
おじいちゃんと私の話
これは、私と祖父の話です。
私の祖父は、昨年の12月になくなりました。
きっと、あなたは涙を流す。
寒い日のことだった。
体調不良で寝ていた私は、ふと目を覚まし、父の部屋へ行った。他愛ない会話をして部屋を出ようとしたそのときのこと。
「おじいちゃん、なくなったって」
そっか、としか言えなかった。
私の祖父母は首都圏に住んでいて、年に一、二度しか会うことができず、たまに電話をする位だった。そのため、正直、あまり実感が湧かなかった。
冬休みになったら、祖父の葬儀が行われることになった。家族だけの葬儀だ。
私は、実は祖父が苦手だった。
祖父は、私が生まれた年に脳出血で倒れたのだそうだ。だから、私の記憶に残る祖父は、なんだか普通とは違っていた。会話も出来るし、当たり前の生活を送ることは出来たが、何かが違うと幼いながら思っていた。
そして、私が成長するとともに祖父は認知症を発症し、進行していった。
だんだん、祖父母の家に行くのが怖くなった。きっと、少しずつ変わっていってしまう祖父を見るのが怖かったから。いつか忘れられてしまうのではないかと、怖かったから。
電話をするとき、毎回、元気ですかと聞いてくれた。しかし、1回の電話で、何度も元気ですかと聞かれるようになった。その回数がだんだん増えていく。どんどんおかしくなっているのだと嫌でも感じてしまった。
祖父の葬儀は、祖父母の住む県で行われることになり、冬休み、ホテルを取ってそこに行った。
祖父の葬儀が行われたのは、山奥の葬儀場。私の住む地域とは大違いで、真っ青な空が広がっていた。落ち葉がカラカラと音を鳴らしながら乾いた風に舞っていた。
祖母と、二人のおじ、父と母、そして私。葬儀場のなかで、祖父の遺体が来るのを待った。
祖父の遺体が到着し、小さな部屋に通された。そこで祖父の棺が開けられ、数ヶ月ぶりに祖父と対面した。
今にも起き上がりそうだった。肌が少し黄色っぽく目をつむっているだけで、触れれば温かそうで。でも、私の知っている祖父よりずいぶんと痩せていて、とても見ていられなかった。
祖母が祖父に触れた。
「こんなに…冷たくなって…」
私は、どうしても触れられなかった。まだ信じられなかったから。頭では理解していた。祖父がなくなったということを。でも、なんだかふわふわしていて、夢の中のようで。
祖母が、がさごそとカバンの中を探った。
「これ、おじいさんが55年使ったお箸ですよ。結婚祝いでもらったの覚えてますか。あの世でも使ってくださいね」
じわりと視界が滲んだ。
それだけを棺に入れ、祖父の棺は火葬場に運ばれていった。ただ、棺の後ろをついて行った。
祖母の言葉で、祖父の死を改めて突きつけられた気がした。その瞬間、唐突に祖父が亡くなったことを実感した。じわりじわりと視界がぼやけて、前が見えなくなった。
祖父の棺が火葬場の中に入れられる。
――待って。まだ何か――
私の思いも空しく、扉がガシャンと閉まった。
扉の前に大きく重そうな台が置かれ、その上に祖父の写真が置かれた。
火葬が終わるまで、広い部屋で待つことになった。
涙が、抑えられなかった。
祖父の死を唐突に理解したとき、祖父との思い出がいくつも蘇ってきた。
優しい声で私の名前を呼んでくれたときのこと。
家に行くたびに身長を測ってくれたこと。
いつも体調を心配してくれていたこと。
扉が閉まるあの瞬間、言わなきゃいけない言葉が浮かんだ。私が、言わなきゃいけなかった言葉。でも、言えなかった。それは、そのときの私にはあまりに重すぎて。
祖父は、ストイックな人だったと父から聞いた。
その最たるものは、自分で痛風を治してしまった事だと父は言っていた。
痛風になった祖父は、運動のために遠く離れたジムまで自転車で毎日通い、水泳をして、また自転車で帰って来るという生活をしていたそうだ。そして、ついには自力で痛風を治してしまったのだ。
だが、そのストイックさが徒になったのかもしれない。祖父が脳出血を起こしたのも水泳の最中だった。
私は、脳出血を起こす前の祖父を知らない。ストイックな祖父を。
受験勉強をしているとき、父は私に、おじいちゃんの要素を受け継いだかな、とよく言った。だが、いろいろな祖父の話を聞く度、私はそんな風ではないと思った。しかし、そんな祖父に憧れていた。
祖母が突然立ち上がり葬儀場のスタッフに聞いた。
「ここに煙突はあるかしら」
スタッフがないと答えると、祖母は悲しそうに戻ってきて言った。
「最後のお見送り、したかったんだけどね」
心臓をギュッと握りつぶされたみたいだった。うまく言葉に出来ない気持ちが、むくむくと重さを増していった。
ただ刻々と時間だけが過ぎた。
葬儀場の館内放送で火葬が終わったことを知らされた。私は、怖くて動けなかった。さっきまで今にも動きだしそうだった祖父が、骨になってしまっているのだから。母に手を引かれ、また小さな部屋に入った。
そこには、小さくなった祖父がいた。
壺の中に骨を入れるために持ち上げたとき、とても軽かった。祖父はあっという間に小さな壺の中におさまってしまった。
心臓が冷えた感じがした。まるでビルの屋上の縁に立たされたような、そんな気分になった。
葬儀場を出ると、変わらず青い空があった。風は冷たく、耳元でびゅうびゅうと音を立てている。乾いた落ち葉は風にくるくると舞った。
地面には、落ち葉の跡があった。落ち葉の色が、落ち葉の形に残っている。落ち葉はもうないけれど、跡だけがそこにあった。残っていた。
歩く度、乾いた落ち葉がかさかさと音を立てた。その音が響く度、私の心の穴は深く大きくなった。
それから、祖父を連れて祖母の家に帰った。夏休みぶりに訪れた祖母の家は、少し空虚な感じがした。
玄関で靴を脱いだ。すると、隣に見覚えのある靴があった。祖父のものだ。黒くて、私のものより一回りか二回り大きな靴。涙が零れそうで上を向いた。すると、そこには祖父の外套と帽子が掛かっていた。健康のために散歩をする祖父がいつも使っていたものだ。リビングに入れば、いつも祖父が座っていた椅子が、主を亡くし悲しそうにぽつんと置かれていた。椅子の背の後ろには、祖父の愛読書がずらりと並んだ棚が、変わらずそこにあった。
なにも、変わっていなかった。
祖父が帰ってきたら今すぐにまた生活が始まりそうな、そんな場所がそのまま残っていた。
新聞を読むためにいつも使っていた虫眼鏡も、洗面所にある対になった赤と青のコップと歯ブラシも、奥にある祖父の部屋も、何もかもがそのままで。
ただ、祖父だけがいなかった。
三ヶ月が経ち、春休みになった。
祖母の家に遊びに行った。祖父の痕跡は、相変わらずそこにあった。祖父の写真に、お久しぶりです、と話しかけようとすると胸がつまった。あふれそうになる涙をこらえ、にっこりと笑った。
「おじいちゃん、私、第一志望の高校、受かったよ」
本当は、直接言いたかった。
言わなければならないことをいくつも抱えたまま、毎日を過ごした。ふとしたときに蘇る声が、塞がりきらない心の穴に冷たい風を吹かせた。
空しい思いは、ずっと、消えることはなかった。
そして、1年が経とうとしていた。
今年の12月初旬。
あの日のように、体調不良で寝ていたときだった。
私は、とある夢を見た。
祖父に会う夢だ。
家の扉を開けると、祖父がいた。
「元気ですか」
いつものように、祖父は言った。
1年ぶりだった。
夢の中でも、涙が止まらなかった。
私は、祖父に抱きついた。
そのときに感じた祖父の体は、あの頃のように温かく、ぬくもりであふれていた。
そうだ、言わないと。
ずっと言えなかった言葉を。
「おじいちゃん、ごめんなさい」
苦手だなんて言ってごめんなさい。
怖がってごめんなさい。
ごめんなさいって言えなくてごめんなさい。
たくさん会えなくてごめんなさい。
それから。
「おじいちゃん、ありがとう、大好き」
いつも優しくしてくれてありがとう。
体調を心配してくれてありがとう。
また会いに来てくださいと言ってくれてありがとう
頭を撫でてくれてありがとう。
おじいちゃんの笑顔、大好き。
おじいちゃんの声、大好き。
祖父は、何も言わなかった。ただずっと、優しい顔で私を見ていた。
涙が、止まらなかった。
そこで私は目を覚ました。
すごく、苦しい気持ちだった。でも、心はとてもすっきりしていた。
12月3日。その日は、私の誕生日だった。
「誕生日に合わせてくれたんだね」
私はひとり、つぶやいた。
おじいちゃん、ごめんなさい。ありがとう。
大好き。