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ハノイから世界を斬る3:国別コロナ対応策 合理主義の米国・ブラジル・インドと情緒主義の東南アジア諸国と日本
欧米諸国に比べて、日本のコロナの対応について多種多様な意見があるかもしれないが、結果的には、下記の図で国民性を理解できるであろう。
コロナ犠牲者数×GDP増減
垂直の軸は、犠牲者の数。水平の軸は、GDPの変化である。国旗の大きさは人口を表した。
つまり、米国・ブラジル・インドは、マクロ経済としての国全体を重視して、一人の命を重視しなかった。かなりの格差社会でもあるので、残念ながら貧困層の悲劇が多かったに違いない。つまり、合理主義。
一方、日本や東南アジア諸国においては、一人の命を重視したため、マクロ経済としての国全体の成長の優先順位を下げた。つまり、情緒主義。
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情緒主義の日本の選択
日本は、国力という抽象度が高い部分よりも、目の前の人命を重視したためGDP減少に陥った。つまり、皆で貧しくなることを選択したのである。個人志向よりも集団志向が強いアジアの国民性ならではの選択であろうし、日本人としては納得である。一般論ではあるが、日本人は、助けてあげたいという気持ちが先行するものの、実際の行動に移す前に「躊躇い」がある。この「躊躇い」は、日本文化の大切な一面ではあるが、対応を遅らせたのも事実。
一方で、リーダーシップを発揮した地方の都道府県知事などもいるが、集団主義の日本人や日本メディアは、逸脱したリーダーに対して、冷めてしまったり、揚げ足取りをしてしまう傾向がある。そのような中で、皆の話をきちんと聞くリーダーが出てきたものも必然なのかもしれない。