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アトリエをはじめて #2


制作を共にするということ

何時間も筆を持ち、
作品を通して人と関わることができる人たち


そんな人たちの姿を側で見ることができる
幸せな仕事をさせてもらっています。

主に小中高生が通ってくれている「こどもアート」と、社会人が通ってくれている「おとなアート」

長くやっていると「こどもアート」に来ていた人が
成長して「おとなアート」に移ってきてくれたり、

また、平日の「こどもアート」に用事等で来れなかった人が、
週末の「おとなアート」に振替で来てくれることがある。
その逆もある。

日常のアトリエは制作をともにする人たちの年齢幅が広いことが多い。

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ちょうど先週の土曜日もにぎやかだったので、

あとで考えてみたら、8歳から50歳代までが
アトリエで入れ替わり立ち替わり制作していた。

保護者の方々を含めると70歳代まで。

アトリエを始めた当初は想像できなかったが、
少しずつ、そうなっていった。

今は世代の境目がない日が多い。

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どろんこ遊びが大好きな世代から、
歩行に手すりを必要とする世代まで、

普通に、自然に

一緒に居られる場所になった。

これは、世代間だけでなく、

生きにくさを抱えた人や、そうでない人、

障がいのある人や、ない人、

男性、女性、

仕事してる、してない、

などの属性においても同じだ。

ここでは一緒に過ごす。

なぜこのような場になったかと考えると、
やっぱりアートの力だと思う。

世代や育ってきた環境が違っても、

”今、制作を継続している”

というところがとても大きい。

「鑑賞する側」ではなく、「つくる側」

「以前やっていた」のではなく、
「たった今、つくっている」

アトリエの中をいつも、
この「たった今」の空気が充満していて、

制作者同士の尊重が

あるのではないかと思う。

描く人は、描く人の気持ちが想像できる。

あの人はきれいな花を描いているけど、
僕は粘土でクマをつくりたい。

あの子はかわいいぬいぐるみをつくっているけど、
私は木版画に挑戦しよう。

明るい色を使うのが好き。
でもあの人の落ち着いた色、なんかいいな。

あの子はあの子で、

あの人はあの人。

アート制作は、
そんな大切なことに気が付かせてくれる。



私の課題、「人と一緒に歩む」

十数年前に出会った
障がいのある子たちやお母さん方

その子育ての大変さを、
アトリエを通して目の当たりにした。

お母さんたちの涙も見てきた。

この子たちが大人になるころに、
何かお手伝いできることはないか、

そんなことをずっと思ってきた。


長い年月をかけて育った、
今アトリエに流れる空気は、

自分に、
これから進むべきヒントとを与えてくれ、

軟弱な自分の背中を
大きな手で押してくれる。

「福祉で体制をととのえながら、
長くアートを続けられる環境をつくりたい」

時間がかかったが、
自然と気持ちが固まってきた。


“あの子はあの子で、
あの人はあの人”

を、大事に継続したい。


アートと一緒に進もう。

周りの人と歩もう。

ひとりで全部頑張るのは、もうちがう。

アトリエでの見守りも、
展覧会の準備も、
フライヤーづくりも、

これはみんなで
やっていくことなんだ。

数年前に、お義父さんの介護があって、
それまでのようにいろいろできなくなった。

介護の制度には頼っていたけど、
兄や姉と協力していたけど、

とても難しかった。

アトリエのことも、自分の作家活動も、

お義父さんとの大事な時間も、

全部そのまま維持するのは難しかった。
体力も限界にきていた。


そんな時、友人に言われた。

「お父さん、元気な顔で会いに来て欲しいと思うよ。」

いっぱいいっぱいの自分を
少し遠くから見てみた。


多すぎた仕事量を減らして
人に頼って
お願いしたり

してみよう。

そう思った

そしたら

それまで怖かったり、遠慮したり
思い上がっていてできなかったことが、

「頼る」ことが

少しできるようになってきた。

自分も変わるときだった。

チームで補いあって行うことが

これからの自分に必要なことかもしれない。


アトリエの講師仲間

自分に変化があった後、
人に「頼る」ことができるようになって

今、幸せなことに素晴らしい人たちが
アトリエに関わってくれるようになった。

毎月出張やお手伝いに来てくれている
講師の人たち。




几帳面さ、自由な発想、明るい雰囲気、

それぞれが私にはない素敵な才能で、
アトリエを助けてくださっている。


最近は単発で陶芸教室や、
英語でクラフトの講座も
開きに来てくれる人たちもいる。




以前読んだ本によると
人と人は、パズルのピースのように
出会う人と特技や才能で繋がっていくという

自分に欠けている部分は
パズルの隣の人が補ってくれていて、

また自分の特技や才能は、
隣の誰かのために。

パズルを構成する
みんながみんなの役に立っていて
物事をつくりあげているので、

自分にない才能の持ち主に出会ったら
万歳ものだと。


今はまさにそんな風に感じる。


講師の皆さんの才能に助けられている。
私1人ではできなかったことが、
今はできている。

これはすごいことだ。

皆さん
いつもありがとうございます。


この先自分はどんなパズルが見られるのか。

出会う人と
起こる出来事と。

とても楽しみだ。

つづく...









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