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【日記】一月十七日(火)

「お母さんってすごい、と思った日」

 毎日心のどこかでこう思っていたつもりだったけれど、今日は一段とそれを感じた出来事があったので残しておきたい。

 大学の授業を受けていたときのことだ。
 いつものように先生が教室のいちばん前に立って、板書を書きながら授業をしていた。(いつもなら板書を写しつつ話を聞きつつするのだけれど、今日はどうしても期限が迫っているレポートを進めたくて内職しつつ話を聞きつつになっちゃった。ごめんなさい先生。)

 突然先生が「あぁっ!」と小さく叫んだ。何ごとかと思ったら、どうやら授業で使うレジュメの印刷がうまくいっていなかったらしい。先生が慌てて大学のポータルサイトに電子版のレジュメを共有し始める。静かだった教室が少しざわめきを帯びる。パソコンや電子機器の操作が得意ではなさそうな先生なので時々こういうことがあって、授業再開までに少し時間がかかることは割と多かった。ただ、今日はいつも以上に先生が焦っているように見える。

 「実はですね、」と先生がパソコンを凝視しながら話し始める。
 「今日子どもの合格発表日だったんです」
 おおおおお……とか、あぁぁぁ……というような声が辺りから漏れる。
 「でも残念ながら、残念ながらだったんですよ」「だから、次がんばろうねって慰めてあげないといけなくって」
 えぇぇぇ…..と、今度は悲痛な声がさっきよりも大きく聞こえてくる。私は「あぁぁぁ」と自分の声が漏れそうなのをなんとか飲み込んだ。

 大学で学生に向けて授業をしたと思ったら、家に帰れば子どもがいて、しかも残念ながら不合格だった子どもを慰めてあげるということが待っていて。先生も大変だなあ、とその時は思っていたのだけれど、

 お母さんをやりながら仕事をするって、すごく大変なことなのでは……?と思考を遠くへ飛ばしている自分がいた。

 そもそも仕事をしていてもしていなくても「お母さんでいること」は偉大だと思う。

 私には想像もつかないような痛さに耐えて、その痛みを伴って産まれてきた赤ちゃんが、全力の感情で伝えようとすることを汲み取って。大きくなってきて物心がついたかと思えば反抗期がやってきて(色々すっ飛ばした気はするが、きっとぎゅっとしたらこんな感じだろうか、という私の想像)。もちろん、これらが家事をこなす上にのし掛かってくるものなのは言うまでも無く。

 思考に延長線を引いて、私のお母さんのことを考える。

 贔屓をするわけでは無いが、私のお母さんは他のお母さん以上に大変な思いをして私を育ててきてくれたのだろうな、と思う。
 食物アレルギーに喘息、アトピー性皮膚炎、小さい頃は日光アレルギーもあったらしい、なんだか色んなものをくっつけて産まれてきた私。何を食べさせたら、どうやって育てたらこの子は大きくなるんだろうと途方に暮れた、とお母さんは事あるごとにそんな話をしてくれる。2歳を過ぎても喋らない、食べものにまったく興味が無くて自分から手を伸ばそうともしない、名前を呼んだら反応はするから耳が聞こえていないわけでは無さそうだ、でも自分から発声しないのはなぜなのだろう、と、まぁなんで私はそんなに手がかかってんだと私が全力で突っ込みを入れたくなるくらい、私は周りからとても心配されていたようだ。
 (妹が産まれてから、私は寝ている妹を見て突然「赤ちゃん」と呟いたらしい。いや喋れるんかい!!頭の中に言葉溜めすぎやねん!ってなったわという話は今でもお母さんからよくされる)

 そういう話を何度も聞いて、毎年来る誕生日でどんどん私は大人と言われる年齢になっていって、同じように両親の結婚記念日が来て細やかながらお祝いをして、私自身にも変化があって、とそんな風に生きていると、これからの人生を見やることが増えるのは自然なこと、不可抗力だろうか。

 私は、私も、いつかお母さんになる?

 自分の子どもがいる人生。素敵だと思う。きっと幸せだろう。鈍感で要領の悪い私のことだから、きっと他のどんなお母さんよりも遠回りして、危なっかしいながらも全力でお母さんとして生きていくのだろう。

 そこまで考えて、いつもここで行き詰まる。

 自分の生まれつきのものが遺伝したらどうしよう。

 お前まだ誰とも結婚していないのに子どもの有無なんか考えてどうする、先に就活とか提出期限が迫っているレポートとか目の前のことを考えろと自ら突っ込みを入れることもあるのだが(現に今も入れまくっているのだが)、

 子どもに遺伝するかしないかは置いておいて、もともと自分が食べられるものが限られているために自分の子どもに食べさせてあげられるご飯がはじめから制限されているのは明白である。
 明白だけれど、それが嫌だから子どもを作るのが不安、という考え方はなんだか違う気がする。でも自分のやりたいことを思いっきりやる人生にもしたい。ばりばり働きたいとも思う。

 でも、そんな理由で(そんな理由で無くても)子どもを作らなかったら、ここまで私を育ててくれたお母さんに対して申し訳なく感じてしまう自分もいる。

 一度しか無い人生、人生設計が大事とよく言われるけれど、なんだか最近はこの言葉がぐさぐさと刺さる。

 今すぐ答えが見出せる話では無い。でもいずれこういうことを本気で考える日が私にも来るのだな、と思うのだ。

 とにかくお母さんはすごい。私のお母さんもすごい。今日は、それを切実に感じた日だった。

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