人生は選択の連続であるが、自分で選んだ、と思うと物事うまくいく
人生とは、選択の連続である。
すべては、自分で決めて選んでいるはずだが、
時には、『誰かに決められた』『選択肢がなかった』『選ぶ権利がなかった』と思うこともあるだろう。
その1点だけで見た時に、
『選択肢がない』せいで、こうなるしかなかった、
と思うかもしれないが、
数点前に戻って俯瞰すると、
この時点でこれを選択した結果がいまに結びついてるんだ、と気付ける。
例えば、
沖縄にいって、ダイビングをしたが、
ライセンスを持っていなかったので、ビジターコースしか選べず、ちょっと残念に思ってしまった。
とする。
これは、『ほかに選択肢がなかった』せいであり、
選択を間違えた、わけではない。
と思いがちだが、そうではないと思う。
ダイビングを選択したのは、自分。
沖縄にいくことを選択したのは、自分。
それまでにライセンスを取ることをしなかったのは、自分。
すべて自分が選んだ結局なのだ。
いや、全部私じゃなくて、友人(恋人)が選んだんだ!
だから私の選択ではない。
という人もいるかもしれない。
だが、親しい人の提案・要望を受け入れたのは、
自分自身だと思う。
提案・要望のすべてを受け入れざるを得ない状況、
つまり、自分で選択することが1個もない状況なんて、
滅多にない。
万が一、その状況だったとしても、
またそこから数点遡れば、
やっぱりそこに至る選択は自分でしているはずだ。
もしくは、それも自分でしていないとしたら、
それはもう『選択を他人にしてもらう、という選択を自分でとっている』ということだ。
だから、『選択できなかった』ことは、
人のせいにはできないと思う。
人のせいにすることは、1番簡単な行為だからだ。
だからといって、
すべての悪い事象は自分のせいであり、
自分の今のどん底な状況は、
因果応報、自業自得、
と責め立てたいわけではない。
私が言いたいことは、
すべて自分で選んだ、と思った方が
気が楽になる生き方だと思うからおすすめです、ということだ。
全部自分が選んだこと!
でも、自分の選択はいつも間違ってない!
今は辛くても、必要な通過点だから私が選んだ道なんだ!
これまでも、間違った選択をしたことはなかった!
と思えるわけだ。
これを人のせいにしてしまうと、
ネガティブな批判になることが多い。
自分の意思、だと思えば、
自分なら批判しないかもしれないし、
次から気をつけようと反省するかもしれない。
自分ごとにしたほうが、いい方向に向かう気がするのである。
ここまで読んでくれたあなた、
これを読もうと選択してくれてありがとう!
あなたの選択は間違ってませんよ。笑
ではまた、来世で
K