新潟であまりメジャーじゃない風景写真を撮っている。
写真撮りをする人は誰しも、自分なりのテーマを持っていると思う。自分自身で無いと思っていても、案外ぼんやりしたテーマに沿ってシャッターを切っているもんだ。
明確なテーマが無い…と、言うよりも複数のテーマを別々に取り扱って写真撮りを楽しんでいると言った方が正解かな?
フリーターとして車の運転をしているが、一日に結構な範囲を移動するので新潟中の【誰も気にも止めないマイナーな風景】をあちこちで眺めている。
多分何も言わずに人に見せても、地元の人ですらそこがどこなのか分からないと思う。いや、実際分からなかった。
特に気にしなければ、自宅の300m先の風景なんて知らない人も結構いることでしょう。でもそこが面白い。
そんな風にして誰も気にも止めない、或いは知る事の無い風景を感じる事を大切にしている。
誰かに見て欲しい風景がある
写真は撮ったらやっぱり誰かに見て欲しいと思うもの。そこにはウソ偽りの無い感動があるものだ。
そんな風景には撮り手自身の物語がある。誰の心にも似たような空が広がっているもんだ。
時代と共に風景は変わっていく。ある写真家がなくした幼き日々の思い出の場所。その写真家はもうこの世にはいない。二度と取り返せない時の中で、渾身の想いでシャッターを切った一枚は、夕暮れのコントラストの中に確かに見た事が無い風景が広がっていた。
もうじきここも、雪の下。だ~れも知らない雪の下。新潟を始め雪国には、冬季閉鎖になる道が結構ある。そんな道は夏場も案外誰も来ない。誰も来ないからこの景色を知る人も誰もいない。
この巨木が倒れたのはずっと前の話。この巨木が山に還るのは、きっと死んだ後の話。ここで巨木が倒れている事を知る人はいない。知ってるのはせいぜい熊と、それを狙う猟師だけ。
新潟で山登りをする人なら誰でも知っているはずの風景。でも新潟で山登りをしない人は誰も知らないであろう風景。新潟県史上、指折りの事件の舞台になった川。こんなに綺麗なのに、今も苦しむ人が居る。
メジャーだけど、マイナーな風景。毎日沢山の車が通る所。活気溢れる時代の語り部。今はただ、水平線を見つめてこの世界の行く末を案じているのか。
「来た人はみ~んな、いいとこだ~いいとこだ~って言うんらろも、だあ~れも引っ越してきちゃくれん」
そんな話を以前、年寄りとしたことがある。そうさ。それとこれとは別なんだ。そうやって人々は大切なものを失っていく。
こういうのを伝え残す方法を考えている
子供の頃からずっと、他の人にとってはどうでもいいであろう風景にいちいち感動していた。ネットが普及した世界になって、実は同じように感じている人が結構いる事を知った。
一人で孤独に何かをするのは大変だが、そんな思いを形にして届けてみたい。