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#25 家のなかでボウリングするなんて!!

#1コマでどれだけ語れるかチャレンジ

『いいか、ボウリングでストライクを狙おうとして、ど真ん中に力いっぱい投げるとな、両端にピンが残ってビック2っていうスプリットになるんだ。真ん中から外れたって気にするな。ちょっとずれているぐらいがいいんだよ。』         浦沢直樹先生 20世紀少年より「神様」のセリフ

プロボウラーの格言は、意外と無い。ググっても出てこない。という訳で、別の漫画から引っ張ってきた。

ストライクを狙うならば、力いっぱいのド直球ではなくて少しズレているくらいがいい。という概念は、ボウリングをやったことのある人ならすぐにでも共感できるような事だし、なんだか他の事にも通じそうなほど良い。

少しズレている事へのコンプレックスを、気にしなくていい。むしろ、そのくらいが丁度いいんだ。と励まされるようだ。

20世紀少年という複雑かつ壮大なストーリーの中で、このボウリングでストライクを取る為の秘訣というのは、登場人物たちがやろうとしている事が本当は的外れな事かもしれないという不安さを表しつつも、大丈夫だやってみろと背中を押すような計算しつくされたセリフだ。

うーん、実にいいセリフ。良く考えられていると思うし、素敵でオシャレさも感じる。

たとえば僕たちが何かをやる時に、たとえ少しズレていたとしても、ストライクは狙えるし、むしろそれがちょうどいいのだ。と、そんな風に思う事で、立ち止まらずに進むことが出来るかもしれない。


しかし、これが僕たち凡人でなく「天才」だったらどうだろうか。

もし、天才が少しズラしてストライクを狙ってきたとしたら・・・。

狙うべきピンをそのテクニックで倒しに来たら・・・。



是非このコマを見て欲しい。

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てんとう虫コミックス2巻掲載「うそつきかがみ」からの1コマ。

うそつきかがみという話の中では、どちらかと言えば、かがみに映ったキレイな顔とか、かがみに騙されてしてしまった変な顔とか、その勘違いぶりとかが面白い点として挙げられがちだ。確かにそこもすごく面白い。劇画みたいなきれいな顔も、ぐしゃぐしゃにした変顔も、捧腹絶倒ものだ。

だが、ここではこのコマの持つ「フルスロットル」とか、「ゼロ距離加速」とか、「ロケットスタート」みたいな物を感じさせてくれるズレを愛でるべきポイントとして挙げたい。

今回の最も驚くべきは、このコマが「うそつきかがみ」の3コマ目という事にある。起承転結で言えば、起の起。

そして、どうしてこうなったかなどは、説明などしない。その後も一切説明していない。とにかくもう「置いていかないで!」と言いたいくらいの急展開。だから革新的であるとも言える。


では例のごとく、このコマを見て浮かぶ疑問を整理しよう。

①なぜドラえもんは、ボウリングをしていたのか。
②どうやってボウリング球を投げたのか。
③なぜボウリング球は鏡にぶつかったのか。
④この場所は家の中のどこなのか。なぜそこなのか。
⑤なぜ2階でボウリングをしなかったのか。
⑥どうしてのび太と一緒にやっていなかったのか。

取り急ぎ6つの疑問が並んだ。大丈夫、一個ずつやっていこう。


ではまず、①なぜドラえもんは、ボウリングをしていたのか。について。

現在日本において、ボウリングというスポーツは当たり前の物だし、別に出て来ても不思議ではなさそうに思える。僕のイメージだと学生とか新入社員的な年齢層の人達が集まった時やるか、お金と時間を持て余したオジサマ・オバサマがそれなりにガチでやっているもの。という感じがする。あと、会社とか組織の打ち上げ的な事も含むかもしれない。

どちらも、経験の有無に関わらず、参加しやすいために馴染みやすいのが理由の一つではないだろうか。

さてこれは、ドラえもんに限ったことではないが、漫画のキャラクターの行動にはある理由がある。それは、時事(トレンド)をストーリーに取り入れている事だ。

この「うそつきかがみ」が初めて世の中に出たのは、小学四年生1971年5月号だそうだ。この僕も生まれてもいない1970年初頭という時代には、どうやらこんなことがあったようだ。

それは「ボウリングブーム」。

須田開代子と中山律子というスター・プレイヤーが登場し、町のボウリング場には行列ができていたそうだ。さらに、日本のボウリング場は1972年で3,500か所を越えていたらしい。

1970年初頭には今では考えられないくらいの数の人たちが、やたらとボウリング場に行き、ボウリング球を転がしては、ピンが倒れたの倒れなかったという事に一喜一憂していた。

つまり、この「うそつきかがみ」が描かれた頃、このボウリングというスポーツが、まさにトレンドの最先端にあった。という事が言える。そして、それをF先生は敏感に捕らえて作品に反映させた。

①なぜドラえもんは、ボウリングをしていたのか。の答えは、この作品が描かれた1970年代当時、日本はボウリングブームだったから。になる。


では次だ、②どうやってボウリング球を投げたのか。について考えてみよう。これは、ドラえもんというロボットの機能的な話になる。

ドラえもんの手は、ゴムまりとかお団子とか、とにかく丸い物に例えられる。しかしながら、コマによっては親指的な物が出て来ていたり、初期ではじゃんけんのチョキやパーを出したりすることもあるし、そもそも出した道具を掲げる時にどう考えてもくっついているようにしか見えなかったりする。

これは今更言うまでもないが、ドラえもんというロボットには「ペタリハンド」というマニュピレーターが採用されているからだ。

ペタリハンドの説明はWikipediaからの引用を見ていただきたい。

「ペタリハンド」と呼ばれるゴムのように変形可能な球形の手であり、思い通りの物を吸い付ける力がある。その性質を利用して天井に張り付いたり、垂直な壁を落ちずによじ登ることも出来る。また、指がない代わりに人間と同じ5本の牽引ビームがその代役を果たしているため、物を摑んだり、握ったり、手袋型の道具を使用することも可能。

以上の情報から整理すると、②どうやってボウリング球を投げたのか。の答えは、ペタリハンドで吸いつけていただけでなく、指替わりの牽引ビームによりボウリング球の穴も使って投げた。と考えられる。

ドラえもんの機能的として、ボウリング球を投げるという事は、全く不可能な事ではない。という事が言える。牽引ビームが指の変わりもするのだ。あの親指みたいなものは牽引ビームの表現という事だ。

次の③なぜボウリング球は鏡にぶつかったのか。について考える。

ボウリング球を掴むことも、投げる事も機能的に問題ない事なのに、なぜこんなことになってしまったのか。実は、先ほどのWikipediaの同じ項目にこうもある。

ただし、手は決して器用とは言えない描写が多く、絵が下手だったり、あやとりを嫌っていたりする。

ドラえもんは不器用。実は、これが答えだ。と考える。

下記はボウリングをやる時に動作として必要そうなことと、ドラえもんの中で起こっている機能的な事をざっくり書いてみた。

ボウリング球の穴に牽引ビーム(指)を3本入れる。
ペタリハンドで吸着してボウリング球を持つ
球を持って構える
投球フォームに入る
丁度いいところで、牽引ビームとペタリハンドの機能を切る
理想を言えば、牽引ビームの機能を切るのは、ペタリハンドの機能を切るよりも後の方が、ボールに回転を掛けられる

後半の動作の方が難しい。という事はボウリングをやったことがあれば、すぐにわかってもらえると思う。決して器用ではない彼が、ブームに乗っかってやったのだ。きっと初めてだったのかもしれない。だから、こういう事(化粧台の鏡を割る事)だって起こると考えるのは、決しておかしなことではないだろう。

さらに、次の疑問に移ろう。
④この場所は家の中のどこなのか。なぜそこななのか。

以下の図は、野比家の間取りとされるものだ。原作版の間取りである。アニメ版とは違うので注意してほしい。この画像はキレイで都合がいいので説明に使う。元画像はこちらに。

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さて、このコマで壊れされているのは、のび太のママである玉子が化粧をするときに使う化粧台の鏡である。化粧台がある場所という事で考えると、まず2階という可能性は消える。彼女の生活スペースは基本的に1階であるからだ。

さらに、普段のび太が家族でテレビを見たりする居間とは考えられない。常識的に考えても、お客様を迎えたりする応接室でもない。

となると、おのずとパパとママの寝室という事になる、そこは化粧台があるべき場所であるとも言える。つまり、この時のドラえもんがボウリングをした家の中というのは、1階パパとママの寝室という事になる。

ここまで整理するとこの疑問が生まれなくてはならない。

ドラえもんは一体、なぜそこを選んだのか。

消去法で考えると、キッチン、居間、応接室は家具が存在しているので、ボウリングをやるのに適当ではない。廊下という事も考えられるが、ママが家事をしていると考えれば、邪魔になってしまう。

となればどう考えても、2階のび太の部屋もしくは、その向かいの部屋でやれば良かったのではないだろうか。となる。

だから、疑問はこう言いかえる事が出来る。

⑤なぜ2階でボウリングしなかったのか。

これをひも解くには、どうしてもこの前にある2コマを見てもらわなくてはならない。
※「1コマ」でどれだけ語れるか。なのですが、すいません。

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そう、のび太は机に向かって勉強?・・・いや、たぶん寝ていた。から。

⑥どうしてのび太と一緒にやっていなかったのか。の答えも、これである。

ドラえもんは机に向かっているのび太を見て、勉強の邪魔をしてはいけないと思ったのかもしれない。

でも、この場合のび太は寝てたと考えられる。「ガチャン!」の音で起きたのではないだろうか。机の上のノートも何も開いてない。

もしくは、これから宿題しようとしていたのかもしれない。でもやりたくなくて、グダグダしていたのかもしれない。皆さんにもそんな経験がある事だろうと思う。なかなか手を付けられないという事が。

そんな様子を見たドラえもんが、のび太の宿題の邪魔しちゃ悪いから、別の場所で遊ぼう。そう思っても不思議はないと思える。

そもそも、ドラえもんとは子守りロボットである。だから、のび太が寝ていたら、そのまま寝かして置くという事は十分あり得るのである。

たとえば、珍しく机に向かって勉強しているかと思ったら、寝ていた。というのも、のび太らしい。まぁ、無理に起こす事もない。と思ったのかもしれない。

そう考えると、2階、のび太の部屋はボウリング会場の候補から消えるし、隣の空き部屋も、のび太を邪魔、または起こしてしまうかもしれないので候補から消えるのである。

ママの邪魔にならず、のび太の宿題の邪魔や眠りを妨げる事もなく、不器用な自分が練習をしていても問題ないし恥ずかしくない、つまり普段あまり人がいないし、来ない場所で、かつスペースがあるのは、パパとママの寝室しかないのである。

これで全ての謎が解けた。ような気がする。とても嬉しい。

冒頭、僕はこのコマがロケットスタートのようなぶっ飛び感があって、まるで置いて行かれてしまうかのような印象があると言った。

しかし、ちゃんと読み解けばすべては設定の中に補完されている。

F先生は僕らからは少しズレがあるように見えても、完璧にストライクを目指して球を投げられているのだ。

しかも、最も恐るべき程に素晴らしい事は、まだもう一つある。

この物語最初の3コマの流れは、サラッと読むと一切何も違和感を抱かない程、自然に描かれているという事である。

F先生は以上の事を踏まえていて、いや、それ以上にもろもろの事を踏まえていて、さらに設定から何の違和感もないように構成している。のだとしたら(いや、きっとそうだけど)、いったいどこまですごいのだろうか。

たくさんある設定という物を、何て自然に使うのだろうか。

読み解けば読み解くほど、ストライクだし、これはもうハイスコアだ。

とはいえ僕が今回書いた事はしょせん素人考えだし、本当は全然違くてF先生から「それは・・・ガーターですね」と言われるかもしれない。

でも、いい。

ちょっとズレているくらいが丁度いいのだ。ね?神様。

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