虐待を受けてきた大人が、結婚や子育てをするときに直面すること。
虐待や、虐待と本人が思っていなくとも親から不適切な関わり(マルトリートメント)を受けて育った大人が、結婚・出産・子育てを経験するとき。
幼い頃から、人権を尊重されず、親の都合ばかりが優先され、心の傷つく行いを当たり前のようにされ
そんな過酷な環境から必死で抜け出し、社会に出て、心の傷を誰にも言えずに生活を営む。
そして、この人となら、と思える人と奇跡的に出会い、結婚したいと思ったとする。
まずその時点で親からの結婚妨害や依存、束縛に悩まされる。そしてそんな親がパートナーやパートナーの親族からどう思われるか、という不安や悩みもまた大きい。結婚式をするとなれば、式場や招待客への口出し、はたまた親への感謝の手紙をどうするか、なんて問題にもぶつかる。
なんとかこんとかそれらを乗り越え、無事に結婚して、子どもを授かったとする。
「親のようにはなりたくない」「わたしは絶対に幸せな家庭を築くんだ」
そう、誰よりも心に誓う。
親から傷つけられることの痛みを、誰よりも誰よりも知っているから。
妊娠期間中、悪阻や貧血などの体調不良を、思うように動けない体でなんとか乗り越える。
痛みに耐え、いざ我が子を胸に抱き、先程の思いはさらに強まる。
「大切に大切に育てよう。私がされてこなかったことを、してほしかったことを、この子には目一杯与えよう」
そう、改めて強く強く心に誓う。
そして、そこから始まる初めての子育て。
「私は親みたいにならない」
「どんなときも優しく」
「子どものありのままを受け止めて」
そう思って子育てを始める。
だけど途中で、心が苦しくなる。
目の前で「自分」を思いっきり出して泣きわめく我が子に、なぜかイライラする。
だけど
「ありのままを受け止めなきゃ」
「怒鳴らないで冷静に伝えなきゃ、心に傷が残っちゃう」
そう思って、そのイライラを見ないふりをする。 自分を押し殺し、「良い親、優しい親」であろうとする。
だけど、感じたイライラは無くならない。無くならないどころか、心に積もって積もって、雪だるまみたいになる。そして何かをきっかけにして崩れる。
そのとき、その人は絶望する。
「親みたいにならない、って決めたのに」
怒鳴ったり、子どもの心が傷つくことを言ってしまったりした自分を、これでもかというくらい責める。
そしてこれは、一度や二度ではなく、子育ての中で何度だって襲いかかってくる。
子育ての指南書には書いてある。
「抱き締めてあげましょう」
「大好きだと伝えましょう」
「心の根っこを育てて、自己肯定感を育みましょう」
わかってる。だって誰よりもしてほしかったから。
だけど、だけどそれだけじゃわからない。
荒れ狂う自分の心をどうしたらいいかも
子どもに溢れ出る「あなたはいいよね」「うらやましい」という感情をどう扱ったらいいかも
時折顔を出しそうになる夜叉みたいな自分を、どうしたらいいのかも。
虐待防止、を本当に叶えるなら、ここを避けては通れない。
愛されたかった子どもが親になって、自分の子どもを愛そうとしたとき
その中で絶望に直面したとき
大丈夫だよと言ってくれる人が必要だ。
子育てのhow to ではなく、子どもの自己肯定感を育みましょう、ではなく
まずはあなたがよくここまでがんばってきたねと伝え、荒れ狂う感情も顔を出す夜叉も、全部あなたががんばってきたからこそあるものだと伝えて
そこからどう歩んだらいいか、共に考え、寄り添い、信じてくれる人が必要だ。
私は、虐待を受けてきた自分のする子育ては「マイナスからのスタート」だと思っていた。
愛されて育ったお母さんよりも、自分の子育ては劣る。
だから、そのマイナスを必死で埋めようとしていた。
だけど、虐待を受けて育ったお母さんの子育てはマイナスなんかじゃない。
自分はこの子を愛していく。同じような思いはさせないんだ。
そう思うことで、子どもと一生懸命向き合うことができる。
どうすれば、子どもが愛されていると感じるか、真剣に考え、学び、実践することができる。
傷ついたからこそ、痛みがわかるし、そんなあなたの子どもはきっと優しく育つ。
絶望の先には必ず希望がある。
だけどその希望が見えるようにする必要がある。
そしてそれは一人ではできない。
だからこそ、知ってくれる人が増えたらと願う。
誰にも言えない苦しさを、心の中に潜ませながら、命を育てている人が
どうか自分が生き延びてきたことに、子どもを愛していることに、誇りをもてますように。
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