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【社会】歴史の寄り道 鎌倉③~室町①編
みなさん、こんにちは!LITのノスケです。前回は「歴史の寄り道 鎌倉②編」ということで、後鳥羽上皇と北条政子について意外な一面や人間性についてご紹介していきました。前回の記事をお読みでない方はぜひ下のURLからお読みください。
さて、今回は「歴史の寄り道 鎌倉③~室町①編」ということで、元寇が起こり、御家人の報酬がもらえなかったことで、御家人が鎌倉幕府に対して不満を持っている時に活躍した歴史の偉人たちの意外な面についてははしていきます。
また「歴史の寄り道」の初回では、このシリーズに込める思いについて話していますので、初回の記事をお読みでない方はぜひ以下のURLからお読みください!
後醍醐天皇ってどんな人
・後醍醐天皇って誰
後醍醐天皇はのちに紹介する足利尊氏らと協力し鎌倉幕府を滅亡させ、新しい政治を始めた人です。
・実は後醍醐天皇って〇〇だった
そんな、後醍醐天皇にも意外な一面がありました。実は、後醍醐天皇はずるがしこい人物でした。
後醍醐天皇は足利尊氏と協力する前に2回も倒幕に失敗してしまいます。2回も倒幕をしようとした後醍醐天皇は島流しという重い罰を受けてしまいます。天皇はこの件で幕府から目をつけられたので、表立って倒幕の準備ができませんでした。そのため、子どもの護良親王が全国の武士に「俺らでより良い世界にするために、幕府を終わらせよう!」というように協力を仰ぎました。その結果、後醍醐天皇は3度目にしてやっと倒幕に成功します。後醍醐天皇は幕府が滅亡したことで、政治の実権をにぎりました。後醍醐天皇がこの時期に行った政治を「建武の新政」というのですが、この「建武の新政」は武士より貴族を優遇するような政治だったのです。幕府を倒す前は武士たちに「より良い世界を作ろう」と言っていたのに、ふたを開けてみれば武士にはよくない政治になってしまいました。このことに、足利尊氏も不満を持ち、対立してしまいます。後醍醐天皇が武士にとってもよい政治ができていれば、尊氏とも対立せずに済んだのかもしれませんね!
このエピソードから後醍醐天皇はずるがしこい人物だったのかもしれませんね!
足利尊氏ってどんな人
・足利尊氏って誰
足利尊氏は鎌倉幕府を倒幕した人物で、その後に征夷大将軍となり室町幕府を開いた人物です。
・実は足利尊氏って〇〇だった
そんな、足利尊氏には意外な一面がありました。実は、尊氏は理想の上司でした。ここでは尊氏の理想の上司エピソードを一緒に見ていきましょう!
先ほどの「後醍醐天皇の意外な一面」でも触れたとおり、尊氏は後醍醐天皇と対立してしまいました。その時に、ずるがしこい後醍醐天皇は全国の武士に「尊氏を倒せ~」と命令しました。そのため、尊氏の部下たちは焦ってしまいます。全国の武士から狙われるんですから焦るのも当然ですねww。しかし、尊氏は冷静でした。今の状況では勝てないと考えた尊氏は部下に指示を出し京都から九州に引き下がりました。そして九州で準備を整えてから、戦いを挑んで無事勝利し、京都に戻りました。
このエピソードから、困難な状況でも焦らず、的確な指示を出していた足利尊氏は理想の上司といえますね!
足利義満ってどんな人
・足利義満って誰
足利義満は室町幕府の第三代将軍で、あの有名な金閣寺を作った人物です。
・実は足利義満って〇〇だった
そんな足利義満にも意外な一面がありました。実は、義満は非常に優秀でした。尊氏が理想の上司のような一面を持っていたので、意外ではないかもしれませんが、今回は義満の優秀エピソードを2つ紹介します。
優秀エピソード①
義満は長年続いたある問題を解決しました。それは、南北朝問題です。後醍醐天皇の南朝、尊氏の北朝と2つの朝廷があることによって、日本がまとまらず、様々な問題が起きていました。義満が将軍になった時もまだ2つの朝廷がありました。そこで義満は南朝と北朝を仲直りさせようとします。しかし、うまくいきません。義満は両陣営が納得するように、それぞれの朝廷から交互に天皇を出すという解決策を出します。この策に両陣営が納得し、当時の南朝の天皇が三種の神器を北朝の天皇に返還することによってこの問題は解決しました。
優秀エピソード②
義満はもう一つの大きな問題を解決しました。それは倭寇による問題です。倭寇とは日本海で貿易船などを襲撃し、金品などを奪い取っている海賊のことです。義満が将軍になった時、この倭寇による被害がかなり大きくなってしまっていました。この問題を解決するために、義満は勘合という一枚の紙に文字を書き半分に切ったものを用いました。一方を貿易国(中国)側が持ち、貿易船にもたせ、日本についたときに、日本が持っているもう一方と合わせて、ぴったり合ったら貿易船であるということがわかるという仕組みです。これによって義満はこの倭寇による問題を解決しました。
これらのエピソードから義満は非常に優秀だったといえますね!
まとめ
今回は、後醍醐天皇と足利尊氏、足利義満の3人の意外な一面について見ていきました。優秀な義満のおかげ、栄えた室町幕府ですが、このまま安定した状態は続くのでしょうか…
今回はお読みいただきありがとうございました。
次回は室町時代~戦国時代にかけて足利義政、などの人間性や意外な一面について話していきます。
ぜひ次回もご覧ください!
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