立山雲上大パーティ 前編
Day0 前日譚
ファ⁉️葬式行かな‼️
黒部立山アルペンルートは、立山から北アルプスをぶち抜き黒部ダムを経て長野県扇沢へ至る一大観光ルートである。もともと2つのトロリーバスがルートに含まれていたが、このうち長野側の関電トンネルトロリーバスが老朽化を理由に2018年のシーズンを以て電気バスに転換されている。この度富山側の立山トンネルトロリーバスも置き換えが発表されたものである。
折しも駅には夏を前にアルペンルートへ旅行を勧誘するポスターが展開されていて、必死に旅程を組むよりももう少し気楽に旅行したいものだと思っていたところに、「大変な思いをしないと感動できないと思っていませんか?」という煽り文句が痛く刺さった。
関電トンネルのトロリーバスに乗りに行けなかった後悔もあり、もう一つのトロリーバスにはまだ乗れるならとさっそく今夏訪れることにした。
同行者のうち一人がアルペンルート経験者だったので、話を聞きながら旅程を立てた。アルペンルートの横断は1日で十分可能であることから、初日を黒部峡谷鉄道の乗車に当てることにし、2日目に立山から扇沢に抜ける方向のルートとした。金曜の4列夜行での出立も候補に上がったがすんでのところで回避し、行きは黒部宇奈月温泉まで新幹線、帰りは信濃大町から18きっぷとすることにした。
Day1 黒部峡谷鉄道
一週間前の週末に冷房の風を浴びながら寝たことに端を発する体調不良は、火曜日の午後に明確な倦怠感と発熱の形で我が不摂生を戒めた。東京に帰ってきてから8か月で体調不良は3度目で、飯は十分食っているのでひとえに睡眠不足が祟っていることが明らかだった。
その日はやむなく遅くまで残業し這う這うの体で帰宅、とにかく寝るしかないと思い飯も食わずに寝た。翌日は在宅勤務にして、始業の直前まで寝た。昼休みも飯を食って即座に布団に入った。
こうした徹底した休養作戦と栄養剤と水分の積極投与により木曜朝には思いのほか早く快方に向かい、金曜には概ね完治と言っていい状態にまで恢復した。
当日の朝は朝一の新幹線に乗るために4時半起きで、3時間睡眠だった。
三脚は悩みぬいた末置いてきたが、カメラをもりもり入れたリュックは11㎏もあって、久々だったのもあってずいぶん重たく感じた。
本当は東京駅での乗り換えを切り詰めればあと30分は寝られたのだが、駅弁を買いたくて時間に余裕を持たせた。
全国の駅弁を売っている東京駅の「駅弁祭」はやっと新幹線の始発が動き出そうかというこの時間から大盛況である。いつも目移りしてすぐに決められない。結局15分くらい悩んで、牛タンの弁当を買った。出先で買うと当地のものを買うことになるので、行きに駅弁を買う際は敢えて行き先を外すことにしている。
同行者2名とは車内で合流した。新幹線の中で寝ておこうと思っていたが、駅弁を食い、駄弁り、インターネットなどをしていたら寝られなかった。車窓は快晴で、午後からは雨の予報に反して好天が期待できた。
黒部宇奈月温泉駅には9時頃に着き、富山地方鉄道の新黒部駅へ乗り換えた。新幹線の開通に合わせて作られた駅で、東京方面から宇奈月へのアクセスが格段に向上したので黒部峡谷鉄道も一層の賑わいを見せていることだろうと思われた。
30分ほどで宇奈月温泉に到着。ホームに降りるとすぐ横に黒部峡谷鉄道の構内が広がっていて、機関車やトロッコが並んでいる。いつもこれらを見てはこの先の鉄路に思いを馳せていたものだ。
駅のコインロッカーに重たい荷物を預け、トイレを済ませて手早く黒部峡谷鉄道の宇奈月駅に向かった。
事前に予約していたので窓口で乗車券に引き換えてもらう。乗車券は号車指定の着席定員制で、窓付きの「リラックス客車」と窓なしの「普通客車」が選べるが、せっかくなのでトロッコらしい普通客車にした。乗車する列車は重連牽引で13両ほど客車をつないでいたが、それでも満員の盛況だった。
終点の欅平で下車する。ここは高熱隧道の難工事で知られる千人谷ダム建設の玄関口で、ここからさらに関係者専用の「上部軌道」が黒部川第四発電所まで伸びている。当時多数の犠牲者を出した高熱隧道区間は、今でも壁面に硫黄が噴き出し、耐熱仕様の客車の中にいても異常な高温を感じるほどだという。アルペンルートのトロリーバスが電気を使うのは排ガスを排出しないからだが、上部軌道がバテロコで運行されるのは燃料が隧道内の高温で発火するからである。この欅平から黒部ダムに至るルートは、2024年度に「黒部宇奈月キャニオンルート」として一般開放される予定である。https://unazuki-kurobedam-route.jp/
欅平からの散策ルートは大きく2つあって、ひとつは赤が鮮やかな奥鐘橋を渡って渓谷沿いに標高を稼ぎつつ名剣温泉、祖母谷温泉などの温泉地を経て白馬岳登山道に続くルート(当然適当なところで折り返してくることになる)、もうひとつは川沿いに降り名勝猿飛峡に至るものである。距離的にも近い猿飛峡が魅力的であったが、道が現在通行止めで到達できないということなので、とりあえず名剣温泉方面へ歩くことにした。
黒部川を遡ったといえども欅平駅の標高は高々599m、予期せぬ快晴でとにもかくにも暑い。駅からほど近い奥鐘橋の時点ですでに汗だくである。岩壁がオーバーハングになってせり出す人喰岩(断崖を穿って設けた道で、その成り立ちは水平歩道を想起させるが格段に道幅は広く柵もある)、名剣温泉などのスポットを経て歩を進めたが、それらを過ぎると風光明媚とはいえ渓谷の風景は代わり映えしない。酷暑の中の登り坂に耐えかね、早々に来た道を戻ることにした。
分岐点まで戻ると、河原へ降る階段がある。足湯も併設の河原展望台からさらに降りていくと川に入れる場所があり、多くの観光客が水遊びを楽しんでいた。寝不足にこの暑さで参っていたので、同行者が足湯で温まる間じっと川に手足を浸して冷却に勤しんだ。
せっかくほてりを冷ましたのに、駅に戻る上り階段で瞬く間に汗だくになった。売店でアイスクリームを買って次の電車を待った。
宇奈月方面へ20分ほど戻り鐘釣駅で降りる。河原で天然の温泉を掘ることができるというので線路沿いを歩き河原に降りたが、風呂が拵えてある様子はない。ここではなかったか、と思いながらあたりを見回していたら、湯気を上げている流れがあるのに気づいた。手を浸してみると温かく、硫黄の匂いもなく透明な湯だったが、たどってみると岩の隙間から流れ出てきて、川に合流しているようだった。
結局露天風呂を掘れるスポットは流木で行けなくなっているということだった。がっかりしつつも自然の温泉を見つけられたことに満足して川に入って遊んでいたら、今度は川底から湯が湧いているように揺らいでいるところを見つけた。よく見ると石が積んであって簡単に川から隔てられている。足を突っ込むと果たして湯で、今度はしっかり岩に腰かけて足湯できる深さがあった。ちょうどいい温度だった。
とはいえずっと湯に足を浸していると暑いので、川と湯を行ったり来たりした。川は相変わらず冷たすぎるほど冷たく、温まった足を冷やしたり、冷え切った足を湯につけたりするのが気持ちよかった。
結局次の電車までの1時間をたっぷり川と足湯で楽しみ、途中の売店?宿?でかき氷を買って駅に戻った。
鐘釣から宇奈月までは1時間ほどあり、よく歩いたので空調の効いたリラックス客車でゆったり帰りたいところであったが、乗車する便に限って連結がない。結局窓のないトロッコ客車はもたれかかるにも不安定で、終始頭を垂れて揺さぶられながらうとうとしていた。風がよく通り、トンネルに入ると肌寒いくらいで、空調がないからと言って大汗をかいてかなわないということはないのでありがたかった。
宇奈月駅でトロッコを降り、駅前にある「黒部川電気記念館」を訪れた。
無料の簡単な資料館だが、黒部川の電源開発が大変な難事業であったことがよくわかった。こういう場所に来るたびに思うことだが、ちゃんと予習をして来ればもっと楽しめただろう。大昔に父から勧められた「高熱隧道」を読もうと思った。
記念館の後は宇奈月温泉の総湯に入った。このあたりに来るたびに訪れていて、すっかりおなじみの場所である。いつの間にか「湯めどころ宇奈月」という小洒落た愛称がつけられていたが、実にその名にふさわしい新しくてモダンな建物である(それが「総湯」を名乗っているギャップがよかったのだが)。
内湯と座湯、屋根が取り払われた露天(というほどではない、外気には触れられる)風呂程度の簡単な内容だが、建物がきれいだし、大きな荷物は預かってもらえ簡単な観光案内所も兼ねている便利な施設である。
富山に取った宿のチェックインまで思いのほか余裕がなかったので、駆け足で風呂を浴びて駅に戻った。
電車はまだ来ていなかったが、入ってきたのはまたも東急だった。暮れていく車窓をしばらく眺めてあとは寝てやろうと思ったが、いまいち体勢が定まらなくてうたたね程度だった。
電鉄富山駅に着くと、あの風情あるホームが様変わりしていて驚いた。高架化に向けて少しずつ工事が進んでいるらしい。宇奈月や立山に向かう列車が発車を待つ姿が改札越しに見えるのが好きだったので、寂しい気がした。高架化完成後の駅舎が素晴らしいものであることに期待したい。
駅前の格安宿に荷物を放り込み、ラーメン屋で晩飯を食った。二郎系ラーメン屋で富山ブラックを食ったが、いろはよりパンチのある味でおいしかった。さすがに味が濃くて終盤疲れたが、薄めるためのスープを出してもらえるのがありがたかった。
その後富山駅前でしばし市内線の撮影をした。このために重たい望遠レンズを持ってきたが、成果はいまいちだった。
次回に続く。