多趣味=多才ではないから
おはようございます。
確固たる夢を決め、毎日のルーティンが決まってきた今だからこそ
感じたことを書きたいと思います。
私は34年間、とくに目標もなくふわふわと生きてきたと思います。
興味関心の幅が広く、やりたいと思えばすぐに動くので
非常に多趣味ですが、どれもたいしてハマることはありませんでした。
ベリーダンス・ギター・洋裁などと、
ほかにも様々なことを試してきました。
友人には「器用だから」「多趣味だね」としょっちゅう言われています。
本人は不器用だと思っているし、多趣味だとも思っていません。
1つとして極めたと感じるものも、人に誇れるものもありません。
ただ1度にいろいろなことをするのは好きですし、
あれこれやっているのが楽しいだけです。
そもそも、そのほうが効率的だとすら思っていました。
なぜなら、私は
超飽きっぽい
性格だからです。
無理に1つのことだけをしていると嫌になっていく一方です。
やりたくないことを我慢してやれるほど大人にはなれませんでした。
単純にみんなほど頑張れない。
つまらないからほかのことをする。そうして生きてきました。
何事においてもそこまで興味を持てない。
「どうでもいい」と思っていました。
その場しのぎの「楽しい」は私のその時を豊かにしてくれました。
それでも永続するほどの「楽しさ」がないことに
虚しさを感じていたことも事実です。
今も自分の効率を上げるために、
絵本・童話・漫画とさまざまなことに挑戦しながら、
ライターや資格取得の勉強をしています。
ただ気がついたのです。
成果が上がっていない
という事実に。
よく人が言いますよね。
「1つのことを極めろ」「1つずつやれ」
両親にも、学校の先生にもよく言われてきた気がします。
でも、できませんでした。飽きるから。
それに子供の頃って褒められたいじゃないですか。
あれこれできると親が喜ぶ。そう思っていました。
そもそも小さいときから多くの習いごとや勉強をやらされてきて、
急に1つのことだけしかやらなくなったら怒られただろうなと思います。
ですが、ようやくここに来て「一点集中」することの
必要性を感じることができました。
何かを成し遂げたいと強く思った時、
人は「1つに絞りたい」そう自ら考える。
今までを振り返って思うのは、やりたいことがない状態というのは
すこぶる不安定だったのだな、ということです。
何かをしていないと自分の存在意義が見出せませんでした。
きっと遊んでいるように見えても、もがいている人がいると思うんですよ。
それは本人にしかわからないのです。
変わるきっかけは人それぞれですが、結局本人がそう感じないことには
何も始まらない。それが子供の頃なのか、お年寄りになってからなのかは
本人にも他人にもわかりません。
それでも、いつどうなっていくかわからないから人生は楽しいんですね。
この「楽しい」を続けていくための努力をすることを
私はこれから真剣に続けていこうと思います。
ご覧いただきありがとうございました。
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