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明けた。新年の時期とは思えんくらいのあったかさ。気候の穏やかさ。母の実家でごはんを食べる。従兄弟たちが帰ってきていて、彼らが持ってきていたSwitchを使って妹がスイカゲームを真剣にやっていた(きっちりスイカも作っていた)。
小さなこたつのテーブル上にありとあらゆる電子機器のコードが繫がれていた。私が小さい頃は冬休みの宿題を広げていたかお菓子を広げてテレビをぼーっと親戚みんなで観るみたいな風景が当たり前だっただけに、お正月の風景が様変わりしたなあと思う。私の頃の風景と今の風景の優劣なんてつけられないけれど、母や祖母が最近のテレビ(直近のものでいうと紅白歌合戦)を観て「なんかよう分からん」と言っているのと感覚は似ているのかもしれない。

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父の実家に行く。祖母に、LINEの使い方を教えてほしいと言われて文字はここから打つとか電話はここからかけられるとかをひと通り一緒にやった。祖母は一生懸命ノートにメモを書いているのだけど、あれ?この前教えたときは別の紙に書いてなかったっけ…?と首を傾げずにはいられない。真面目な人だから、私が教えた後もむずかしい顔をしながらスマホを触っていたので毎日やっていけばできるようになりそうなものなのだが、私たち家族が帰省するたびにどうやってLINEを送れば良いのかを聞くのでうーんとなってしまう。やっぱり忘れてしまうのかなあ。

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中之島美術館へ『テート美術館展』を観に行く。新しい美術館なだけあってかすごく洗練されていて綺麗だった。テート美術館は、砂糖で財を成したテートさんによるコレクションらしい。その中から、「画家たちがどのようにして光を捉え、描いたのか」を見ていくというのが美術展のコンセプト。無色透明な光が水の中では青く、火の中では赤く見えることは今や疑問にすら感じないくらいに当たり前のことだけど、それを絵に描いたのってすごいことだった。人間の目に見えている瞬間を切り取っているのだから、当時は大革命並の驚きがあったんだろうな、と思って見ていた。ターナーの、光でいっぱいの絵は眩しかった。
影があることと光があることは同時に存在する事象で、だから影を描けば絵の外のどこかには光がある。暗い絵だなって印象を受けたものも、光があることには変わらない、ただ見えていないだけで概念として感じられているんだということを考えていた。

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バイト3連勤1日目。無印良品のチャイブレンドがおいしすぎる。

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バイト3連勤2日目。

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バイト3連勤最終日。

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後輩へのプレゼントを買う。自分にとって大事な人にあげる贈り物を求めてお店の中を回っていると、頭の中で後輩の笑った顔が自然と像を結んでいる。喜んでもらえたらうれしい。

群像が欲しくて本屋さんへ行ったけど、発売日が明後日だということを思い出した。でもとりあえず文學界は買えて、東畑開人さんの連載を読むのが楽しみ。文學界は、一人暮らしが始まったら定期購読しよう。

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