公平性へのアプローチ
ワクチンの接種、リモートワーク、オンライン学習、自粛への協力金、公平性が問われる問題が続出している。
公平というのは、均等や一律だろうか。重症化のリスクが大きいのは、高齢者という観点から、ワクチン接種は高齢者から始まった。治療や救命の最前線にいる医療従事者も優先接種の対象だ。
優先的なものがあるなら、公平ではないと考えることもできる。オリンピック出場選手の優先順位を上げることに反対の人もいる。理由は不公平だからだ。首相や閣僚、知事も優先ではない。
事情が異なる人々を一律に扱うことが公平だろうか。国民全員に給付金を支給するのは公平だった。しかし、反対意見は不公平だと言う。公務員や政治家にも支給するのはおかしい。収入が減少していない人も受け取るのはおかしい。
緊急事態宣言も全国一律から地域ごとになった。事情が異なるなら、事情に合わせて対応する。
オリンピック出場選手には、外国人と交流する機会があり、他の国民より感染リスクが高い。国際交流を予定していたのは、スポーツ界だけではない。学術的な国際会議や学会、国境を越えてアーティストが集うイベントは数多くある。映画祭やフェス、ワークショップ、キャンペーンなど文化的な行事や社会的な活動もある。これらすべてを中止や延期にして、スポーツを最優先にするから不公平と言われる。国際交流すべてを解禁できない中で、五輪開催を優先することになる。
国民的合意が必要だ。一方で、オリンピック招致の段階から税金が費やされている。税の支出は政治決定だ。スポーツ界の資金で運営される大会ではなく、国民と都民の税金で開催する。すでに開催は、合意されて支出が決まっている。決まっていることを止めるには、やはり政治決定が必要だ。
人流を抑制したいから、生活に関係ないことは控えるべきだと言う。不要不急ならやめようと呼びかけられる。不要不急の基準は明確ではない。飲食店ばかりに休業要請が出されるのは、誰もが食事の際はマスクを着用しないからで、マスクをしない食事中の会話は飛沫感染の原因になる。
高低差がある場合、山に合わせるべきか、それとも谷に合わせるべきか。
山を削って谷を埋めるのが公平なのか、山は削っても谷を埋めず、谷と同じになるまで削るのか、問題は谷で、山と同じになるように盛るのがいいのか。
自分だけ自粛するのはストレスだ。だから自粛警察が登場する。自分の自粛レベルを標準にして、他も見習うように求める。自分だけ要請に従うのは嫌だ。不要不急の外出や外食は、感染拡大を防ぐためには控えてほしい。街頭でインタビューに応じた方が言う。自分は必要最低限の外出で、今日もやむを得ず出てきた。テレビの向こう側の理解は得られない。
リモートワークが推奨されている。助成金もある。優れた取り組みだからみんなやろうということだ。山に合わせることになった。導入しないという選択肢は消された。オンライン学習も同じ状況にある。導入せよの号令が出た。成功事例が次々と紹介されている。後発なら見習って追いつくしかない。
ところが、追いつけない状況下にある人もいる。うちではできないよ!どうしてそっちが標準なんだ。できる人とできない人がいるとき、どちらに合わせるのが公平なのか。できない人がいるから推進しなくていいのか。なぜできないのかを把握して助けるべきなのか。
最善か、次善か。
未知と未曾有の中で、どうすべきか。
短い時間で判断して前進するとき、選んだ道は最善とは言えないことがある。何もしないより、何かをするということを選ぶとき、不公平が生じる。状況の悪化が止まらないなら、様子を見ている場合ではなく、何か決めなければならない。何もしないという選択肢を選べなかったことを責めることはできるだろうか。
両立できない2つの選択肢がある場合、片方を選べばもう一方を失う。トレードオフの関係がある。吟味すればどちらかが選べるという問題ではない。人流の抑制か、雇用の維持か。青春か感染か。両立できないから必ず不公平が生じる。
必ず生じる不公平への対応は、どうすればいいか。不公平が生じてからではなく、事前の対応が求められる。決定までの過程をオープンにして、判断のために何を用いたのかを明らかにしておく。必ず生じる不公平があるということを前提にして動くということだ。機会が平等であれば結果の不平等は受け入れられる可能性がある。
哲学者や思想家の名前を出さずに考えてみた。