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小さなひとたちに寄り添いたい
本記事では、ロシア文学「緑の天幕」(著者:ウリツカヤ)を紹介します。
本書を読んでいると、「平和」ってなんだろう、「生きる意味」ってなんだろうと問いかけられている気がします。多くの人に本書に触れてもらいたいと思いました。
【本書の紹介】
■本書の概要
■本書を読む意義
■ウリツカヤ(著者)さんの言葉
■登場人物らしさがにじみ出ている箇所
■その他
本書の概要
〇自分なりのまとめ
スターリンの死(1953年)からソ連崩壊(1991年)、そして詩人ブロツキー(1996年)の死まで、ソ連という激動の時代に生き抜いた人々の人生を、登場人物一人一人の心情を丁寧に汲み取りながら、文学や音楽といった文化をおおいに交えることで、複雑ながらも温もりがある壮大なストーリーに仕上がっています。
〇訳者さんによる(遥かにそそられる)まとめ("あとがき"よりほぼそのまま抜粋)
ソ連時代とはいったい何だったのか。70年近くにわたって存続し、解体したソ連という国で生きてきた者の1人として、ウリツカヤ(著者)はこの社会や、ここで生きた者たちの人生に起きたことの意味をあらためて問い直そうとしている。
とりわけ「反体制」と呼ばれる人々や、そのコミュニティにスポットライトが当てれれるが、彼らは決して華々しい英雄ではない。むしろ名も無き人々であり、時が過ぎれば歴史の波の中に消え去ってしまうであろうごくちっぽけな存在にすぎない。だがこうした「小さな人たち」にもそれぞれのドラマがあり、ときに弱さや醜さをさらけ出しながらソ連社会を生きてゆく彼らの物語を一つ一つ積み重ねることによって「大きな物語」が紡がれていく様は、個々の人間の存在や行為の集積が「歴史」を形成してゆくプロセス自体をなぞっているかのようだ。一つのプロットでまとめられた長編小説というより、(プロローグとエピローグを含めると)32の短編から成る壮大な連作小説集のような形で構成されているのも、様々な事物や人々が絡み合う多層的で複線的な歴史の営みを思わせる。
本書を読む意義
本を読む意義なんて、常に考えているわけではありません。もっぱら娯楽として本を読んでいます。ただ、今回本書を推薦していただいた方に、本書のような「小さな人たち」に焦点を当てた文学に触れる意義をお伝えいただきました。その内容が非常に胸に刺さりましたので、共有します。
「歴史は小さな人たちが作るのです」と著者のウリツカヤさんも言っています。歴史や現在の世界を理解するためには、体制側だけではなく、その体制の中で自分の人生を生き抜く個人の側を見る必要があります。なぜなら、政治、経済、外交、軍事、地政学はいずれも世界を理解するためには必要な分野ですが、これらだけでは小さなひとたちの視点が見えてこないためです。小さなひとたちの生活と心情に寄り添った文学作品を読むことが、各国の歴史や実情、国際関係の理解に繋がると思っています。
ウリツカヤ(著者)さんの言葉
ソ連当局は人間の持つあらゆる人間性を破滅させる強大なシステムを作り上げました。それは人間を「人間でなくさせる」大いなる機械です。もしソ連当局のあらゆるスローガンの中で何か成功したものがあるとしたら、それはまさしく新たな共同体と「ソヴィエト的人民」なるものの創造でしょう。「ソヴィエト的人民」とはつまり、従順かつ臆病で尊厳に欠けた、怠惰で好奇心のない人間のことです。
強大なシステムから抜け出すための拠り所となりうるのは「文化(=文学/音楽/芸術/哲学/宗教)」なのです。
登場人物らしさがにじみ出ている箇所
※ネタバレ注意です(ストーリーに直接関連する内容はないとは思いますが)。
主要人物である幼馴染3人(イリヤ/サーニャ/ミーハ)とシェンゲリ先生に焦点を当てて紹介します。
〇シェンゲリ先生
皆の先生。文学の素晴らしさを説く。
「文学は人類が持つ最良の宝です。」
「一番いいのは、何かいい本を読んでいることです。」
「文学っていうのは、人間が生き延び、時代と和解するのを助けてくれる唯一のものなんです。」
「正しい師を得ることは生まれ変わるのと同じです。」
〇イリヤ
"要領よく"ソ連時代を生き抜く。文学への知識は豊富。熱い友情も兼ね備える。
「どんな立場であっても、それに固執することは人を愚かにするんだ。何か一つのことだけに頼っていてはいけないよ。椅子だって4本の脚で立ってるじゃないか!」
「いいか、ミーハ、面白い仕事をするのと金を稼ぐのは別のことなんだ。それでもこの2つを共存させなきゃいけないと思う。」
「もちろん、僕は叩けばホコリのでる人間だ。でも覚えていてほしい、ミーハも君(サーニャ)も、家族みたいなものなんだ。いや、それ以上だ。なあいいか、どんな状況になっても、僕は君たちを裏切ったりはしない。」
「ここ西側で生き延びられるかどうかは、ロシアで得てきたものと完全に決別できるかどうかにかかっているんだ。皮膚をすっかり交換して、新しい受容体を備えた新たな外面を手に入れなければ生き延びることはできない。不思議なことに、それは内面とは関係ない。僕の思考は僕だけのもので、僕には理解しがたい彼らの生活とは全く相容れないけど、それを自分の中に保ち続けることはできる。内なる思考には誰も興味がないから。でも、この社会の中に入ることは、簡単なコミュニケーションの儀礼を果たさなくてはならない。西側の生活というのは、馬鹿な踊りを踊っているみたいだ。僕もその踊りをする覚悟はできている。ただ、そのためにいろいろと苦しい決断を迫られるんだ。」
〇サーニャ
音楽を愛する。最後まで音楽の愛を貫く。
音楽の内容を、特別に編み出された胡散臭い詩的言語によって言い表そうとすることの愚かさと無力さを彼(サーニャ)はよく知っていた。そうした試みはいつも仰々しく嘘くさいものに終わってしまうのだ。音楽の内容は文学的イメージや視覚的イメージに翻訳できない。いかにショパンを理解するかとか、チャイコフスキーは何を意図していたかなどといった、パンフレットに載っている悪夢のような解説文がサーニャは大嫌いだった。
サーニャはモーツァルトの楽譜を読んだ。すると幸福が波のように押し寄せ、彼を包み込んだ。この曲に心を揺さぶられたのはスターリンだけではなかった。彼は微笑み、それから楽譜を閉じ、明かりを消した。彼が対話していたのは他ならぬモーツァルトだった。それ以上何を求めるというのだろう?これ以上の話し相手、友人、告解の聴き手はいるだろうか?
〇ミーハ(個人的、最も寄り添えたキャラクターです)
シェンゲリ先生との出逢いもあり、文学に心酔する。幼いころから詩を書き続ける。すべてを包みこむような温かい心を持つ。ユダヤ人でありながらもロシア人であることに誇りを持ち、ロシアを愛する。
とても思いやりがあり、人の苦しみに限りなく共感することのできる実にしなやかな心に恵まれていたのである。だから彼の持つそれ以外の性質は、全てこの「全世界への憐れみの心」の前に屈してしまうのだった。
ミーハはかっとなった。彼は不公正に対して激しく反応した。生理的なまでに。こめかみがズキズキと鳴り、ひとりでに両の手がこぶしを握っているのを彼は感じた。
「僕はあらゆる人々に対して、全てのことに申し訳なく思っている。」
「詩は死なないよ。詩には言葉がある、しかもそれはロシア語なんだ!僕は詩人だ、才能はないかもしれないが、でも詩人なんだ。僕はロシアなしではダメなんだ!」
<ミーハが書いた詩を1つ紹介>
いつか白昼の鮮やかな光のもとで
未来が私の信条を照らすだろう
私も人々の中にあり、あなた方を裏切りはしなかった
決して。友たちよ。私のために祈りを。
その他
〇アリストテレスが定義する友情
友情とは人間特有の事実であり、その説明と目的は、経験存在の枠を超えた先験的善や自然の法則に頼ることなく追求しなくてはならない。
すなわち、友情というのは自然に規定されたものではなく、何の目的もなく、その本質とは、自らの経験や思想、感情を分かち合うべく親しい魂を探し求めることにこそあり、そしてついには「自らの分身のために命を投げ出す」までに至るのだ。
〇幸せをかみしめる場面
本やレコードに埋め尽くされた自分たちのささやかなアパートの夜の沈黙の中で、温もりの中で、満ち足りた中で、2人きりで過ごすことは、彼らにとって幸福以外の何物でもなかった。
〇ソ連の"変な感じ"を説明する場面
「ソ連の、というか、ロシアの社会構造っていうのは本当に驚かされるよね。どこで密告されて、どこから救いの手が差し伸べられるのか全くわからないし、一瞬のうちに役割が入れ替わるんだ。」
〇本書を読んだことで、読みたく(&飲みたく)なったもの
ウリツカヤの「ソーネチカ」
トルストイ「戦争と平和」
パステルナークの詩
ブロツキーの詩
ジョージアのワイン
以上です。
是非ご一読ください!