避難所はドラックストア
どんなに家族仲が良好でも、しんどい時がある。
自立した大人同士が共同生活を送るには、配慮が必要である。
他人同士では目を向けやすい配慮も、家族になると見つけにくい。
家族とはいえ、分かり合えない部分がある。
理解できなくても、「違う」ということを知ってくれるだけで
いいのに。
こんにちは。りたです。
私の独り言を聞いてくれませんか?
独り言にしては大きいのですが、聞いてくれるだけで私は救われます。
最近、家族がしんどいと感じることが増えました。
以前、家族との関係性を記事にした時とは真逆に近いことを書いてしまうかもしれませんが、そんな時もあるよね。
まず、しんどいと感じるのが増えた理由。
それは、祖母の老いが目に見えて分かりやすくなってきたことが始まりでした。
祖母の年齢を考えると、いつかは来ると分かっていた現実でした。
しかし、我が家はそれについての話し合いが話し合いになりません。
祖母は、耳が遠くなってきました。
会話がスムーズにいかない。テレビやラジオのボリュームが高すぎる。
来訪知らせるインターホンに気づかない。
車の走行音に気づくのが遅い。
ここまでは、お年寄りと同居する「あるある」かもですね。
実際、祖母本人も聞こえない自覚はあるようで不便を感じることもあるそうです。
しかし、補聴器を付けることを嫌がります。
耳鼻科に行こうともしてくれない。
祖母なりのプライドもあるのかもしれない。
他に何か理由があって嫌なのかもしれない。
しかし、それを話してはくれません。
話さなくても分かるだろうは、どんなに長く連れ添った亡くなった祖父ですら無理はなず。
それが、息子(父)嫁(母)孫(私)ならもっと厳しいよ?
ばあちゃん。
意見を聞き入れない祖母に、憤りを表す父。
自身の親の介護も考えなければならない、母。
2人の感情が手に取るように分かる。
だから、話し合いにならない。
「違う」を理解し合えない人たちの話し合いなんて、無理ゲーすぎるの。
父と母の感情を宥め、祖母のアフターケアをするのは私の役目。
それが、しんどい時があることを誰にも気づかれず遂行している。
きっと在宅介護をされている方は、もっとしんどい状況なのかもしれない。
我が家は、実際にそうなった時に耐えられるのだろうか。
きっと、厳しいです。
それでも、日常は続きます。
父と母は、仕事。
私は自宅での活動。
だから、家事は私が担当しています。
祖母の病院への送迎、日用品の買い物も私。
社会人していた時よりハードかもしれません。
だから、時々息が詰まります。
空気が薄く感じる。
キツくなるときも来る。
だから、買い物に行きます。
でも、その買い物もどこに行くかを家族に告げなければならない。
うちは幼い時から、過干渉な家でした。
それは大人になった今でもそうです。
共同生活を送ることになった時から、それが適用されることは分かっていました。
それを飲み込んで、一緒に住むことを選択しました。
しかし、限界は来ます。
「自分の物を買いに行ってくる。」
そう告げて向かう先は、ドラックストア。
ドラックストアは最適な場所です。
白い照明。立ち並ぶ棚。多い品数。
普段の生活に必要なものばかりが多いから、現実のままゆっくり出来る。
必ず化粧品コーナーに行き、化粧品を見る。
綺麗な色のリップ。鮮やかなアイシャドウ。
上手く引けないのに惹かれるアイライナー。
全部、落ち着く。
テスターを試し、持っているもの思い出し馴染むか考える。
自分のことだけを考えられる時間。
なにも気負わず、役割など気にせず私が使える時間。
許されたような気分になれるんです。
きっと、どこかで「違う自分になりたい」という想いから化粧品を買うのかもしれません、
誰のためでもなく。私のために私がなりたいを叶えられる。
筋トレもハマったのも、そういう経緯があるのかもしれません。
家に帰れば、また「娘・孫」にならなければいけない。
だからといって、嫌いかと聞かれると嫌いにはなれなくて。
親だから祖母だから。
私の家族だから。
見えない何かに縛られているような感覚。
「家族」に一番囚われてるのは私かもしれません。
それに「違う」が私にも該当すること、分かっているのかな?って思うときもあります。
結構しつこめに伝えたりはしています。
「私は私だよ」「私の人生は、私のだよ」って。
でも、分かってもらえてないし。
私が実家に居るうちは、無理なんだと思います。
まぁ、だから何だって話ですよね。
最後まで聞いてくれて、ありがとうございました。
りた