詳細クラッシュレポート01

2022年7月頃

 わたしは人から頼まれたことをできる限り了承するようになっている。しかし、今回の場合は断る材料が用意されていて、しかも、頼まれごとの内容に嫌悪感を感じている中、それでも私は引き受けた。これが此度の故障の原因である。

 状況を説明する。
 頼まれたのは端末室の管理補佐である。授業の終了後から19:30まで勤務となるその業務は謝金がでるものの、帰宅時間が遅くなり、夕飯の支度や課題の消化、研究もできなくなる。本来は2週間に一度ほどなので気にすることはないのだが、この出来事の前週の火曜と金曜に勤務を終えたばかりであった。頼んできた彼はやむを得ない理由で勤務できなくなり、同じ業務を担当している私を頼った。つまり彼に非は無い。
 そして、私はいつも通りの発泡スチロールのような笑みを浮かべながら了承した。悩んでいる風にも見せず。別の業務と30分、時間が被っているにも関わらず、私は了承してしまった。
 彼が去った後、わたしは後悔した。これでまた、台所の食器は溜まってしまうし、スーパーの総菜の空き容器も増える。特に好きでもない油気の多い食事で空腹をしのぐのだろう。だが、これを引き受けるのがわたしのしたい生き方だ。

 業務を終え、歩いて帰路に就くと雨が降り出した。本来の帰宅時間には降っていなかった雨が。それは段々強くなり、土砂降りとも言える強さに達した。傘は持っていなかった。服が重くなり、体温が下がるのを感じた。思考も暗くなっていった。
 この生き方を続けていて、今回のように損をすることもある。本来の予定は大きく狂い、普通なら体調を崩すような目に遭った。別に損得で生きているつもりは無いが、この時のわたしは完全に被害者意識を持っていた。私自身それに気づいていてそこから不快さを感じていた。自ら笑顔で引き受けたくせに後悔して被害者面している自分を許すことはできなかった。
 その日は結局、何も食べずに寝た。

 翌日、特に寒気などは無かったが、ひどい嘔吐感に襲われていた。それが、自責からくるものだと、20年間の経験からわかった。吐きそうなのではなく、吐きたいのだとわたしは知っていた。呼吸もおかしい。横になっていないと息があがる。わたしは2日学校を休んだ。

 今回の故障は、自らの人生の指針に疑問を持ってしまったために起こってしまった。2日考えたが、特に意味は無かった。どうせ、今更周りと同じようには生きられない。それこそ私が許すわけがない。
 綺麗に生きたいわけではないが、自分が醜悪だと思う生き方はしたくない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?