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ほうとう
昨日、暇について書いているうちにどこかへ「移動」したくなった。
さあどこに行こうかと寒々とした部屋で考えていると温かいものが食べたくなった。「何を食べようか」ではなく「どこに行こうか」と考えているだけで食べ物が頭に浮かんだのはよほどお腹が減っていたのか、部屋があまりにも寒かったのか、それとも移動することの意義を食べ物に求めているかのどれかだろう。すべてが複合的に混ざった状態ということもありえる。あまりに暇なときというのは、しばしばこのように、悲しいほどにどうでもよいことまで考えようとするのだなと思った。
とつぜん、「ほうとう」が目の前にあらわれた。比喩でも幻でもなく、食べたことがないので確証が持てないはずなのだが、「これは本当にほうとうだ」と確信した。エアコンを付けていない部屋で鼻水を垂らしながらPCをカチャカチャしていた僕の身体と手は完全に冷え切っており、突如として眼前に出てきたそれに顔をうずめてしまいたいと思った。今なら部屋でひとり、やってやれないことはない。それでも、いくら他人の目がないとはいえ、生きるなかで身につけた羞恥心と少しばかりの知恵がその行動を拒否させると、僕は温度も気にすることなくお椀を手に取り、汁を喉奥に流しこんだ。熱さのあまり、味を感じる余裕もないまま熱い液体が喉をとおりすぎて胃に到達するのをじっと待った。、喉から胃にわたって熱の余韻が広がっていくのを感じる。ふうっと息をついた。箸を手に持ち、お椀上に顔を浮かべている平べったいきしめんのような独特の麺をつかむ。箸に引っかかった麺の一部が握力を使い果たしたのだろうか、だらしなくお椀にすべり落ちていく。生き残った麺をこれ以上ふるい落とさないよう、慎重にゆっくりと口に運ぶ。乾燥でカサカサしてところどころ切れてしまっている唇を気にすることなく口を大きくひらいて、それらの麺を迎え入れた。今度は口内でゆっくり噛みしめていく。舌の上で味わおうとする。あれ、味がしない。何も感じない。甘味、苦味、旨味が脳神経に伝わっていかない。そこにあるのは熱だけだ。おかしい、なぜだ。
というところで目が覚める。よし、行き先は決まった。