文学的セルフの遊び場 No. 2 – 頼ること、甘えること

 人にうまく頼ることができない。最近の悩みの種だ。

 バイト先で、忙しい時に、手が空いてそうな人に上手に仕事をお願いすることができず、自分のタスクとして抱え込んでしまったり、お願いできても少し頼りすぎてしまっているかな、と反省してしまう。サークルでイベントを主催する際には、リーダーとして周りに仕事を割り振らなければいけないのに、何をどれくらい割り振ればいいのか考えて、かえって時間がかかってしまう。結局、自分でやってしまったり、ギリギリになって人に仕事を押し付けてしまったりする。
 親にだってそうだ。本当は相談をしたかったり、お願いをしたかったりしても、まず自分一人で処理できないかを考えてしまう。頼ることをなるべく最小限にしたくて、結局相談できずじまいで、自分でなんとかしようとしてしまう──。

 思い返せば、小さい頃からそうだ。塾に通っていた頃、見栄を張ってか、なぜかはわからないが、先生に質問をすることをひどく嫌っていた。教科書や問題集の解説・解答を読みこんで、わからなくても自分であれこれ考えて、自分自身で答えを導き出すことに、ひどく執着していたことを覚えている。先生に質問している周りの生徒のことを内心蔑んで、自分で理解し答えを導き出す自分のやり方を正解のように思っていた。

 実際こうやってみると、その時期にでも、質問することの偉大さをもっと知っておけばよかったと感じる。人に質問すること、言い換えれば、自分の思考の一部を人に頼ることは、練習しないとなかなかできないと、今では思う。練習を怠った自分は、勉強でもなんでも、人に頼ることが全然できない。作業をしていて、人に頼ることが選択肢に浮かんできさえしない。どれだけ期限がギリギリになっても、自分のキャパシティを超えていても、人に頼るという文字が、そのビジョンが、頭の中に浮かんでこない。
 もっと言えば、人に頼るときは、いつもどうすればいいかを考えてしまう。自分でできることの限界が来たこと、来そうなことをきちんと示して、相手に何をやってもらいたくて、何は自分でできるのかを見極めて差し出そうとするから、結局余計作業量が増える。

 結局、「頼る」ということは、「適量」を「適度なタイミングで」相手にお願いすることなのだと思っている。それはいままで練習を怠ってきた自分には、とても難しい。どのくらいの量を、いつお願いするか、というのを、いつも真剣に考えてしまう。量が多すぎたら迷惑をかけるから、多すぎず、少し少ないくらいにしようとする。早めにお願いしとけばよかったのに、なるべく自分でやろうとするから、タイミングが遅くなって、お願いするのが億劫になっていく。

 また、「頼りすぎる」ことは、「甘え」にもつながる。自分の場合、少し頼れると思った人には、ときに甘えすぎてしまうこともあり、それがまた頼ることのハードルを上げる。頼りすぎたら、甘えてしまう。だから、頼るのは最小限にしたい。そんなことを考えて、また頼れなくなる。

 多分甘えることは頼ることと表裏一体で、程度を弁えていれば、問題ないし、むしろ円滑なコミュニケーションの種になるのだろう、とも思う。結局、その程度を知らずにここまできてしまったことが、最大の課題だな、と思う。

 頼ること、甘えること、そのバランスは、自分にとってはとても難しい。最近は「自分6割、甘え4割」を意識して、毎日をきちんと過ごす気持ちを作っている。これは果たして正解なのか、自分にもよくわからないけれども、少しずつ練習して、自分なりの、つまりは周りの人と自分との関係の中での、答えを見つけ出したい。

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