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スイカ割りに思う、「聴く」を学んでよかったこと(後編)
リスナー研修生のゆき@埼玉です。8歳男の子、5歳女の子がいます。今日は「スイカ割りに思う、「聴く」を学んでよかったこと」の後編です。
一年前の自分だったら、そこにスイカがあっても「うちはスイカ割りどころか、だれにも果物をむいてもらえなかったんだっけ。果物なんてつまらない」という過去の残念さや孤独な気持ちでいっぱいになるか、いろんな気持ちに蓋をして、遠慮してスイカを受け取れない自分だったかもしれない。でも、今はそれを越えて、自分がスイカを受け取ることができて、家族と、さらに近所の人ともつながってスイカを分かち合う選択ができるようになった。
マンションの棟と棟の間の歩道の端にレジャーシートを広げ、スイカを据えると、子どもたちが歓声を上げて我先にと、棒を取り合って、スイカを叩く。振り下ろした棒がズッとスイカにめり込んで、スイカの重みで、ざっぱ。とゆっくり割れた。スイカと子どもたちを見守る大人たちに目をやると、その中に交じる小さな自分を見つけた。ずるい、うらやましいって泣いていない、一緒にニコニコ笑っている小さな自分。私と顔を見合わせて、「スイカ割り最高だね」って言ってくれた。「本当、最高だね」って返事をする私。かわいそうな自分、という気持ちは消えていた。
ずっと、お母さんが果物を切って出してくれる友達の家がうらやましかった。結婚してからも自分の家族に果物むくたびに、美味しそうに食べる子どもたちを見て嬉しい気持ちと、昔を思い出してさびしい気持ちが同居していた。
聴くことを学んでからは、心の中で思い出した小さな自分と美味しいねって食べているような日もあった。すると不思議と、この、家族で美味しいね、って食べていた日は、過去にもあったかもしれないなあと思えるようになっていった。
そしてスイカ割りを眺めていた時にも思い出した。「値引きシールの貼ってあるカットスイカはスーパータジマのがいちばん美味しい」って言いながら、実家で家族みんなでスイカを食べた日があったことを。
「食べ物を粗末にするな、もったいない」って怒られる場面しか想像できなかったから、昔の自分はスイカ割りなんてやりたいとも思わなかったし、思いついても口が裂けても言えなかっただろうなとも思う。でも、果物への敷居の高さ、食べた時の特別感は、食いしん坊の私の身体に染みて刻まれていて、今も口に入れた時にふと思い出し、あの時の想いとともに味わうことができる。私も、かけがえのない、私だけの家族と果物の思い出があったんだ。いい、悪い、じゃない。思い出せなかった思い出が、私にもちゃんとあって、思い出せたこと。
思い出がある。それだけでいい と今、思えるのは、私にとっては、「あの家族に生まれてよかった」と同じこと。
(2021年8月24日の記事より)
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