#56 あんたがごみすて場。
2023年、地球の人口は実に80億人に迫っている。
人口が増えるという事は、より多くの食べ物が必要になるため、近年、世界的な食糧危機の到来が叫ばれている。
80億人の人が満足に食べて飲んで生きる。
そのために必要なエネルギー量は、オリバが傷を治すために採る食事なんて目じゃない。
成人男性が一日に必要なカロリー量は、2,000〜2,400カロリーと言われている。女性は1,400〜2,000カロリー。年代別で見ても大体、2,000カロリー前後だ。
計算しやすそうなので、人間はおおよそ2,000カロリー欲しいとしよう。
8,000,000,000人×2,000カロリー=160,000,000,000,000カロリー
160兆カロリーが1日で必要なのだ。
ご飯茶碗に1杯のお米が、大体250カロリーだとして、160兆カロリーとは、ご飯6400億杯分である。
6400億。ピンとこない。そもそも6400億のご飯茶碗を見た事がない。世界人口が80億と言っているのに、ご飯茶碗が6,400億個あるなんて、もう訳が分からない。
80億の人間が食糧不足であえぐ時、6400億のご飯茶碗たちも「自分にご飯をよそえ!」と騒ぐのだろうか。町の大通りをプラカードや横断幕を持ったご飯茶碗たちがシュプレヒコールをしながら闊歩する様を想像してほしい。
カチャカチャカチャカチャ。
ご飯をよそえ!
カチャカチャカチャカチャ。
私たちはよそわれなかった!
カチャカチャカチャカチャ。
ご飯をよそえ!
エキサイトし始めたご飯茶碗たちは、どこかの炊飯器の中に残っているかも知れないご飯を求めて家やお店を破壊し始める。もはや行政や警察では制御できない。
この暴動は世界規模で、同時に起こる。ご飯茶碗たちの結束は陶器の様に硬い。皆がご飯に飢えているからだ。
パリンッ!
もちろん、ご飯茶碗たちも無事では済まない。鎮圧部隊によって逮捕された者もいれば、暴動に巻き込まれて割れてしまった者たちもいる。しかし、そういった犠牲もご飯茶碗たちは自らのおかずにしていく。割れてしまった者たちの欠片は、まるで聖人の遺骨のように扱われる。
そしてご飯茶碗たちの中に、ある種の宗教のような思想が生まれ始める。
この宗教のトップに君臨するのが〇×焼のご飯茶碗たちだ。上等の釉を塗られた正統なる焼き物の一族。だがそれは単なる自称だ。自分で考える事のないご飯茶碗たちを、自らの利益の方へと誘導する奴らである。無知蒙昧なご飯茶碗たちには、自分たちの正統性を主張するために神の使いが必要だった。
いつしかデモの群衆は、揃いの模様に身を包んだ、異様な集団となっていた。
ご飯をよそえ!来るべき日の為に!
カチャカチャカチャカチャ。
事態は混迷を極めて行く。
世界の政治家も、暗躍する焼き物たちの黒い疑惑に染まっていた。これまで誰も気にもならなかったような事を、差別だとか不平等だと言って、ご飯茶碗の権利を人間たちに主張しだした。
尚悪い事に、これは世論を無視して正式に議会を通過したのである。
かの有名な焼き物の大家であるウワグッスリー・ヌリヌルは生前、この人類史上最も愚かな議決について、手記の中でこう述べている。
おかげで人間は、自らが飢えで死ぬかもしれないときに、ご飯茶碗にご飯をよそわなくてはならなくなった。
もはや社会は成り立たなくなっていく。
飢えと貧困と、空っぽのご飯茶碗だけがそこにあった。
そしてご飯茶碗によそえる人間と、よそえない人間の間で大きな格差が生まれた。その差は日に日に大きく大きくなっていく。
よそえる者は日に何杯もよそった。しかし、よそえない者は米粒一つもよそえなかった。
やがて人間の間でも対立が生まれる。しかし、もはや正常な機能のない社会はそれを止める事が出来ない。
もう世界は後戻りできなかった。
カチャカチャカチャカチャ。
軍靴の音が聞こえてくる。
かくして、第一次ご飯茶碗戦争は始まる。
この後、ご飯茶碗雲が世界の都市をご飯粒でベットベトにする訳ですが、今日のところはこの話はもうやめにしましょう。
下記のコマを見てください。
なんでも入る四次元ポケットを借りたのび太。例のごとく調子に乗っていたら、ジャイアンをはじめ近所の奥さん方から何でも入れても良いと誤解されてしまう。その時の一コマである。
しかし、もしそうだとしても、この
「あんたがごみすて場。」
と言うセリフはぶっ飛びすぎてないだろうか。
ゴミを捨ててくれる業者がいたとして、「お、ゴミ捨て場来た。」とか、「あんたごみすて場だもんね。」だなんて普通の人が言うだろうか。
蔑み以外の何物でもないように見える。
のび太の足の形を見て欲しい。驚き過ぎて変なポーズになっているのがわかる。そして、コマの枠をはみ出している。
ここのコマの枠をはみ出しているのは、驚きの躍動感を表しているだけでなく、このコマで起こっている事が、常識とかのび太の想像とかを越えている、つまりはみ出しているからなのではないだろうか。
だから、このぶっ飛んだセリフもこのコマに馴染んでいるのだろう。
この辺の表現技法とか、狙い見たいな物を見逃さないでいたい。
さてこの前、銀行で働いている人と話していたら、その人はもうすぐ年齢的に給料が下がってしまうという事を言っていた。だがまだまだ働きたいので、転職も考えねばならないと悩んでいたのだ。
そこで僕は知り合いのゴミ処理会社さんが、優秀な人材を集めていた事を知っていたので、そこはどうかと提案してみた。地元でも有名で様々な新事業を行い、行政ともうまくやっていたし、何よりも地域に貢献していた。
しかし銀行で働く彼はこういって断ってきた。
「ゴミ処理は社会的地位が低いので、遠慮します」と。
僕はこの人に一目置いていた。いつも冷静だし、社会も良く見えているし、銀行員にしては話が出来る人だな。と。ただ、この一言でとてもガッカリしたのを覚えている。
提案を断ったからではない。ゴミ処理は社会的地位が低いと思っている事がガッカリしたのだ。
いろんな経済活動があるが、何をしても出るのがゴミだ。それを処理しないと健全な社会は運営できない。何気なく出しているゴミを、ゴミ箱に入れて、その後まとめてごみすて場に出したり、持っていってもらっているのは、ごみ処理会社がいるからだ。
身の回りにゴミが無いのは、あなたが小奇麗でいられるのは、ごみ処理会社がいるからなのだ。何よりも、誰かの仕事を下に見る理由がない。
この人は転職は無理だな。と思っていたら、案の定まだ銀行員として働いているらしい。給料が下がっても、他に移る勇気が出なかったそうだ。
冒頭、人口の話からご飯茶碗の話をした。荒唐無稽、意味不明な文章だったが、これは僕がインプットした情報を、僕という媒体が処理をして、アウトプットとして吐き出した結果である。
ゴミを入れれば、ゴミが出てくる。とはこの事である。
今、世の中ではいろんな意見がある。どんな意見も宝であり、ゴミである。しかし、本当は、処理をする媒体がどう動くかで、宝になるかゴミになるか決まる部分もある。
世の中にはゴミを入れても、リサイクルできる機械もあるのだ。
世間やtwitter上に溢れかえるゴミのような言葉を取り入れて、そのまま吐き出すのであれば、それはあなたもゴミであると言っているようなものだ。
それを踏まえてどうするのか。を常に考えないと、僕もあなたもごみすて場とされてしまうかもしれない。