神々の世界への通底路
子どもの頃、「私はこの家の子かな?」と思っていた。
社会的な文脈で言ったなら、これは問題発言と捉えられるだろう。
そうではなくて、つまり血縁とかそういうことではなくて、
なんというか、あまりにも「違う」から。
全然話が合わない。
通じない。
私の求める問いに対し、満足の行く回答をしてくれない。
少なくとも真摯に向き合ってくれているという手応えがない。
家族の悪口を書きたいがために、こんな文章を書いているのではない。
そうではなくて、
なんというか、それはもっと精神的な領域というか、魂というか霊的な領域での、私の子どもの頃の感覚だったのだと思う。
そんな違和感を抱えつつ、しかしもちろん家族としての縁で、実際にたくさんの物質的な痛みとか責任とかを伴う形で、
愛を注いでもらってきたと思う。
しかし、霊的な領域における実感としては、何十年か経っても、その感覚はあまり変わっていない。
でも、今嬉しいなと思っているのは、このコロナの危機の中にあって、家族仲は今までで一番良くなったかもしれないということ。
家族とは言っても、それぞれに個性があり、考え方や性質は皆違う。
家族という縁で結ばれた人間関係であるからこそ、ちょっと何かあったくらいでは簡単に縁が切れるわけでもないので、
色々と悩んだり、葛藤したりもするのだと思う。
前回のきっかけは、東日本大震災だったと思う。
そして、今回のコロナ。
3周くらい回って、私たちは一つの着地点に落ち着いたような気もする。
親族の中で言えば、私は妹の息子とはよく話が合う。
あの子は、小さい頃から霊感の強い子だったと思う。
他の甥っ子や姪っ子達も、それぞれに個性豊かで、大好きなのだけれど、
どちらかというと、より人間的な感性というか、そんな感じがする。
霊的な繋がりというのが、実際にはものを言うのではないかと思う。
社会的な実態は実態で、家族という縁は、何かしらのお互いの学びのために与えられた一つの形なのだろうと考えている。
霊的な感性の合う人は、一言二言話しただけでも、あるいは言葉を交わすということがなくとも、
なんとなくお互いに通じる。
そういうものだと思う。
私たちは一人ひとり、まったく違った個性や才能、また人生に求めるものも皆違くて、細かく見なければその実態はわからない。
同じことをしているかに見えても、ある現象の中に何を求めているのか、何を見出しているのか、は
人によって、まるで違うということもあり得る。
霊的な繋がり。
意識が開いている人には、さまざまな人が何か自分の人生への問いに対する答えなりヒントなりを求め、
さまざまな形で、エネルギーが向けられると思う。
それは時に、八つ当たりのような形をとったり、
恋愛のような形をとることもあるかもしれない。
もちろん、ちゃんと敬う形で、何かを教えてもらうという関係性に落ち着く場合もあるだろう。
"自分"というものをはっきりと持っている人は、結局のところ、最後は"自分"に帰っていくと思う。
基準は、周りにはなく、あくまで"自分"にある。
なぜなら、そのまぎれもない"自分"こそが、神々の世界への通底路に開かれていると知っているからだと思う。
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