天路歴程(現代語訳)

大正2年に出版された天路歴程(訳:松本雲舟)の導入部分を
現代語訳してみました。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/943456

私がこの世の荒野を歩いて行った時に、ある洞穴の側に休んで、
そこに横になって、眠った。
眠ると、一つの夢を見た。
夢の中で、見ていると、ぼろを着た一人の男がある場所に立っていた。
自分の家から顔を背けて、手には一冊の書物を持ち、
背中には大きな荷物を背負っている。
見ていると、彼はその書物を開けて、中を読んだ。
それを読んで、泣いて震えた。
最早堪えきれなくなって、悲しげな声を挙げて泣きながら、
「私はどうしたらいいだろう」と言った。
こんな有様で、彼は家へ帰った。
出来るだけ辛抱して、妻や子に自分の悲しみを悟られまいとした。
けれども長く黙っていられないほど、その悩みは増してきた。
それゆえついに、妻や子に心を打明けてこう話した。
「これ、妻も子供たちも聞きなさい。
私はお前たちの頼る柱なのに、
この身に重い荷物を負っているために実に困ってしまった。
私の確かに聞いた所では、天からの火でこの街は焼き払われるそうだ。
その怖ろしい最後には、私はもとより、
私の妻であり、可愛い子供たちであるお前たちまで、
むざむざ滅びてしまうだろう。
逃れる道を見つけて、助かりたいと思うが、いまだ見つからない」。

これを聞いて家の人たちはひどく驚いた。
彼の言うことを本当だと信じたからでなく、
その頭がどうかしたのだと思ったからである。
それ故、日が暮れたのを幸い、眠ったら頭が落ち着くだろうと思って、
大急ぎで彼を床に寝かせた。
けれども彼は、夜も昼と同じ苦しみで眠れず、
ため息と涙に一夜を過ごした。
朝になると、家の人たちは「どうです、ご気分は」と尋ねた。
彼は益々悪いと言う。
そしてまたもや例の話を始めたので、家の人たちは顔をしかめた。
それで、いっそのこと荒々しくつれなくもてなしたら
その煩悶が治るかも知れぬと思って、
嘲笑ってみたり、叱ってみたり、全く構わなかったりした。
そこで彼は自分の部屋の閉じこもって、家の人たちのために祈ったり、
憐れんだり、また自分の不幸を悔んだりした。
また、ただ一人野原を歩いて、時には読んだり、また時には祈ったりした。
こうして数日を送った。

ある時、彼が野原を歩きながら、いつものようにその書物を読んでいると、とても心が苦しくなった。
読みながら前のように泣き出して、
「どうしたら私は救われるだろう」と叫んだ。

彼はいかにも逃げ出したいように、こっちを見たり、あっちを見たりした。
でも、どっちに行っていいかわからないので、静かに立っていた。
そうしている内に、伝道者という人が彼の側に来て、
「あなたは何故泣きなさるのか」と尋ねた。

彼は答えた。
「私は手に持っているこの書物で、私が死なねばならぬこと、
死んでから裁きを受けねばぬことがわかりましたものの、
さて死ぬのは嫌だし、裁きも辛いものですから」

伝道者は言った。
「どうして死ぬのが嫌なのですか。
この世には悪い事が沢山あるじゃないですか」

彼は答えた。
「私の背に負っているこの重荷が
墓場より低い所へ自分を沈めるだろうと心配なものですから。
私は地獄に堕ちるでしょう。
牢屋に行くのさえ辛いのに、裁きを受けて、
それから刑罰に遭うのは辛いです。
この事を思うと泣かずにはいられません」

伝道者は言った。
「そんな事情があるなら、あなたはどうしてじっとして立っているんです」

彼は答えた。
「どこへ行っていいか知りませんものですから」

そこで伝道者は一つの羊皮紙の巻物を彼に与えた。
その中に、「来たらんとする怒りを避けよ」と書いてあった。

彼はそれを読んで、いかにも心配そうに伝道者を眺めて、
「どこへ避けなければならぬでしょう」と言った。

伝道者はとても広い野原の方へ指をさして、
「あそこに門が見えましょう」

「いいえ」と彼が言った。

「それではあそこに輝く光が見えるでしょう」

「はい、見えます」

そこで伝道者が言った。
「あの光に向かって、真っ直ぐにお出でなさい。
そうすると門があります。
その門をお叩きになると、どうしたらいいか、あなたに教えてくれます」

私が夢の中で見ていると、彼はそこから駆け出した。
自分の家の前から遠くも行かない内に、彼の妻子がそれを見つけて、
帰って下さいと泣きながら彼を見送った。
けれども彼は指を耳に当て、
「生命、生命、限りなき生命」
と叫びながら走った。
後を振り返らずに、野原の真ん中まで逃げ延びた。

近所の人たちも出てきて彼の駆けて行くのを見た。
駆けて行くのを嘲ける者もあるし、脅す者もあるし、
帰れと叫ぶ者もあった。
その中に腕づくで彼を連れ戻そうと決心した二個の人があった。
一人は強情者という名で、もう一人は柔弱者という名であった。
もうその時かの男は余程遠く行っていたが、
二人は何処までもと追いかけて行ったので、
暫らくすると、彼に追い着いた。
そこで彼は言った。
「近所の方々、どうしてここまで来なすった」。
二人は言った。
「あなたを連れて帰ろうと思って」。
けれども彼は言った。
「そんな事が出来ますものか。
あなた方は滅びの町に住んでいられるのですぞ。
私もそこで生まれたんですが、それを悟りましたわい。
あなた方は遅かれ早かれ、そこで亡くなられて、墓場よりも低く沈んで、
火と硫黄の燃えているところへお出でなさるでしょう。
だからお二人とも決心して、私と一緒にお出でなさい」

「なに」と強情者が言った。
「友達や楽しみを捨て行けと言うのですか」

「そうです」
と基督者が言った。(その人の名はこう言った)
「あなた方にお捨てなさいと言うものを皆よせても、
私がこれから求めて楽しもうと思うものの
少しばかりに比べる値うちもありませんからな。
私と一緒にお出でになって、それを得なすったら、
私と同じように楽しく暮らせます。
私の行きますところは満ち足りて余りあるのですからな。
さあ参りましょう。私の言うことに嘘はないですから」

強情者「一体世の中を捨ててまで、あなたの求めなさるものは何ですか」

基督者「私の求めるものは、腐りもせず、汚れもせず、
衰えもしない宝です。
それは天に安全に貯えてあって、熱心に求める者には、
定められた時に与えられるのです。
それをお知りになりたければ、私のこの書物を読んでごらんなさい」

「馬鹿らしい」と強情者が言った。
「そんな書物はあっちにやっておきなさい。
あなたは私どもと帰るつもりですか、帰らんつもりですか」

「いや、帰りません」と基督者が言った。
「もう手を犁に置いたのですから」

強情者「柔弱さん、私どもはこれで帰りましょうや、この人を連れないで。
世間にはこんな頭の狂ったたわけのお仲間もありますものですよ。
何か思い詰めると、
わけのわかった七人の人よりも自分の眼の方を利口がりますわい」

柔弱者が言った。
「まあ、そう悪口を言うものでもありません。
基督者さんの言うことが本当なら、
その求める物は私どもの持っている物よりもいいですな。
私の心は一緒に行きたくなりましたわい」

強情者「何だと、馬鹿もいい加減になさい。
私の言うことを聞いて、お帰りなさい。
こんな気違い者はどこへ連れて行くか解るものですか。
さあ帰りましょう、帰りましょう。利口になりなさい」

基督者「いやあなたも柔弱さんと一緒にお出でなさい。
あちらには先程お話ししたようなこともあるし、
その他にもっと栄えあるものが沢山あります。
偽だと思うなら、この書物を読んでごらんなさい。
この中に記してある真理は、
みなこれを作った人の血で確かめてあるのです」

「ねえ、強情さん」と柔弱者が言った。
「私は心が決まりました。
この善い人と一緒に行って、運試しをして見ますわい。
して、基督者さん、その望みの地に行く道がわかってますかい」

基督者「伝道者という人が、
私にあの向こうにある小さい門の所へ急いで行って、
道筋を教わればと指図してくれました」

柔弱者「それなら、基督者さん、さあ行きしょう」

やがて二人は一緒に行った。

「どれ私は家に帰ろうか」と強情者は言った。
「こんな血迷った気違いどもの仲間にもなれんから」

私が夢の中で見ていると、強情者が帰ってから、
基督者と柔弱者とは野原を話しながら行った。
二人はこんなことを語り合った。

基督者「さて、柔弱さん、どうですか。
お前さんが一緒に行って下さるのは嬉しいです。
強情さんだって私が感じたように未だ現われない力と怖れを感じたら、
あんなに軽々しくは帰らなかったでしょう」

柔弱者「さて、基督者さん、
こうしてあなたと私と二人きりになったのだから、
もっと詳しく話して下さい。
一体その求める物は何ですか。
どうして貰えるのです。また私どもはどこへ行くのですか」

基督者「私の心ではそれがよくわかっているのですが、
私の舌ではよく話せません。
でも、知りたいとお思いになれば、
私のこの書物でその事を読んであげましょう」

柔弱者「そしてその書物に書いてあることは
確かに本当だと思いなさるのですか」

基督者「実際そうです。偽ることの出来ない人が作ったのですから」

柔弱者「なるほど。どんな事が書いてありますか」

基督者「限りなき国があって、そこに暮らせるというのです。
限りなき生命を与えられて、
私どもはその国にいつまでも暮らせるというのです」

柔弱者「なるほど、それから?」

基督者「栄光の冠がそこで私どもに与えられる。
それから衣服も与えられる。
それを着ると、私たちは大空の日のように輝くそうです」

柔弱者「それはいいですな。そしてそれから?」

基督者「そこでは最早泣くことも悲しむこともない。
そこの主人である者は私たちの目から、
ことごとく涙を拭いて下さるそうです」

柔弱者「そこではどんな者の仲間入りをするんでしょう」

基督者「そこで私たちはセラフィムやチラビムの仲間に入るのです。
見る目を眩ますばかりに美しい者だそうです。
それから私たちより先にそこへ行った幾千幾万の人たちに会えます。
その内には悪い者は一人もなくみな愛に満ちて聖いのです。
みな神の目の前を歩いて、
永久に受け入れられて神の前に立っているのです。
つまり、私たちはそこで黄金の冠をつけた長老たちを見るでしょう。
それから黄金の琴を鳴らす聖い乙女を見るでしょう。
それからそこの大君に愛を注いだために、この世で片々に切れ、
炎に焼かれ、獣に喰われ、海に溺らされた人たちが、
みな丈夫で、不朽の生命を衣のごとく着ているのを見るでしょう」

柔弱者「それを聞いただけでも胸がドキドキしますな。
でも、そのようなものが貰えるでしょうか。
どうして私たちもその分配に与れるのでしょう」

基督者「その国の支配者である主は
この書物の中にその事を記しておられます。
それによると、私たちが誠にそれを得たい志があれば、
容易にそれを下さるということです」

柔弱者「やあ、どうも有難う。さあ、それでは先を急ぎましょう」


果たして基督者と柔弱者の運命やいかに…!
続きは天路歴程を読んで、君の目で確かめてみよう!
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