き詰まっていたというか、自分の将来にワクワクしたものを感じなくなってきたわけです。
そんなある日、日経新聞の見出しを見て何となくそこに閃くような何かを感じました。
ーーー 2008年北京オリンピックに向けて、中国経済が急成長!
そんな見出しだったと思います。
自分は、英語が得意ではなかったから、それまで海外で仕事をすることなんて考えもしなかったのですが、その見出しを見て、もしかしたら中国語なら、今からでも間に合うんじゃないか?と思ったのです。
僕は早速、中国の福建省で社長をしているNさんにメールを書き、「アドバイスをいただきたい」と相談すると、彼はとても親身になって相談に乗ってくれました。その時印象に残った会話はこんな感じのものでした。
「Kさん、いくつだっけ?」
「今年●●歳になります」
「そっか。まだ、間に合うね。ギリギリね」
「間に合う・・・ですか?」
「そう。人生には転機というやつがあってね」
「はい。」
「今がKさんにとっての転機なのかもしれないね」
今、振り返ると、本当にあの時の決断が転機となって、その後の僕の人生を大きく変えることになりました。
このあたりの話は、小説「ネコと呼ばないで 第21話」に、大木さんという人の言葉としてそのまま使ってたりするので、興味があればそちらもぜひご覧になってください^^
そして僕は中国に行くことを決めました。
当時、中国と言えば国民はみんな詰襟の人民服を着ているんだというような固定概念に縛られているのが普通だったので、同僚や先輩は、少しバカにするみたいに「大丈夫かよ?」とからかい、そして家族は「大丈夫なの?」と、とても心配していました。
その後、福建省のNさんの計らいで、上海の社長に話が通り、当時は自ら中国で仕事がしたいという人は稀だったので大歓迎してくれ、中国語などまったく喋れない状態のまま、上海に赴任することになったのです。
中国語を学習し始めた当初は、まったく喋れませんでした。特に北京特有の滑るような発音になじめず、ずいぶん苦労したのですが、その後、台湾に赴任してから、一気に上達しました。
台湾の中国語は、「繁体字」という日本語と同じような漢字を使い、発音も非常にわかりやすくなじみやすいもので、人懐こい台湾人が親切にいろいろ教えてくれたのです。
中国語がわかるととても便利です。
僕が今住んでいるマレーシアのビジネスは、中華系が強く、彼らとのコミュニケーション手段として、中国語はとても役に立っています。製造業のサプライヤーもほとんどが中国系で、コミュニケーションが取れることのメリットは計り知れないものがあると実感しています。
中国語を学習する人はどんどん増えていますが、それでもまだまだ少ないのではないでしょうか?
--- チャンスの扉は、誰に対しても平等に開かれている。
何かのアニメで、そんなセリフがあったことを思い出しました。
僕にとっては、中国語がチャンスの扉を開いてくれたのだと、今になってそう思うのです。