今はできれば、答えはない方が良い。
使わなくなったというおもちゃを、一時的に貸していただく機会があった。
積み木のようなものや、パズルみたいな遊び、好きに組み立てられるおもちゃなど、有難い限り。
ルワンダ生活をしていると「市販のおもちゃ」は限りなく少なく、あっても粗悪品が異様に高い。
だからこそ、日本で「THEおもちゃ」に出会えると、なんだかちょっと興味深いなぁと思ってみてしまう。
中には「これわざわざ買う?」と思うようなくだらないものだってあるし、賢く作られてるなぁと感心するものもある。やれ、モンテッソーリをかじったりしたことで、私自身のモノの見方が変わったのかもしれない。
そんな中で、お借りしたおもちゃで遊んでいる息子を見ていて、ちょっと気になったことがある。
と、やたらと聞かれること。どうやったら”いい”という聞き方が、少しひっかかる。
おもちゃなんだから、見たままに、そして好きなように遊んだらいいんじゃなかろうか。
最初からよーいどんで使い方を教えてしまうのが良いのか、子どもが遊びながら発見していくのがいいのか、そんなことを考えさせられた。
さらに、おもちゃによっては「正解があるおもちゃ」と「正解がないおもちゃ」があることにも気づいた。
この違いに気付いた時に、ここにきて「どうやったらいいの?」と聞く息子には、できるだけ「答えのないおもちゃ」の方を与えたいなぁという気がした。
これから先は、アルファベットを学んだり、算数を学んだりする過程で、いやというほどに「正解」を求められる日々がやってくる。
こういうのは単純に親のエゴなのかもしれないけれど、でも「自由に育ってほしい」と思うからこそ。
お借りした中から一つだけ、電車の形をしながら、自由に積み木で見た目を変えられるおもちゃを頂いた。
今はまだ、私が作ったものを見ながら一緒に遊んでいる息子だけど、母ちゃんのアイディアなんか飛び越してほしい。
これから先、彼がどんな電車を作ってくれるのかが、とても楽しみ。
▼子どものモンテッソーリ教育を考えるキッカケをもらった、息子の通う幼稚園のお話。沢山の方に見ていただいていて嬉しい限り!