一月十日(火)
「『汝、星のごとく』を読んだ日」
冬休み→年末年始→冬休みを経て、大学へ通う日々が再開したのでnoteにつらつらと日々のことを書いていた習慣も再開。とはいえあと1ヶ月もしないうちに3回生も終わって春休みがやってくるのはなんだか複雑。
相変わらずいろんなことに追われていて、今年もきっと慌ただしく忙しくなるんだろうなとぼんやり考える。サークル活動をほぼほぼ引退した身なので少しはゆとりが持てるかと思ったけれど、今まであった忙しさが更新されてさらには別の忙しさが覆い被さってきているので全然そんなことは無い。
それでも本を読む時間は削りたくないと思う。去年の後半は電車に乗った瞬間に睡魔が襲ってきてそれに抗えなかったけれど、なんだか勿体無い時間の使い方をしているように思えてならず、かといって課題をこなすには若干無理があるのでこの時間に本を読まなくちゃと思う。芥川賞・直木賞の候補作が発表されているのでそれを順に読み進めていこうか。
『汝、星のごとく』を積ん読から手に取る。『流浪の月』を一気読みした過去があり、今回はどんな感じなんだろうと何気に読み始めたけれど、ページを捲る手が止まらない。久しぶりに電車の中の時間があっという間だった。
帰りの電車の中でも続きをひたすら読む。
読んでいて、何度ももどかしくて歯痒い気持ちになって、自分の気持ちやらテンションやらがこの世界観に引きずり込まれている感覚がずっとあった。
人間の弱い部分をどこまでも丁寧に繊細に描き、そして最後は余計なものが削ぎ落とされて洗練されて、自らの意思で道を選んで進んでいく。凪良さんの作品はこの描写がものすごく上手な方なのかもしれないなあと思った。
あまりにも引き込まれたのか、大学からの帰りはずっとこの本のことが頭にあって、電車の中で読み耽って、自分のこれまでの人生とか人間関係とかの答え合わせをしようとしている自分に混乱して。いつもならこの時期のこの時間はすごく外が冷え込むのに、ましてや今日はものすごくお腹が空いていたはずなのに、その感覚すらも麻痺したようになっていた。(これすら、母に「今日は寒い寒い言ってないやん」と指摘されて気づいたこと)
自らの、生きる上での欲求すらはるか彼方に忘却させ、その世界観に考えや感覚が支配される。そんな本を、自分の手でも創り出してみたいと思った。
今は、佐藤厚志さんの『荒れ地の家族』を読んでいる。
最近気づいたこと。
ヘッドフォンをしていると耳が塞がるのであんまり寒くない。