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ユビキタスな「信仰」社会(1) −「信じる」ことは「手放す」こと?−
いきなりですが、「信仰」という言葉を聞いて、どんなことをイメージするでしょうか?
神様や○○教など、宗教的なことをイメージするのが一般的かもしれませんね。
もう少しカジュアルで形で言えば、特定のアーティストやアイドルを好きになること、肉や魚を食べない「菜食主義」、身の回りをアップル製品で固める「アップル教」なども、一つの信仰と言えるでしょう*1。
このように、仏教やキリスト教といった本
ユビキタスな「信仰」社会(2)−始まりはいつも「信じる」ことから−
(前章「ユビキタスな「信仰」社会(1)」はコチラ)
前回は、「信じる」ことはつまり「手放す」ことであると言えるのではないか、という話をしてきました。
この話は、パソコンの「メモリ」に例えるととても分かりやすいです。
パソコンにおけるメモリの大きさは、よく「作業台の広さ」と表現されます。
どんな方でも経験したことがあると思うのですが、一度にたくさんのアプリケーションやプログラムを開いたり
ユビキタスな「信仰」社会(3)−信仰心の揺らぐとき、そして「ほどほどに信じてみること」−
((1)、 (2)も併せてお読みください)
今回議題として挙げたいのは「信仰心を試されるとき、人はどんなことを感じるのだろうか」という点です。
僕はTwitterをやっているのですが、大学3年生くらいの頃から、社会学者の古市憲寿さんをフォローしています。
その頃の僕はTBSラジオで隔月最終日曜(実際に聞いていたころはまだ毎月でした)の深夜にやっている「文化系トークラジオLife」という