やりたいことが明確な人は幸せ
坂口恭平『生きのびるための事務』を発売された頃に読んだ。
どういった内容か詳しくは忘れてしまったが、要はやりたいことで食っていくためには、逆算して計画を立てて、具体的に行動して、それを継続していく、といった内容だったと思う(違ったらごめんなさい)。
ただ、これはよくよく考えたら当たり前のように思う。要は受験勉強みたいなもんだ。こう考えたら、受験勉強というのもこのための訓練みたいなものだ。実際に坂口恭平は『中学生のためのテスト段取り講座』という本も出している。
ただ、問題は「やりたいこと」が明確に具体的になっているかだと思う。というか「やりたいこと」が明確な人は、『生きのびるための事務』的なことが出来ていると思う。多くの人は、この「やりたいこと」が漠然としており、不明確だろう。だからこの「やりたいこと」が明確な人は、もうそれだけでゴールしているようなものだ。幸せものだ。
こういったハウツー本を読むと、読んでしばらくはやる気が出るが、しばらく経つと、もうどうでもよくなる。まあこういう人が多いと思う。それは「やりたいこと」が漠然としているからだ。
本当に真に具体的にそのことをやりたいのか。これが重要になる。目の前の仕事から離れたいがための「やりたいこと」なのではないか。本当にやりたかったら、仕事をしながらでもやるはずだ。いざ時間が出来たら意外とやりたくなくなった、というのは良くある話だ。
というわけで、やりたいことが明確で具体的な人は、それだけで幸せだ。ただ、誰もがやりたいことを持てるわけではないだろう。実際のところ、やりたいことが明確な人なんて一握りなのではないか。多くの人は、嫌々会社に通って、目の前の仕事をこなし、なんだかんだで生活をおくっている。それなら目の前の仕事を一所懸命やればいいのではないか?
まあ僕はそう思って、目の前の仕事を一所懸命やってたら、ハイになってやりたいことが出てきて、それをやるために仕事をやめたら鬱になってしまったわけだ。だから、やりたいこともクソもなくなった。
まあ、やりたいことが明確な人は幸せだが、それは一握りであり、一寸先は闇だということだ。