存在と消滅
絵の一枚も描けないのであれば、ここに存在する必要はない、と言外に言われた子供の頃。
撮る写真は記録以上の意味はない。
日本のネットに存在するフェミニストの視野の狭さ。大きいのは主語だけで、要約すると「私だけを大事にしろ」
それでいいのだが、それで本当にいいのか。
彼女たちに圧倒的に足りないもの。
身体特徴的に男性には生産性はない。触媒的立場にはなれるが、生み出すことはできない。
自らの存在意義を見出すために探してきたのは権力だ。
交尾が終わったのち、食べられてしまう自らを想像してみるといい。栄養になる以外の何の役にも立たない自分。
そこにいるだけで他者の心情に何かが生まれるのであれば、それは存在意義があるというもの。あなたはここにいてもいい。だが私は別だ。
もう何年かしたら男の芸術家はいらなくなるよ、と、その若い芸術家の卵は言う。何かを生み出せ。自らの存在意義を生み出せ。
絵のひとつも描けない、何の生産性もない人間からの願い。
私は早く終わらせないといけない。
#アナザーエナジー展 を見て(インスタの自分のアカウントからの転載)