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生きるのに疲れた。

はじめに


はじめまして。小川と申します。現在大学2回生で、4月から3回生になります。
ずっと心の内に抱え込んでいた生きづらさを言葉にしてみようと思ってnoteを始めました。


経歴

小学1年生の時に父親が少しのお金を置いて家から出て行きました。そして、小学5年生の時に離婚しました。小学5年生から中学1年生までに人間関係で辛い経験をしました。高校に入学してからも、高校の勉強、人間関係や家族の自殺未遂で精神的に追い込まれていき、3年生の秋に不登校になりました。その後高校を転学し、通信制高校を卒業して、1年浪人という形で大学に入学しました。
浪人の1年間でも再び家族の自殺未遂などがあり、死にたいと思う機会がたくさんありました。入試期間中も死にそうになりながら勉強しました。
なんだかんだで大学2回生の終わりまで生きてきました。

生きづらさについて

私が覚えている限りでは、高校で不登校になった時からずっと希死念慮をもって生きてきました。今もずっと死にたいと思いながら生きています。最近またひどくなっているように思います。生きてても無駄だと思っています。
そこに至るまでに様々な原因があります。まず、家族に精神病の人間がいたことは大きな原因のひとつだと思います。家族の自殺未遂というものは家族に大きな衝撃と悲しみを与えます。1回目は高校から帰ってきたら家が荒れていて、救急車を呼んだと説明されました。2回目は現場にいて、自分で救急車を呼びました。今でも鮮明に覚えています。
家族の自殺未遂があったことで、自分も自殺未遂しようと思うことが多くなりました。その結果、私も大量服薬した経験が2回あります。その時は生きるか死ぬかしか考えられない状況でした。落ち着いた今でも死にたいと思うので、影響の大きさは計り知れないと思います。
次に大きな原因として考えられるのは、小学5年生から中学1年生にかけての人間関係です。あれはいじめだったと思います。着てる服を馬鹿にされる、仲間はずれにされる、複数人から人格否定の言葉を浴びせられる、事実無根の噂を流される、私にとって大きなトラウマになりました。
私は手汗がひどい人間なのですが、小学5年生のときに当時のグループで手を繋いで遊んでいたので、混ざろうとしたら手汗がひどいから無理と4人くらいから笑いながら言われてその場で号泣したことがあります。こういったことが原因で人間関係を構築することが難しくなりました。というより、友達と思っていた人からそういうことをされたので、自然と友達という存在に対してのハードルが上がり、どこからが友達なのかと考えてしまうようになりました。そして、周囲からの評価を気にするようになりました。周りの人にいじめられたのだから当然の結果であると思います。しかし、悲しいことに、これを他の人に相談しても

“自意識過剰”

という言葉で片付けられたことがあります。
価値観は人それぞれですが、私にとってこの言葉は呪いです。過去に辛いことがあって周りを気にするようになった人には絶対に使ってはいけない言葉です。気にしたくなくても気にしてしまうのです。自意識過剰な部分は誰しも持ち合わせている性質です。自分はお前とは違うという風に相手に言うのは間違っています。
他にも様々な原因があります。両親の離婚、家庭環境そのもの、自分自身の性格などです。
どの原因に対しても可能な限り掘り下げていきたいと思います。

終わりに



まだまだ拙い文章ですが、よろしくお願いいたします。ここまで読んでくださり、ありがとうございます。





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