#51 人間ノ時代ハオワッタ。ろぼっとノ世紀ガハジマルノダ!
その人に能力があるかどうかを試すには、その人に力を持たせて見れば良い。
という言葉がある。
今までは持っていなかった「何かしらの力」、例えば決裁権や管理権を持たせてみて、その人の振る舞いを俯瞰して見るのだ。そして、その人が本当にその力を持つにふさわしいかどうかを見極めるという意味になる。
これまで指示を受けて来た人の中で、よく指示を守り、内容を把握して、周りに気を利かせられるような人であれば、指示を出す側にも成れるのはないだろうか。そういう目論見の中で力が渡されるのだ。
身近にありそうな事で言えば、アルバイトの中からバイトリーダーを決めるみたいな事である。アルバイトの人達への仕事の指示や、トラブル対応、シフト管理などを時給アップと引き換えに行う事になる。
それによって他の社員の負担が減ったり、業務が円滑になったのであれば、増えたバイトリーダーの時給分よりも価値があると言える。
だが「人に指示を出す」とか「管理権限がある」という権限を活かせる能力は、そもそも業務とは別の次元にあるものだ。
リーダーシップがあるか無いか。みたいな事も良く聞くだろう。業務をこなせるからと言って、他よりも上位の力を与えても、それが上手く機能するかどうかは、実際にやらせてみないとわからない。
「仕事ができる」という言葉には、必要な基本的業務をこなせる事以外に、業務の進行を管理出来る事が含まれるのだ。
ここにミスマッチが起きている事が多い。集団や組織の中で指示を出す人について考えた時「なんでこんな奴が人の上に立っているんだ」と思ったことが誰しもあると思う。
実際、業務は出来ても人を使うのが下手な人はいる。だが、人を使うのが下手で嫌われていても、俯瞰で見て必要な要件を満たす、つまり仕事が成り立つのならば、上に立つべき能力があるとも言える。好かれたり、慕われたりすることが全てでは無いからだ。
逆を言えば、同僚や部下などには慕われるが、仕事が成り立たないのであれば、上に立つべきではないかもしれないし、仕事を成り立たせるのは別の人間の役割で、慕われている人は組織内の空気を円滑にする役割として上に立つのであればそれも一つの形たりえる。
要は、力を持った時の振る舞い方ひとつである。適性があるかどうかを見極めるために、人は力を与えられた時、どう振る舞うのか。昔の人は良く言ったものである。
だが今、その力は人から人へではなく、人から物へと移り始めている。
日々、ロボットによって便利になりゆくチャモチャ星の暮らしだが、あまりにもロボットに頼り過ぎ、人間が堕落しかねないという可能性に、ガリオン・ブリーキン公爵(サピオの父親)は危機感を抱いていた。行く先に人間の衰退とロボットたちの反乱を予期したガリオン公爵は、来るべきその日の為の対応策を密に完成させ、夫人と共にナポギストラー博士に蝕まれゆく首都へとサピオを残して旅立っていった。二人が旅立ってから数日後、ナポギストラー博士らナポギストラー一世としてテレビに現れた。そして人間への宣戦布告及び実効支配について出した声明が、この1コマである。
独裁者の宣言は、いつだって寝耳に水で、恐るべき事だ。そして、人間に作られたロボットが人間に対して、まるで人間の様な形で歴史を繰り返すのを見るのは、何とも言えない恐怖がある。
最近、よくDX、DXと人は言う。
DXとはデジタルトランスフォーメーションを指す。
正しい定義としては、「ITの浸透が、人々の生活をあらゆる面でより良い方向に変化させる。」とあった。
全ての物がデジタル(データ)にトランスフォーメーション(変わっていく)という意味で、例えば今までマンパワーでやっていた事を、データで、デジタル上で、デバイスを使って行う事で、管理費を下げてより業務効率を上げ、人間の生産性と幸福度を上げようという企業の活動。と理解している(明確には違うかもしれないが)
世の中は、マジでそうであるべきである。と心から思う。
先日、こんな事があった。
今までデジカメと紙の資料で記録を残し、のちに手作業でデータ化するという業務があったのだが、今年から現地で全てアイパッドでデータ入力と撮影を行い、その場でクラウド上に報告書形式まで落とし込む事が出来ると言う夢のようなインフラ付になったのだ。
そして素晴らしい事に、業務に必要な補足資料・確認すると業務をスムースに行える数百という個別の資料を、そのアイパッドのブラウザアプリで瞬時に読み込んでいつでも見られるというオマケまでついたのだ。
これは業務そのものの効率化だけでなく、いままで曖昧にしてきた部分を明確にし、ありがちな「形になったけど、これでいいのかはわからない」を極力なくすことが出来たのだ。さらに後のデータ処理も丸ごと無くなった。
こうなると業務を行う人への負担はガクンと減るので、余った脳のリソースを例えば安全へと向けたり、取りこぼしなどの確認へと割く事が出来る。また、業務に書ける時間も大幅に減るので、QOLを上げる事も可能になろう。または、別の業務へもリソースを割く事が出来るので全体の生産性も上がると言える。
と言うように、とても些細な事かも知れないが、単なる業務のオートメ化も一つのDXの形であると言えるだろう。
と、ここまで聞いて我々は手放しで「素晴らしい事である」と断言できるだろうか。
残念ながらすべての事象には必ず陰と陽が存在する。光あるところにまた、影もあるのである。
アイパッド上で業務を行う事になったという事は、現地では一切のメモを取らないという事になる。ちょっとした気づきのメモは、定型化されたフォームには入らないのである。すぐさま、その他の事象を記入するための「備考欄」を設けてもらう事にした。現地で得られた感覚的な事も、業務の成果でありながらも永遠に失われてしまうからだ。
合理化という名のもとに失われていく感覚的な事は、どちらかと言うと職人芸的なカテゴリーに近いかも知れないし、全てが残せる訳ではないのだろうが、そういったものの取りこぼしも、ともすればDXと共に起こるのでないかと感じた。業務を定型化することの怖さとも言える。空欄さえ埋めればいいという訳では無いのだ。
また、業務に必要な個別の資料を開くブラウザアプリには、十分な通信環境が必要になる。残念ながらまだ、地下や例えば山奥だと通信環境は著しく悪くなる。そうするとブラウザが開くまでの時間を、ただぼーっと待っているだけの時間が発生する。最悪なのは、「タイムアウトしました」の文字が待った後に出てくる事である。
効率化されて短縮された時間軸の中に、突如発生する「微妙な待ち時間」は、下手をすれば非効率な仕事よりもストレスフルだ。通常、僕たちは5Gの普及により通信速度は著しく改善されていて、ほとんどの場合で「容認できるくらいの待ち時間」でしかブラウジングしていないと言える。そこに、突然普段無いほどの待ち時間が発生するので、より受け入れがたく感じているのだろうと考える。
月間通信量がどのくらいなのか。という点も忘れてはいけない。格安SIMキャリアとの契約は、確かに安い。だが安いのには訳がある事くらい大人はわかっているだろう。
月間10Gの契約で、月間20日〜25日程度の実働を行うとする。しかし初動10日間の通信料がすでに11Gをたたき出しており、見事な通信制限が掛かり、やりたかった事は出来ない状態になっていた。残りの10〜15日が仕事にならないので、別の通信量の残っているアイパッドと交換すると言う作業が必要になった。
アイパッドそのものを交換する、と言うのは応急処置の苦肉の策でありコスト的に言えばイニシャルが掛かり過ぎている。やはり根本から解決するためには、通信量の契約を見直す他ない。
もちろん契約を見直す事はそこまで難しい事ではない。しかし、契約を見直すという事の稟議を通すのは難しかったりする。そもそものプロジェクトの見積が悪かった事を認める事になるからだ。ハンコをもらうのに面倒くさい根回しが必要になるかも知れない。
通信量のように有限である。という事で言えば、バッテリーも同じだ。アイパッドを渡すという事は、そこに追加で充電できる環境を一緒にくっつける必要があるという事でもある。コンセントがある場所、またはモバイルバッテリーを一緒に支給する必要がある。最初からそこまで見積らなくてはならない。
モバイルバッテリーを渡すと言っても、でかくて重たい物ではダメだ。それを持ちながらも、業務に支障が起きないくらいのサイズと重さでなくてならず、それでいて1日の業務をカバーできるほどの容量がいる。
もっとも最近では小さくて容量の大きい使い勝手の良いモノが沢山出ているので、見つけるのにそこまでは困らないだろう。だが、モバイルバッテリーとアイパッドを「有線」でつなぐ必要がある事を見落としてはいけない。その2、30cmの接続が、別の、命に関わるようなトラブルを呼ぶかもしれないのだ。
アイパッドにせよ、アンドロイドタブレットにせよ、防水・防塵・耐衝撃の機能を持たせるに越したことは無い。落として画面が割れたら、そこで作業終了だし、代替品が来るまで作業はストップするかもしれない。
全体を別のケースで覆ったり、緩衝材を噛ませるなどの施策が必要だし、落下防止措置も必要なので、決して切れる事の無さそうなストラップを作業員の身体に取り付けるべきだ。そして、このストラップがモバイルバッテリーのケーブル同様に、トラブルを生まないような施策を必要とする。
データ処理をしなくて済むようになったという事は、今までデータ処理をしてきた人の仕事は無くなったとも言え、ヘタするとその人は職を失うかもしれないのである。
DXは望ましい事だ。しかし、業務をDXにするのであれば、少し踏み込んで考える必要がある。
何か一つの事が改善された時、別の問題が浮かび上がってくるという事を忘れてはいけない。と考える。代償と言うと言い過ぎだが、何かが立てば、何かが倒れるとも言える。双方を支えようとすると中途半端に成り兼ねない。その倒れる何かを切り捨てても良いと言える程に準備できた時、その時がDXの完了とも言えるのではないだろうか。
DXに伴うアナログな準備。もとい、DXにはアナログな準備こそが必要である。とも言い換えれる。特に、適応先がアナログな環境であればそれは顕著になるだろう。
さてチャモチャ星の人たちは、考えるのも面倒になったので、自ら考える事が出来、別のロボットを生み出す事の出来るナポギストラー博士を作った。
既に我らの地球でも、何かを行うためのプログラミングを自動でする事の出来るプログラムやAIは存在しているが、そこまでの発達は出来ていない。
ここに至るまでの経緯を考えると、チャモチャ星の人たちはとても優秀であったと言える。必要な仕事をロボットに任せる事で、人は安寧を得られるのでないかという理想に対して、まっすぐに突き進んで文明を発展させてきた。
そして、それは希望通りに成った訳である。
ブリキの迷宮のキーになるのが「イメコン」の存在である。イメージコントローラー、つまり人は思うだけで、ロボットにしてほしい事をしてもらえるのだ。
指示を入力するという動作を、ノーモーションで行うことが出来る。指示を入力するという脳波をデジタルに変換してロボットに送信する事が出来る。実は、これがDXの最終地点と言うか究極点であると言える。
デトロイト・ビカム・ヒューマンというゲームがある。AIを搭載されたアンドロイドたちが社会に溢れ、仕事を奪われて困窮する人達が増えるという近未来の設定の中で、人間の感情に似た何かがそのアンドロイドたちにも芽生えてきたらどうなるかというストーリーである。未プレイの人は是非やって見る事をお勧めする。名作だ。
そのアンドロイドたちも、さすがに人間の感情を、表情や行動から推測・分析する事は出来ても、ただ理解するという事は出来ていなかった。(作中、ちょっとずつ理解するようにはなるが、それはあなた次第)
話をイメコンに戻すが、イメージでコントロールすると言う事は、人間の感情や心をロボットにトランスポートするという事であるとも言える。作中でも、イメコンの発明について触れられてはいるし、ほとんどの人がそれを使っているようだ。ちなみに、サピオが執事のブリキンや荷物運びのピエロ、そして、うさぎのタップに行動を促すのも、イメコンによるものだ。
が、イメコンそのものの形は出てこない。物体として描かれていないのである。
どのような発明品なのかはハッキリとしないが、もしかしたら体内に装着するチップの様な物かもしれない。分別がつく年齢になったら装着されるのだろうか。
22世紀のイメージコントローラーは、鉄人兵団のザンダクロスを動かす時に使われていたが、それは手のひらに握るタイプの形のある物だった。握って思う事で出力するのだ。
だが、あくまでもツールである22世紀のひみつ道具に比べて、チャモチャ星のイメージコントローラーは、人間の心を直に拾いとる物であろうこと、そしてほぼすべての人が使っていると考えられるので、ある意味でチャモチャ星の人の心そのものと言えるだろう。それゆえに、具体的な形は描かれていないのではないだろうか。
イメコンの素晴らしい点と言うか、チャモチャ星の人たちが命拾いしたのは、きっとロボット側からのアクセス権が無かった事だ。
人間からロボットへのアクセス権は存在して、そのソース(心)はロボットに流れていくが、その逆は無いのである。
言い換えると、指示命令をしてくる人間の心はイメコンを通じてロボット側に見えている。そして、その逆は無い。ロボット側のアウトプットを人間は認知していないのだ。
AIやロボットには無くて、人間にある物。それは心。だなんていうと、とっても臭い気もするが、たぶんそうである。
だが、ロボットに本当に心は無いのだろうか。絶え間なく流れてくる人間の欲求という形の心。チャモチャ星の人たちは、基本楽をしたいし、面倒な仕事はすべてロボットが行えば良いと言う理想があった。
人間から送られてくる指示の根源である「心」、をナポギストラー博士たちロボットは見つめ続けていたのかも知れない。そして、選択したのが人間の処分だったのだ。
冒頭で、人が今まで持っていなかった力を持った時、どのように振る舞うかでその人の本当が見えてくるというような話をした。
ナポギストラー博士をはじめとするロボットが、今まで持っていなかった力、「心」を持った時、どのように振る舞ったのか。それを考えるとゾッとする。何か生理的に感じられる恐ろしさだ。
狂ったように見えるロボットたちの行動の根源は、人間の心だと言うことになるのだ。
ブリキの迷宮こそは、これからのDX時代・デジタライゼーションを迎える僕たちにとって、絶対に読むべき超名作だ。糸を巻きながらでもいいので、是非ご覧いただきたい。