『オー・マーシー』

ボブディランの『オー・マーシー』を聴いた。このアルバムは1989年に発売されている。ボブディランが48歳頃の作品だ。

『マーシー』というと、ブルーハーツの真島昌利が浮かんだが、真島昌利の『マーシー』は単に『真島』をもじっただけなのか、何か深い意味があるのかは分からない。

それで、ライナーノーツを読むと、『マーシー』にはこういった意味があるらしい。

マーシーという単語は、辞書を引くと、情け、慈悲、哀れみ、苦悩を救うこと、神の恵み、幸運などと表記されている。

ボブディラン『オー・マーシー』ライナーノーツ 菅野ヘッケル

精神的に参っている僕にとってピッタリの言葉じゃないか。僕はまさに「オー・マーシー」と叫んでいる。

それで曲を聴いたわけだが、渋い。さすがにボブディランが40代後半の作品なだけあって渋いのだ。

ボブディランのベストアルバムに、みうらじゅんと浦沢直樹がオススメのアルバムを載せていたので、このアルバムを買ったわけだ。彼らが勧めるのだから、ボブディランの数あるアルバムの中でも名盤なのだろう。ただ、正直言って、今の僕には良さが分からなかった。「うん。これは素晴らしい。ディランの名作だ」と言ったら嘘になる。なんせ渋すぎるのだ。ボブディランはそもそも渋い。それを更に渋くした感じだ。

僕にとって80年代のボブディランは初だった。これまで60年代と70年代のアルバムを買っていて、「ボブディランは渋いな」と思っていたが、歌い方も相まって、更に渋くなっている。僕はこのアルバムが良いと思えるまで、10年はかかるだろう。下手するとあと20年は必要かもしれない。いや、一生理解できないかもしれない。とはいえ、この『オー・マーシー』は名盤の類なのだろう。

そうはいっても、全体的に静かなので、精神的に参っていても聴くことができる。ライブ盤の『偉大なる復活』や『激しい雨』は素晴らしいが、精神的に参っている僕にとって、「ちと激しいな」と思ってしまった。そうはいっても、NIRVANAとかに比べると断然静かなのだが。

今持っているボブディランのアルバムが、
『フリーホィーリン ボブディラン』
『アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン』
『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』
『追憶のハイウェイ61』
『ブロンド・オン・ブロンド』
『ジョン・ウェズリー・ハーディング』
『新しい夜明け』
『プラネット・ウェイヴ』
『偉大なる復活』
『血の轍』
『欲望』
『激しい雨』
『オー・マーシー』
『ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・ボブ・ディラン』

以上だ。正直言って、未だにボブディランの良さが掴めていない。ビートルズは音楽的に面白く、誰が聴いても「良い」と思えるものがあるが、ボブディランは中々そうはいかない。

ボブディランの良さは歌詞にあると思うのだが、僕は精神的に参っているので、歌詞の内容が頭に入ってこない。そもそもボブディランの歌詞は意味ありげで難解なので、余計に入ってこない。

とはいえ、ボブディランの真の魅力は、歌詞ではなく、実はいうと歌声なのかもしれないと思い始めている。何かの本でシンガーとしてのボブディランに着目されていた。もしかするとそれに影響されたのかもしれない。確かにボブディランの歌い方は唯一無二であり、何回かボブディランを聴いていると、癖になってくる面がある。

とりあえず、ベスト盤にみうらじゅんと浦沢直樹がオススメしていたアルバムを買っている。オススメされている中で後持っていないのは、

『ボブ・ディラン』
『DYLANがROCK!』※みうらじゅん企画のアルバム
『タイム・アウト・オブ・マインド』
『モダン・タイムズ』

以上だ。

『ボブ・ディラン』はボブディランのファーストアルバムで、『タイム・アウト・オブ・マインド』と『モダン・タイムズ』は90年代と2000年代のアルバムだ。だから多分いずれも渋いだろう。とりあえず、これらを買ったら、ボブディランは一旦おしまいにしようと思っている。

もう少し『オー・マーシー』を聴き込むとするか。

僕は神社と寺に行き、墓参りをして、鬱や身体症状が治ることと、何かの病気ではないことを毎週祈っている。まさに「オー!マーシー!」といった状態なのだ。

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