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#37 みんなとおなじにしてないと、安心できないんだよ。

#1コマでどれだけ語れるかチャレンジ

日本人は均一性を欲する。大多数がやっていることが神聖であり、同時に脅迫である。 小説家・作家 司馬遼太郎

いつの時代にも良くも悪くも「流行」が存在し、それは人の営みの中に必ず起こる現象の1つである。

それを時に楽しみ、流され、踊らされ、取り入れ、利用し、社会や文化を形成していっている。

twitterにもトレンドというカテゴリがある。これは今何に人々の関心が集まっているか、今の話題になっているモノやコトが何かという事である。このカテゴリは、ニュースのカテゴリと同じくらい活用されているらしい。トレンドは常に人々から気にされており、それが故にトレンドなのだ。

ここで流行の定義を見てみよう。

<流行>りゅうこう
あるものが人々の間に広がること、またはその状態。
  ・Mode、Trend、Fad、Fashion:流行(りゅうこう、はやり)は、ある社会のある時点で、特定の思考、表現形式、製品などがその社会へ浸透・普及していく過程にある状態を表す。
  ・epidemic, pandemic:ある疾病が比較的限定された期間内に通常以上の頻度で発生すること。

また、松尾芭蕉の俳諧理論において、時とともに移ろうことを意味する。

流行とは、何かが社会に浸透していっている状態の事を指している。

ポジティブな意味でのMode, Trend, Fad, Fashionであり、病的なという意味でネガティブなepidemic,pandemicである。

2020年11月現在の時点で、社会にはどちらの流行も存在している。

Mode, Trend, Fad,Fashionのカテゴリで言えば、もうちょっと古いが「タピオカドリンク」とか、映画が好調な「鬼滅の刃」とか、こぞって話題にされていた「バチェロレッテ・ジャパン」などのコンテンツが当てはまるかもしれない。

epidemic, pandemicのカテゴリで言えば、言うまでも無くCOVID-19が当てはまる。文字通り、社会問題であり世界的な規模で進行中だ。それに伴う分断もこれに当てはまるかも知れない。

何が流行したのか、と言えば、上の例から分類すると「文化コンテンツ」と「疫病」である。

同じ「流行」でも、取り入れたいものと、避けたいものという違いがある。流行には、良い物と悪い物がある。しかし流行するという現象自体には、良いも悪いもない。良くても、悪くてもそれは流行する。

時に、その勢いはウィルスのように防ぎようがない。

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てんとう虫コミックスどらえもん第6巻掲載「流行性ネコシャクシビールス」からの1コマ。

流行についての人の反応を分析するのび太とドラえもん。時折、読者がびっくりするくらいにズバッと世相を切る2人。

この内容は本当はみんなわかってはいる事ではある。しかし、ここまで言語化されると少しドキッとするかもしれない。それはのび太のセリフが、流行の本質をついているからではないだろうか。

流行をどう気にするか。で、その人の生活には変化が生じる。

熱狂的に鬼滅の刃やバチェロレッテを追いかける人もいるだろうし、全く見ない人もいる。三密を避け、手洗いうがいをして、いつでもマスクをしている人もいるし、全くそういう事をしない人もいる(した方がいいですよ)。

流行を追う理由の1つが、「安心」の為とある。これは自分の為でもあるが、周囲の人とのコミュニケーションの為の部分もある。周囲とうまくやる為の一つのツールが、流行を追う事だったりするという事だ。

話題のコンテンツを見ていないと、共通の話題が無くて会話にならない事だったり、マスクをしないで人と話をするのが憚られる。と言った事は、自分だけではない第三者が存在しているからである。

この第三者の塊、集合体が社会であると言える。

社会の中でうまくやる為に、必要な事の1つが流行を追う事と言えるのかもしれない。どんなに上っ面でも、とりあえず共通の会話になるからだ。

だが本当に大事なのは「それは自分で選んだものなのか」ではないかと最近特に思う。

僕はあまのじゃくなので、周りが熱狂的になればなるほど、距離を置きたくなる。別に、流行に飛び乗らない自分カッコいー!と思っている訳では無くて、トレンド的に出て来た何かのコンテンツに過度に熱狂的になる事が、いささか怖いコトなのではないかと思う。

理由は先に述べたように、容易に人の心をつかむような流行は、人の生き方を変えてしまう事があるからだ。中には極端な人もいて、流行を追うたびに生き方が変わる様な不安定な精神とそのさまは、さすがにちょっとおかしい。と言わざるを得ない事もある。

そういう自分の状況を、客観視できない人がすごい増えている気がする。

物事を熱狂的に追いかける前に一旦立ち止まって、

仮にそれが流行してなくても、自分はそれを選んで取り入れたいと思うだろうかと、

自問自答した方が良いと思う。

何を言っているかわからないかもしれないので、この3つの質問させていただく。

「それ来年の今頃も思い出せる?」

「それ本当にあなたが好きな物?」

「人と同じになる事で、安心しようとしてない?」

もしそうかも。と思うのならば、それは単に流行という名のコンテンツの消費だ(それが悪い訳では無い。そういう物だと言いたい。)

ドラえもんには今、一時期ほどの熱狂さは無いかも知れない。だが何年も、何十年も存在しているコンテンツだ。形を変えて、時代と共に変化してきているとしても、それはコンテンツにがあるからであって、トレンドを追った形での流され方をしない。(最も、今年は50周年などもあり様々なグッズが出ており、トレンド的に消費されているが。)

ドラえもんにはしっかりとした設定という盤石な基礎がある。それが故に、後発のさまざまなソフトでさえも、しっかりと立てるようになっている。

歴史的にも多くのコンテンツが生まれて、それは多くの人に選ばれている。

あっという間に、あれもこれも黒と緑の柄になったが、残念ながらその辺の物は長続きしないのではないだろうか。一時的にガン!と人気になった物は、しゃぶりつくされた後、安物ワゴンの中に値引きシールと共に売られてしまうのが、世の常だ。

名作というのは、何か月後か何年後かにすっかりと忘れ去れるような、一時的な熱狂という消費の仕方をしないのだ。

今起こっているようなトレンド的な消費の仕方は、コンテンツにも失礼なのではないかと思う。もちろん売れないよりはいいのだろうけど、作り手は、ずっと語り継がれるようなモノになってほしいと思っているハズだ。そういった意味で、引き延ばしをせずにきっぱりと終わった鬼滅の刃には、好感をもてる。

だから、トレンドという流行り病になるのではなく、なるのであればしっかりとした治りにくい病気になってほしい。と思う。マニアックに、深く深く入った人の話は面白い。

だがやはり、上っ面を見ている人たちの話は聞くに堪えない。にわか的に楽しむのであればそういう分類の人たち同士で分かち合ってもらえば良い。そういう人に限って、これを見ろ見ろとお薦めしてきたりする。

その気持ちはわかるし、動機は崇高で尊いものかもしれないが、その自分の姿を一度でいいから客観視して欲しい。そして、その熱量が何年も続かないという事を踏まえれば、上っ面のハラスメントと言われてしまうような理由になるという事も理解した方がいい。

流行に飛びつかずにはいられない気持ちは、誰しも持っている。そこには安心があるからだ。

だが、安心する事だけが生き方ではないとも思う。

誰もやっていないコト。誰も見てもくれないようなモノ。そういうのを追うのもロマンの1つだ。

そして出来れば、流行に飛び乗るのではなくて、流行を作る方に回りたい。

この「流行性ネコシャクシビールス」の中では、流行をゲラゲラ笑いながら作る、のび太とドラえもんが描かれている。そのさまは、悪ふざけだ。

しかし流行に乗るよりも、流行を作る方が何倍も面白いという事もわかる。

ヘンテコで中身のない流行でも、皆が安心のためにそれに追随するのを見て、2人は腹から笑っている。

穿った見方かもしれないが、誰かが作った流行にたくさんの人がのっている時、それを見て流行を作った人は大笑いしているのかもしれない。何度も言うが、それが悪いのではなく、そういう物だという事がいいたい。

できれば作られた流行ではなく、流行を作りたい。

そうでないと面白くない。

そうでないとすれば、それはただの消費なんだ。

そういうことを理解しておきたい。

そうでないと僕は安心できないんだよ。

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