アトリエをはじめて #1
大阪府交野市で「おとなアートこどもアート」というアトリエをやっています。
地域の子どもたちや大人が絵を描いたり、つくったりを楽しむ場です。
『こどもアート』のこと
16年前、自宅の6畳部屋ではじまった絵画教室は、
当時生徒が4名。うち2人が自分の子だった。
教室といっても、勉強のために近所の知り合いの子どもさん2人にお願いして週一で来てもらっていた感じで、毎回が手探り状態。
子どもたちの好きな工作は何なのか
何を難しいと感じるのか
どんなことを考えながら絵を描くのか
テーマがあった方が良い?
など、ひとつひとつ感じて
学んでいった。
数年して人数が10人ほどになり、
けっこうにぎやかになった。
場所も少し広い自宅敷地内の離れに移った。
懐かしい「汚れる日」↓
子どもたちの中には、生きにくさを抱えた子たちも
5人ほど通ってくれていた。
人数が増えると、
アトリエではアート制作の補助だけが
私の仕事ではないことが顕著になってきた。
まず、ひとりひとりが、めっちゃ私に話しかけてくる。
あれ?こんなしゃべりながら制作ってできる?
「へー、今日そんなことあったんや。」
「先生あの歌しってる?」
「もうすぐお母さん来るやん!あかん!まだ何もできてへんやん!」
どうやらみんな、
本当は日々、自分の話しを
もっともっと聞いてもらいたいらしい。
制作もするのだけど、
加えて彼らの日常を聞いてあげること、
近い目線で一緒に楽しんでいくこと
時々私の子どもの頃の話しをすること、
などがとっても大切なんだとわかってきた。
言葉が苦手な子には絵カードをつくって
「それで会話してもいいよ。」
と言った。
生きにくさを抱えた子でも、
相手のことを考えて環境をととのえると
特に問題は起こらないことも少しずつわかってきた。
こちらは初めて作った絵カード↓
思春期の子たちだと、少し言葉少なになるけど、
制作が乗ってくると、
恋バナや、あいつ嫌いやとか、
芸能人の話しや、
担任が苦手や、
塾嫌や…とか
そういうことも喋りだす。
話して作品もつくって、
スッキリして帰っていく。
制作補助以外の大きな仕事は、
彼らの成長を見守ることだった。
長い子で、14年ほど通ってくれている。
身長は60㎝くらい伸びているように思う。
低学年の時、うまく描けずに悔し泣きしていた子が、
4年生になって急に手の神経が発達して
スイスイ描いているのを見た。
反抗期の6年生の女子が、急に私に
「は?」
と言ってきた。
反抗期終わったら笑顔で膝に乗ってきた!
中学生の男子が声変わりしたけど、
小学生の頃と会話の内容変わってないのが面白い。
年齢に応じたそれぞれの子どもたちの成長は
なんというか、
「アート」で、しかも「感動」
かもしれない、と思う。
2018年の地震と台風で被災したこともあり、
現在は賃貸物件に場所を移して
アトリエを続けている。
『おとなアート』のこと
大人の人がアトリエに通ってくれることになったのは、6年前、友人を通じて、絵を描きたい人を紹介してもらったのがきっかけだった。
それで「おとなアート」ができた。
今は中高生や大学生、大人も一緒に↑
そこから数年後、お手伝いに行っていた別のアトリエが閉鎖になった。
今来てくださっている方々の半分は元々そこに通っておられた方々だ。
そのアトリエのご夫婦の先生方から、私は短い間に色々な事を学んだ。
特に、どんな人も受け入れてアトリエをやっていくということの大切さを再確認させていただけた。
とても感謝しています。
残念ながらもう先生方に会うことができないが、
もしお会いできたら
「教わったことに感謝しています。」
とお伝えしたい。
「おとなアート」の皆さんは生きにくさを抱えた人たちがほとんどだ。
知的に障がいのある方もおられる。
お話しはされないけど、この場所で何時間も絵を描いたり
目は合わせないけど、小さく5ミリうなずいてくれる。
いつの間にか、こんな風にこの人たちとコミュニケーションが取れていることが嬉しくなった。
もっといろいろ知りたくなった。
次に会った時はどこまでつながれるだろうか。
どんな作品が生まれるだろう。
今でも毎回始まる前はドキドキする。
何時間も筆を持ち、
作品を通して人と関わることができる人たち。
それはひとつの「才能」だと改めて気がついた。
つづく…
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