カフェで二つの感情に出逢った
どんよりした曇り空の天気に無理に対抗するでもなく、聴いている人の気分を下げたりするでもない、気ままに耳を通り抜け、無意識のうちに体の一部でリズムを取っている、そんな音楽がカフェの室内を満たしていた。
サラダランチでお腹を満たし、温かいカフェオレで一息つきながら「緑の天幕」の続きを読んだ。一般市民の登場人物たちが、ソ連時代という一種の「制限」に抗いながらも、懸命に学生時代を過ごし、人を愛し、結婚し、死んでいった。
ページをめくるたびに、文学という芸術に「制限」なくアクセスできている「時代」と「場所」に存在できていることへの有難みをしみじみと感じた。空調の効いた空間でリズムよい音楽を聴きながら、新鮮な野菜を食べながら、温かい飲み物を口にしながら、文学に触れられることに安堵を覚えた。そして、この安堵感を決して離したくないと思った。同時に、この安堵感はとても貴重で儚いものであることを、この本は訴えかけていた。その訴えから目を背けてはいけないと感じた。
向こう側にある危険な地帯を眺めながら自分は安全な地帯にいると認識することで得られる安堵感と、そう遠くない未来に向こう側にいることになるかもしれないという危機感といった相反する二つの感情を、ずっと大事にしたいなと思った。この二つの感情を持てることが幸せであり、二つの感情を持つことが義務でもあると考えた。