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妻と歩んだ日25〜退院と迷い〜

2022年6月

お見舞いに行く度、妻は退院すると言って聞かない。
それがどんどんエスカレートして、見舞いにいくと着替えてすぐに病室から出ようとする。

主治医はもう少し入院を勧める。と言っていたが、無理を言って退院させてくれる事に。

すぐに在宅医と在宅看護師の人も来てくれた。


病院で主治医は旅行は難しい。と判断。

在宅医は、責任は自分が取るので、最後の旅行は是非行って欲しい。と。

ただし、今日から、毎日点滴が必要なのでら点滴の方法を覚える。

中身は生理用食塩水とアミノ酸。

鎖骨の部分にポートがあるから、そこから入れたら大丈夫。もしポートが抜けた時のために、刺し方も。

しっかり教えてもらったので手順は覚えた。そんなに難しくない。不器用だから、テキパキとは行かないけど、そこは許して欲しい…

不動産屋から、もうすぐ完成。6月末には引き渡しが出来ると連絡。完成したらまた連絡します。と。

急いで引越しの手配も進める。

妻の誕生日は、新しい家で…

妻の誕生日に間に合うように調整。

まだ住所表記はないけど、地図で説明。

無事、引越し業者も決まる。

決め手は、見積もりのために来た引越し業者は、大体妻を見て悲痛な顔をする…

そんな中、1番表情に出さずに、ちゃんと妻に一声掛けてくれた業者にした。

そして、病院に検査へ。

肺炎で抗がん剤を入れられなかったので、肝臓の方が一気に進行している。お腹の上から触ったら、肝臓の形が分かる程カチカチに。

そして、今の状態で出来る処置はほとんどない。と。
薬を入れても、肝臓にダメージを与えるだけだと。

そして最後に、本当に旅行に行くのか?と。

行く。と言うと。

主治医としては、一応止めなくちゃならないから。と、言った後に、気をつけて、行ってらっしゃい。と。

下の子の3歳の誕生日。

家族でお祝い。妻も笑顔でお祝いしてた。

そして、数日後、旅行まで、後一週間を切った頃…

妻はもう固形物を食べられなくなった。

立つ事もギリギリ。

トイレにも1人では行けない程度に弱っていた。

あぁ、こんなに細く、軽くなって…

意識がハッキリするのは、点滴中か、点滴直後だけ。

それ以外は目を開けたまま、布団の上でじっとしてる。

いや、子ども達の前ではハッキリしてたな…

後、トイレの時も。

母親として、女性としてのプライドがあるんだろう。

そんな妻は、とても綺麗だった。


粉薬はもう飲めないと言う事で、医療用麻薬も貼るタイプに。

自分の身体に付かないように気をつけて。と言うアドバイスと、痛そうなら、用量は気にせず痛みが無くなるまで貼って良い。と。


もう自分でもハッキリと分かる…

死が確実に近いている事。


日に日に衰えていく妻。

一週間でこんなにも変わるのか…


そしてそんな妻を見て、本当にこの旅行は行って良いのか…

命を削る行為なのは、確実。

1日でも長く生きて欲しい自分と、妻の願いを叶えたい自分。


在宅で点滴を開始してから、夜はお義母さんと子ども達は寝室に。

自分と妻はリビングに。
点滴掛けるちょうど良い場所が、リビングのカーテンレールしかなかった。

この時から、夜が怖い…

寝るのが怖い…

朝、目が覚めて、妻が居なくなるのが怖い…

寝てしまったら、もう妻に会えないかも知れない…

妻を一人で逝かせる事だけは、絶対にしたくない…

もうそんなレベルまで来ている…

在宅酸素の音と、苦しそうな妻の呼吸。

たまに寝息が聞こえるとホッとする…

点滴の残量を気にしながら、また夜が明けて行く…


旅行3日前、旅行中の酸素ボンベをホテルで受け取れるようにしてくれたり、旅行中の点滴セットや、機内持ち込みの証明書などを用意してくれた。

そして、最後に在宅医の先生から手紙を渡される。

もし、体調が優れなくて、病院に搬送されたら、この手紙を渡して欲しい。と。

お守りになることを祈ってる。と。


そして、主治医、在宅医両方共通して、移動は、新幹線の方が良い。と。


それは、突っぱねた。予定通り飛行機で。

なぜなら、もう妻は4月に皆んなにいつ何する、どこのホテル泊まるりと言うスケジュールを送ってるから。

妻のたてたスケジュール通りに進めないと、すぐ不機嫌になるから。

それは、妻の親、姉弟、自分の共通認識。

だから、無理にでもこのスケジュール通りに行く。と。

これが正解なのか、そんなのは分からない…

自分で決めた事なのに…

もう、誰か決めてくれ…

いや、決められたらきっと恨んでしまう…

妻の命に関わる決断…正解かどうか分からない決断し続けるのは…辛すぎる…

誰にも言えずに葛藤してた…



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