#20 がんこな便秘に。
認識されている全ての事物には「名」が存在する。
どんな人にも名前がある。あなたにも僕にも名前がある。身の回りを見てほしい。目に映ったもの、そのほぼすべてに名前がある。固有名詞がある事もあるが、カテゴリーとしての名前であることもある。
例えば、飼っているペットの犬の事をあなたはカテゴリーである「犬」と呼ばないだろう。「ポチ」とか「シロ」とかの固有名詞があれば、その名称が使用される。ポチは犬だけど、あなたにとっては犬と呼ばれる対象ではないのだ。
しかし、ティッシュペーパーのボックスがあなたの周りにあったとしよう。それは「エリエール」や「クリネックス」などのブランド名があるとしても、あなたはそれを「ティッシュ」と呼ぶ。これはカテゴリーで呼ぶ例ある。(強いこだわりがある場合は別だが。)
いつもの通り、「名」を辞書で引いてみた。
1.有形・無形の事物を他の事物と区別して言い表す呼び方。
2.個々のものを指す呼び方。
とあった。
つまり、形が有っても無くても、人に認識されて他の物と並べられた時に、それはそれであるという事を区別するため、「名」が付けられる物である。という事がわかった。
名が付いている全ての事象は、誰かが見出してそれを区別するために付けられているのである。やがてそれが派生して数が増えたり普及したりする、すると、もはや一個々々を区別するのは面倒なので、総称とかカテゴリーという、個から集を指すステージに上がる。という事なのだと考える。
つまり、あなたにとってポチはただ一匹しかいないが、ティッシュはそれこそほぼ無限に近い選択肢があるほど大きなカテゴリーである。いくらでも代えが効くという事でもある。
グーグルで「便秘薬」と入れて検索してみた。検索結果の総数はこうだ。
約 25,300,000 件
これは実にオーストラリアの2018年の人口とほぼ同じくらいである。という事は、オーストラリア人が一人1個の便秘薬を持っていると想像すると・・・いや、これはまるでピンとこないからやめるが、すごい数字である。
それでは、アマゾンではどうだろうか。
便秘薬の検索結果 890件
と出た。先ほどのグーグルの検索結果は、便秘薬そのものを指すというよりも、関連する物まで混ざっているので、こちらの数字の方がより便秘薬そのものの実数に限りなく近いのではないかと思われる。
さて一度、落ち着いて聞いてほしい。
宜しいだろうか。
この世の中には、少なくとも、
890個の便秘薬が存在するのである。
あなたの知っている便秘薬の名前をできるだけ挙げてみてほしい。
コーラック?ビオフェルミン?わかもと?
何個か出てきた人は、きっと便秘薬にお世話になったことのある人だろう。でもきっと便秘薬が必要な時は、問題さえ解決されればどれでもいいのではないだろうか。
つまり便秘薬であればどれでもいい、効きさえすれば。という気持ちの方が、一般的なような気がする。
もちろん常日頃から使う必要がある人ならば、これでなくてはダメ。というお気に入りの物があるかもしれないが、そうでもない人は、役割さえ果たしてくれれば890の中のどれか1つでいいのである。
そうすると、890もある便秘薬の中でどうやったら、光り輝いてあなたが欲しいと思う物になれるのだろうか。890個から選ぶというのは、この野菜のタネの中から一粒を選ぶような物である。
そんな状況であるとしても、あなたがいわゆるカテゴリー化された「便秘薬」ではなく、固有名詞である「〇〇」を選ぶようになるためには、どんなことが必要になるのだろうか。
その大きな要素となりえるのは、商品名とかコピーを使用したプロモーションである。では、下記のコマを見てほしい。
ドラえもん てんとう虫コミックス26巻収録「テレビとりもち」からの1コマ。
スネ夫から自慢、及び、のけ者扱いにされたのび太。仕方がないのでテレビを見ながら、CMとして流れているゲームやジュースを欲しい欲しいとママに訴えるが、「やたらにほしがるもんじゃありません」と怒られてしまう。
見かねたドラえもんが出したのがテレビに映っている物を、棒の先についた「とりもち」で粘着して現実世界に持ってこれるというこの「テレビとりもち」である。
これを使って、スネ夫への復讐を果たした後、しずちゃんに何か欲しいものを取ってあげようという時に流れたのが、この1コマである。
そう、いろいろと疑問は沸く。ひとつひとつやっていこう。
まず、「とりもち」って何なんだろうか。文字通りお餅なのだろうか。
下記はwikipediaからの引用である。(ぜひご寄付を。)
鳥黐(とりもち)は、鳥や昆虫を捕まえるのに使う粘着性の物質。鳥がとまる木の枝などに塗っておいて脚がくっついて飛べなくなったところを捕まえたり、黐竿(もちざお)と呼ばれる長い竿の先に塗りつけて獲物を直接くっつけたりする。古くから洋の東西を問わず植物の樹皮や果実などを原料に作られてきた。近年では化学合成によって作られたものがねずみ捕り用などとして販売されている。
文字通りと書いたが、文字通りではなかった。「鳥黐」と書くようである。変換もできないので、コピペせざるを得なかった。素材もおそらくは米も使われたりしたのかもしれないが、粘着性のある植物の何かだったことが多いらしい。
そして現在に存在するのは、化学合成によって作られて、ねずみ捕り用として使われているとのことである。あのネバネバして動けなくなるシート状の物の事を指すようだ。
残念ながら僕には「とりもち」を使用した事が無いため、ここまで調べても何となくしかイメージできなかったが、さすが22世紀の科学の粋を集めた「ひみつ道具」である。2019年現在であまり身近でもない「とりもち」をここまで昇華できるのである。
もしかしたら、22世紀の科学者や発明者も「こういうのって、昔の言い方だと何ていうのかな。」などと言って検索したりして、「あ、とりもちってのが近いんじゃない?よし、そのままかもしれないけど、テレビとりもちって名前でいこう。」などと考えたのだろうか。そもそも未来の人達に対して「だろうか」と過去形を使うのも変ではあるが。
あと、「テレビとりもち」という商品名から、22世紀にもテレビと呼ばれる物、もしくはそれに準ずる物があるという事もわかる。現在のような形で、メディアとして生き残るという事だ。そして、コマーシャルという広告媒体も存在し続けるようである。
さて、次である。
テレビの中に映る女子学生、彼女が持っている物。
まずは、その顔よりもでかいパッケージを見てほしい。
時代によって違いがあると思うが、日本人女性の顔の大きさ平均が、縦21.8cm、横15.3だそうである。もし、この女子学生が平均的な日本人であるとして、テレビに映るくらいには容姿やスタイルが良いとしても、パッケージの大きさは相対的に見たとしても、25cm×22cmぐらいの大きさがあるようである。
ピザーラのMサイズが直径25cmであるので、それが入っている箱はおおよそ、27〜28cmぐらいであろう。これを一回り小さくしたようなイメージであろうか。
これに・・・
これに、便秘薬が入っているのだろうか。
もしかしたら、ピザのようにシート状なのだろうか。漢方なんかだと、何かこのくらいの大きさのシート状になっていても不思議ではないのかもしれない。そうだ、そうに違いない。
しかし、この説は次の話によって否定されてしまった。
ではとうとう、この話をしよう。
「名」、つまりネーミングである。
「DO KUSO GAN」とは、「どぅくそがん」である。
必要ないような気もするが、分解して訳そう。
DO・・・しろ 「やる」の命令形
KUSO・・・糞、糞尿の事
GAN・・・丸 丸めた物、ここでは錠剤的な意味
つなげると、「糞しろ丸」となる。丸だから、これは錠剤である。シート上ではないのである。
とにかく、超ド級のストレートネーミング。一周回って、逆にひねってある。これを飲んで、頑固な便秘ともサヨナラというワケである。実に効きそうだ。効きすぎて怖いくらい効きそうだ。
ちょっと下記を見ていただきたい。
小林製薬の「ボーコレン」
膀胱に効くからボーコレン。そう、そうでしょうとも。
ターゲットが女性なのも、サイトからよくわかる。
小林製薬の「トイレその後に」
トイレの後に使うから、トイレその後に。まさにそうでしょう。
ロングセラーなので、説明せずとも売れているのがわかる。
オカモトの「水とりぞうさん」
像の鼻で水を吸うように、湿気を吸い取ってくれる。うまい。
ブランドキャラクターを長年大事にしてきたことに好感が持てる。
藤子F不二雄先生の「DO KUSO GAN」
いやいやいや、先生。異彩を放つにも程がある。
商品名が、英語表記なのも面白さを演出している。同じリズムだと、きっと「Love me do」とかになる。
まぁ、DOはいい。GANもわかる、薬であることを表している。
KUSO だけは・・・・・・・・・すごい!
商品名としては、ジョークグッズとかじゃないと付けられない。
「うんこミュージアム」という物が存在する。でも、これはそういう趣旨だし、「うんこ」はひらがな表記で、すべてが丸っぽいため可愛らしい印象がある。
KUSOは、違う。
くそ だと、なんだかトゲトゲしい。
クソ だと、悪態をついているようである。
糞 だと、重たいし、生々しくてダメだ。
だから、KUSO である。
読者である小学生、子供たちはローマ字を読めただろうか。これが書いてあることをどの程度認識していただろうか。
そう考えると、ローマ字表記は少し大人っぽいのかもしれない。CMの女性も高校生であろうかと思われる。
自分たちよりも少し大人の女性が、紹介している便秘薬。小学生には必要が無いのかもしれない。実際、しずちゃんも「いりません!」と否定している。
F先生の事だから、きっとわからなくても良いと思っていたのではないだろうか。もし、気が付けたらクスッと笑ってほしいくらいの気持ちだったのではないだろうか。少し大人になって読み返した時、この発見ができればいいんじゃないだろうか。そう思っていたのではないだろうか。
言うなれば、これは無くてもいいコマだったと思う。でも、このコマがあるからリアリティーが増しているし、こうやってネタにもできる。楽しめるのだ。
最近買った「藤子・F・不二雄のまんが技法」の巻頭には、このように書かれていた。
「描くぼくが楽しみ、読んでくれる人たちも楽しむ、そんな漫画がずっとぼくの理想なんだ」
モノ作りは、楽しまなければいい物にはならない。でも、自分だけが良ければいいなんてダメで、見てくれる人も楽しめないと成り立たない。
きっとそういう事なんだと思う。
だからきっと、この「DO KUSO GAN」を作った製薬会社も、すごいテンションで開発してCMまで作ったんだろうと想像する。この名前で行こう!と決めた人にも僕は拍手を送りたい。
パッケージデザインも潔い。余計なことは言わない。洗練されている。きっと、ネーミングが強いからである。
惜しむらくはこのパッケージの色が何色だったのか。という事である。この辺はアニメ版を探せばわかるかもしれない。
知っている人がいたら、ぜひ教えてほしい。
よろしくお願いいたします。
<ありがとうございます>
ついにこの1コマでどれだけ語れるかチャレンジも、めでたく20回。スキをしてくれたり、フォローしてくれている方々。本当に、皆様は僕にとっての「心の友」です。だからお前の物は俺の物だし、俺の物は俺の物です。ありがとうございます。これからも、皆様と一緒にもっと読み深めていければ幸いです。