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フリーランス母。育児中心の生活を選んだ理由と、産後4ヶ月の気づき

2024年8月に第1子を出産してから、4ヶ月が経ちました。

妊娠中、つわりが落ち着いてきた頃に書いたnoteを読み返すと、子どもの誕生を楽しみにしつつも自分のキャリアについてあれこれと考えを巡らせていたことを思い出します。

産後4ヶ月が過ぎた今は、子どもと過ごす時間を優先しつつ、平日1〜2時間だけ仕事をする生活をしています。

なぜこの生活に落ち着いたのか。その答えとともに、私が子どもが育つ環境や自分自身のありたい姿についてどのように考えているのかを書いていきたいと思います。


出産前の私の働き方

出産前の私はフリーランスのライターとして、基本的には自宅で執筆する時間を多くとっていました。その他、取材やインタビューをしたり、研修プログラムの企画や運営をしたりすることもあったので、外出することも時々ありました。

いつどこで働くかはほとんど自分で決められるので、かなり柔軟に働くことができていたと思います。

仕事が好きではあるものの、のんびり過ごすことも好きな私は、日々の仕事時間は6時間程度で、朝や夜に日記を書いたり、散歩や読書をしたりする時間も大切にしていました。

出産前の私は、そんな“じぶん中心”の暮らしをしていたなと思います。

子どもが生まれてからの変化

出産した後は、自分が別人のように変わったような感覚がありました。

育児に関する夫からのちょっとした発言に涙が出るほどの怒りを感じたり、子どもの発達の状態が気になってネットで過剰に調べたり。出産前の私は感情の起伏はあまりない方だったし不安感もそこまで強い方ではなかったので、この変化には自分でも驚きと戸惑いがありました。けれど、考えてみれば当たり前のことかもしれません。

9ヶ月もの間、自分の身体の中で大切に守り続けてきた命。
命がけでこの世界に送り出した命。

そんな新たな命を守ろうとする本能があり、それが感情や行動に現れるのは生き物として自然なことです。

妊娠中は、ずっと考えていました。

「今、地震が起こったらどうやってお腹の子を守ろう?」
「私が病気になったら、お腹の子は助かるだろうか?」

子どもの命が自分の胎内に宿ったときから、ずっとその命を守ろうとしてきたのだと思います。

産後は特に、ホルモンバランスの変化で急に涙が出たり胸がキューっとなることもありました。4ヶ月たった今は落ち着いてきたけれど、寝ていても子どもの小さな声にパッと目がさめたり、離れていても子どもの様子が気になることを考えると、「子どもの命を守ること」に関しては強い意識が働いているような気がします。

そして、やっぱり自分の子どもには特別な可愛さがあります。たくさん触れ合いたくなるし、抱っこしたくなる。ミルクやおっぱいを飲んでいる姿も最高に愛おしい。親に「かわいい…!」と思ってもらうことは、子どもにとっては生きる術でもあるので、生き物はよくできているなと思います。

一方で、可愛い我が子と過ごす時間だけで十分かというと、実はそうとも言い切れないのです。当然ですが、子どもが生まれてから自由に使える時間は減りました。

夜中であっても子どもが起きたら授乳をしなければいけないし、泣いていたら腕や肩が痛くても抱っこをし続けることもあります。子どもが昼寝をしたタイミングで、本を読もうと椅子に腰掛けた途端に泣き始めることだって日常茶飯事。

すべてが子ども中心に回っていくのです。もちろん自分の子どもはかわいくて愛おしい存在。けれど、「今これをしよう」と思ったことがとことん遮られるのはなかなかつらいものです。

そんな状況の中で、産後の体が回復してきた頃に感じたのは、「何かクリエイティブなことがしたい!」という欲求でした。文章を書いたり、誰かにインタビューをしたり、新たな企画を立てたり。そんな出産前にやっていたことがしたくなったのです。

けれど、少なくとも子どもが0歳の間は保育園を利用しないと決めています。夫婦で話し合った結果、我が家では主に私が育児を担当することになりました。

育児中心の生活を選んだ理由

その理由は、子どもの成長を近くで感じたいから。そして、子どもが育つ環境をより良く整えたいから。この2つです。

子どもの成長を近くで感じたい

生後4ヶ月になるまでの我が子の様子を見るだけでも、日々ものすごいスピードで成長していくのがわかります。おしゃべりするように声を出すようになったり、笑ったり、手をしゃぶるようになったり、足をあげるようになったり。気づけば生まれてから身長は10センチ以上伸び、体重は2倍以上になりました。

そんな風に目まぐるしく変化する我が子を見ていると、一瞬で過ぎ去ってしまうであろう今を十分に味わいたいと感じるようになりました。

さらに、仕事をする時間と子どもと過ごす時間を天秤にかけたとき、子どもが0歳である今は後者の方が優先度が高いなとも思いました。仕事にもタイミングがあるので、きっと今だからこそ掴めるチャンスもあるでしょう。そうだとしても、自分の体が動く限り仕事はいつだってできます。でも、どんなに望んでも10年後に“今”の子どもの成長を感じることはできません。

「もう十分に子どもと一緒に過ごした!」

そう思えるくらい、今はこれでもかというくらい存分に子どもとの時間を満喫してもいいのではないかなと思っています。

子どもが育つ環境をより良く整えたい

そして、親として子どもが育つ環境を整えることには全力を尽くしたい気持ちもあります。

子どもが育つ環境については、妊娠中から夫婦でよく話していました。

私たち夫婦が大切にしているのはイタリア発祥の教育法「レッジョ・エミリア・アプローチ」の理念。創設者の一人であるローリス=マラグッツィさんは、そこに込めた思いを詩で表現しています。以下は、詩の一部。

子どもは100の言葉を持っている
(そして もっともっと何百も)
けれど 99は奪われている

学校と文化が 頭と体を切り離す
彼らは子どもにこう言うのだ

手を使わずに考えなさい
頭を使わずやりなさい
よく聴きなさい 
しゃべってはいけません
楽しまずに理解しなさい

教育とは、空っぽの状態の子どもに新しいことを教えることではなく、子どもが持っている100の言葉を表現できるように環境を整えることだと私は思っています。そのために親として我が子に対してやっているのが、「人」と「言葉」に触れる機会をたくさんつくること。

例えば、家族3人で人に会いにいく旅をしたり、我が家に人を招待したりしています。そして、1日10冊の絵本の読み聞かせをしたり、子どもが起きている間はたくさん話しかけたりするようにもしています。

そんな風に子どもと過ごすことは、5年後でも10年後でもなく、脳が急激に発達している今だからこそ価値があると思っています。

「子どもとどう関わるか」より、「自分がどうあるか」

先日、子どもに読み聞かせをしようと借りてきた絵本のストーリーが、とても印象に残りました。

絵本のタイトルは、『おでかけのまえに』。

お父さんとお母さんと一緒にピクニックに出かけることを楽しみにしている女の子の、お出かけ前の様子が描かれています。女の子はお手伝いをしようとお弁当箱におかずを詰めたり、お父さんのかばんのチャックを閉めようとしたり…。

そんな女の子の行動を、お父さんとお母さんは決して叱ることなく、「あらあら」と優しく見守ります。

あぁ、こんな関わり方ができらたいいな。

絵本を読んでそう思いました。子どもが自分の好奇心に従って行動したことであっても、大人にとって都合が悪い行動であるとつい怒ってしまう。けれど、それによって子どもは元々持っていた100の言葉を奪われていくのではないかとも思うのです。

「イライラしないようにしよう」「怒らないようにしよう」と自分に言い聞かせたとしても、心に余裕がなければそれは難しいことです。だから私は、子どもと一緒に過ごす時間をたっぷり取ることを優先しつつも、自分自身を良い状態に保つことも優先度を高くして、これからの暮らしを考えていくことにしました。

その結果、育児を中心としながらも平日は少しだけ仕事をするという選択にたどり着きました。

この選択ができたのは、働いてくれている夫や、私が仕事をしているときに子どもを見守ってくれる両親がいるからです。そして、私の状況を理解してくれる仕事仲間がいるからだと思っています。

最後に

子育てにはいろんな価値観があり、環境だってさまざまです。私自身、毎日「これでいいのだろうか?」と悩むことを繰り返しているし、これが唯一の正解だとは思っていません。

その中でも1番大切なのは、親である自分自身が楽しく生きることなのではないかなと思っています。

あなたにとって、それはどんな状態でしょうか。

フルタイムでバリバリ仕事をすること?
子どもとの時間をたっぷりとること?
自分の趣味を満喫する時間があること?

その答えは、人によって当然違うと思います。環境によってはその望みを100%叶えることが難しいかもしれませんが、自分の望みを知り、それを目指すだけでも十分価値のあることです。

「この世界で生きることって、何だか楽しそう」

親の姿を見て子どもがそう感じてくれたら、何より嬉しいことではないでしょうか。






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建石尚子
最後までお読みいただきありがとうございます(*´-`) また覗きに来てください。