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湯に救われた話
「福岡いこうよ」
大学三回生の夏、福岡県と大分県を旅行していた。
同行者は男友達。仲良しで、下ネタでも何でも話せる仲だった。
もちろん、男女の仲ではない。
そんな彼と旅行に行くことになったのは、私が福岡に気になる会社を見つけたからだった。ハウスメーカーとお客さんをつなぐ、アドバイザーの会社。経営者は女性で、何かで知った私は気になって仕方がなかった。冬には就職活動を控えていたので(当時の就活は三回生の12月からだった)なんとなく、自分の進路を考えていた頃でもあった。
「気になる会社があるねん」と彼に電話越しに話すと、即座に「会いに行ったらいいやん」とシンプルすぎる言葉が返ってきた。
そうだ、彼は元来、明け透けで純で、とっても頼りになる私のアドバイザーなのだった。
それを聞いて私は「えっでも急によく分からん大学生が会いに行ったらドン引きされるよ」と返すと
「そんなんアポとって行ったらええやん、俺も一緒に行ったるやん」と彼は言う。
そうだった、彼はちょっぴり意識高い系学生で「アポ」とか言っちゃう人だった。そして、人並み外れた行動力とポジティブな性格を併せ持っているのだった。なんて素敵なやつ。
そんなこんなで流れに流され(?)、大学三回生の夏、二泊三日の旅を企てた。もちろん、交通手段から宿から全て彼が企て(てくれ)た。
社長さんはあっさりと私たちの「アポ」を快諾してくださり、当日、緊張しながらもこぢんまりとしたオフィスにお邪魔させてもらい、2時間以上お話を伺った。もちろん、手土産のお菓子を用意して渡したのも彼であった。(彼は洋菓子屋でバイトをしていたので、そこで調達していた)
ほんま、できるやつ。
無事に人生初の「社長訪問」は終わり、お礼と別れの挨拶をして、なんとその方が私たちの為に予約してくださったもつ鍋屋さんへ直行した。席につくと「ご連絡いただいてますので」とお店の方からイカのお刺身をサービスしてもらった。透き通った新鮮なイカを食べたのは、生まれて初めてだった。
もつ鍋とイカにお腹を幸福感で満たされ、翌日、我々は湯布院へ向かった。
湯布院の宿はなぜか駅から離れた坂の上にあり、駅でレンタサイクルを借りてひたすら立ち漕ぎをし、ゼェゼェ言いながら辿り着いた。ひっそりと、でも確かに歴史や趣を感じさせる玄関。深緑の暖簾をくぐると、宿の方が迎えてくれた。
冒頭にも書いた通り、彼とは一切恋愛ごとはなかった為、お互いの同意の上、同室で泊まることになっていた。食事を終えて、寝そべっていた彼はいつの間にか眠りこけていた。起こすのもなんだし、私は彼を置いて風呂へ行くことにした。
長い廊下をヒタヒタと歩いて湯へ向かう。
平日だったため、どうやら、人はほとんどいないらしい。
露天風呂の戸を開けても、誰もいなかった。
湯にそっとつかる。
ああ、ここの湯は熱すぎず、ぬるすぎず、まさに「ちょうどいい湯かげん」やなぁ。と、息をついた。
ふと、あの社長さんの言葉を思い出した。
「自分が苦手なことは、誰かにやってもらうことにしてるんです。」
「自分ができることはやって、ダメなことは誰かに頼る。」
正直に言うと、2~3時間お話をする中で、印象に残っていたのはこの言葉だけだった。
なぜならその言葉は、その時まさに私が抱えていた悩みにズドンと答えをくれたから。
大学に入学してからの私は、講演会やイベント、ボランティアなど様々なジャンルに手を出し、参加した。なんだ、私も意識高い系学生だったじゃん。でもそれは、目の前にどんどん現れる「新しいこと・知らないこと」が本当にキラキラして輝いて見えていたからだ。とにかく、興味のあることはやってみる。私にとって大学生活は、それまでの「内向性」という堅った~い殻をやぶり、外へ外へと手を伸ばした時間だった。
ところが、外にいけばいくほど、自分の中が見えてくる。自分にとって苦手なこともたくさん見えてくる。そんな自分の「ふがいなさ」に落ち込み、周りの人と自分を比べ、ドン底まで塞ぎ込むのがお決まりだった。
「そうか、苦手なことは誰かに任せたらええんか」
やわらかい湯と湯気が、身体ぜんぶを包み込む。
誰かの言葉が「スッ」と胸の中、心の中に入り込み、
心からその言葉に納得する。
そんな経験をしたのも生まれて初めてで、結局わたしはそのまま湯に2時間も浸かりつづけた。これまでにない「ベストアンサー」をもらえて、嬉しい気持ちが溢れていた。ずっと浸かっていたい湯だった。
2時間以上も風呂に入っていたのに、部屋に戻ると彼は眠ったままだった。もし彼が男ではなく、女の子で一緒に露天風呂へ行っていたなら、私はこんな経験をしなかっただろう。
ひっそりとした、誰もいない、心地よすぎる湯に包まれ、私の脳はきっと少し溶けていたに違いない。
数年後、社会人なってから「もう一度あのお湯に浸かりたいな」と思い、宿の名前を調べてみると、グーグルマップに「廃湯」と書かれていた。
ああ、もうあんなに心地よい体験はできないんだな。
もしも、またあんな湯に出会えたら、今の私にどんな答えをくれるんだろうか。そんな湯に出会える日を、楽しみに生きているのだ。
余談:同行者だった彼とは今でも仲良しで、でもおそらくこの話はしたことがないので今度話してみようと思います。