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アイドルに衣装を着ていてほしいと願う私が、アセクシュアルに気づくまでの話

私は生まれてこのかた22年間「セクシー」という言葉の意味がよく理解できません。

男性アイドルが好きでライブに行くのですが、そこで頻繁に「セクシー」なシーンを目にしてきました。腰を振る振り付けや下半身をアップするカメラワーク、ハラチラ、上裸など……。
そして、このようなシーンに会場で揺れるほどの歓声が上がる中、私は周囲の高揚に乗り切れず、いつも疎外感を抱いていました。せっかく綺麗な衣装を身に纏っているのに、わざわざ衣装を脱いだり乱す意味が理解できませんでした。
そんな感想に対して、友人からは「変わっている」と言われました。友人たちは「筋肉がセクシー」「ドキドキする」というのです。中高生の頃は、自分がまだ子供だからよくわからないんだろうと思っていましたが、22歳の現在でも友人たちの感想は理解できません。

このことに気づき、ここで一つ
・そもそも「セクシー」とはなにか?
・なぜ私はこの「セクシー」に歓声を上げる(興奮する)ことができないのか?
について、真剣に考えてみようと思い立ちました。

振り返ると、幼少期からアニメやドラマ、漫画・小説などフィクションに囲まれて育ちました。
その中で培われた「セクシー」といえば、非常に短絡的ではありますが、女性だと胸やお尻などいわゆる「ボンキュッボン」な体型。(峰不二子、ONE PIECEのナミ、壇蜜さん、etc)
男性であれば鍛え抜かれた上半身、ダンディな髭などが思い浮かびます。
また辞書では「性的魅力のあるさま。性的なものを感じさせるさま」と定義されていました。
つまりアイドルの「セクシー」なシーンに歓声を上げる人や友人たちは、そうしたシーンにおける彼らの肉体に「性的魅力」を感じているということだと思われます。

ここまでで「セクシー」の言葉の意味自体は分かりましたが、実際にこうした特徴(男女問わず)を兼ね備えた人物を目にした時、私はなにかを感じたことはやっぱりないのです。
フィクションであれば描かれている反応、ライブであれば周囲の空気に同調できず、居心地の悪さを抱いていました。

そしてここで新たに「セクシー」の説明にあった「性的魅力」とは何か?という新たな疑問も湧き上がってきました。

唐突ですが、私は恋人ができたことがありません。性行為の経験もありません。かといって性欲はありますし、日頃から好みの男性アイドルを見てはキャーキャー言っています。なので、ヘテロセクシュアルであると自認していました。

最近、友人に恋人ができた焦りから、マッチングアプリを始め何人かの方とデートに行きました。結果、10人近くとお会いしましたが、恋人はできませんでした。誰にもなにも感じなかったのです。
もちろん相手から好ましく思われなかったケースもありますが、私はお会いした誰とも恋人になるイメージが浮かびませんでした。恋人になり、手を繋ぎ、ハグをして、性行為をして……というイメージが。

友人からは、試しに付き合えば徐々に好きになっていくんだよ、仲良くなっていけば触れたいと思うんだよ、と言われました。こうした言葉を頭では理解しつつも、やっぱりダメでした。
私は理想が高いのか?男性アイドルばかり追っかけているから、イケメンじゃないとダメなのか?夢を見すぎているのか?これが俗にいう蛙化現象……?

悩みに悩みました。

高校生の頃、自分のことを好きだと言ってくれた子を思い返したりしました。
あの時首を縦に振っていれば、こんな焦りを感じることはなかったのか?
一度性的な経験に及べば、私の理想も砕かれて現実に向き合えていたのか?

SNSで私と同じように恋人がいないことに悩む人たちを見つけました。そこでは、いつかきっと出会えるよ、こういうのって縁だから、といった優しいコメントで溢れていました。
しかし思い返せば22年(もうすぐ23年です)、学校やアルバイト先、現在は会社。あらゆる人と出会ってきたのに、そもそも誰にも惹かれることはなかった。果たしてこれからの年月で、ましてや社会人なんて出会いも減っていくはずなのに、自分が惹かれる人に出会うことはあるのだろうか。

もうここまで長々と書けば、お気づきの方もいるかと思うのですが、
私ってアセクシュアルでは……?
という考えにたどり着きました。

大学で「アセクシュアル」という言葉自体は耳にしたことはあったのですが、性欲があり男性アイドルを追いかけている私は違うと思っていました。
しかし、インターネットで自分の悩みを検索しているうちに、アセクシュアルという言葉を度々目にしました。思い立ったら吉日、アセクシュアルについての入門書と言われている書籍『見えない性的指向 アセクシュアルのすべて』(ジュリー・ソンドラ・デッカー著、上田勢子訳、明石書店)を購入しました。

読んだ今はっきりと言えます。
私はアセクシュアルです。

この気づきに至るまで、なぜ自分をヘテロセクシュアルだと自認し、自分の性的指向に気づけなかったかというと、先に述べたように、性欲があったこと。自分とは異なるジェンダー=男性アイドルが好きという認識があったこと。
そして、学生時代に目にしたアセクシュアルは性欲を抱かない・スターやアイドルなど魅力的な人物に惹かれない、といった言説を、鵜呑みにしていたからです。
もちろん、これらの特徴に当てはまるアセクシュアルの方もいると思いますが、当てはまらないからといって、アセクシュアルではない、というわけではありません。

本書でいちばん目から鱗だったのは上記の誤解を解いた、「性欲を抱くこと」と「性的魅力を人に感じること」は違うという指摘です。アセクシュアルでも「性欲」を抱くことはあると、はっきり書かれていたのです!(少数派ではあるそうですが)

「性欲」と「性的魅力」について自分の中で落とし込んでみると、性的なシチュエーションに欲望を抱くことはあっても、そこで想起される人物には興味はなかったと気づきました。誰か特定の人物や特徴のある人に対して「性的魅力」を感じていたわけではなかったのです。

もう一つ、私がヘテロセクシュアルだと思っていた理由の、男性アイドルが好きという点についても考えました。私が彼らを好む理由は、彼らの人柄であったり、グループのわちゃわちゃ感、歌い踊っている時のキラキラ感です。時には容姿を美しいと思うこともありますが、では彼らに触れたいかと聞かれればNOです。彼らの性的魅力の側面(冒頭に上げたような、肉体を見せる行為や、性をアピールするようなシーン)には何も感じません。

※補足すると、私が同性のアイドルに惹かれないのは、アンドロロマンティック(男性と性自認する人にセックスや性的魅力に関係なく恋愛的に惹かれる)の傾向にあるからだと考えています。ただし日常で男性に恋愛的にも惹かれた経験がほとんど無いなので、フィクトロマンティック(二次元への恋愛感情)かもと考えています。(私はアニメキャラも大好きで、アイドルも一種の二次元的な幻想的な存在と捉えているためです)
この点については、まだまだ考えが足りない部分でもあるので、学びつつ、自分の性的指向を理解していきたいと思っています。

冒頭の疑問に戻ります。
・「セクシー」とはなにか?
→性的魅力を感じること。

・なぜ私はこの「セクシー」に歓声を上げる(興奮する)ことができないのか?
→私がアセクシュアルで、「セクシー」さの元である性的魅力を人に感じることがないから。

こう書くと、なんで今まで気づかなかったんだろうと驚くくらい、シンプルな答えでした。
アセクシュアルというセクシュアリティは、現状の私にとって最もしっくりきて腑に落ちるものでした。

ここまで長々と書いてきたのですが、なぜわざわざこのことを書こうと思ったかというと、本書を読んで自分のセクシュアリティに気づき、涙が出るくらいホッとしたからです。
22歳になると、周囲には恋人がいる友人が増え、恋愛経験がないことや性的行為の経験がないことに焦りを感じていました。一方で、無理に誰かと付き合おうとするたびに、苦しく、違和感を抱いていました。そして相手の好意を受け入れられないことに罪悪感を抱き、自分がおかしいのだと責めてきました。自分は未熟なのだと、普通ではない、何か自分に欠陥があるからだと。

なので、アセクシュアルという自分のセクシュアリティに気付いて、世界には同じ思いの人がいて、自分の感情や指向が欠陥でもなんでもなく「ただそうである」ということを知り、心から安堵しました。

きっと同じ苦しみを抱いている人がいるのではないか。
私と同じように自身のセクシュアリティに気づくことで、心が楽になる人がいるのではないか。(烏滸がましくもありますが)

もちろんアセクシュアルなどではない人で、経験がなかったとしても何もおかしいことはないし、自分を責める必要は一ミリもないと思っています。落ち度なんて全くありません。しがない22歳のアイドルオタクですが、自信を持って言いたいです。

最後に私が救われた一冊から、引用します。

自分の体験は自分のためのものであってほしいのです。

『見えない性的指向 アセクシュアルのすべて』
ジュリー・ソンドラ・デッカー著、上田勢子訳、明石書店、2019年、p.211

いたる所で、恋愛や結婚を執拗に勧める言説・描写を目にする社会ではありますが、自分のための人生。誰かに証明するために、誰かに見せるために、誰かを安心させるために、経験する必要は全くないと思います。

これからは胸を張って、自分の気持ちを大切にして生きていきたいです。


ここまでお読みいただいた方、もしいらしゃったら心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

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