見出し画像

母さんが一人の老人に変わる時

90歳を越えて迎える毎年の誕生日は、どんな気持ちだろう。
先週末、母の子ども3人(皆、60を越えていますが)に囲まれて、91歳の誕生日を迎えた母は口数も少なく、穏やかに座っていました。

「母は老人になったんだ」と私が感じた日は、母が75歳頃だったと思います。突然、母をそれまでの頼れるお母さんではなく、老人なんだと認識しました。そんなふうに見方を変えないと受け入れられなかったのです。寂しかったです。

母は幸い大病もせず、認知症もなく、血圧が高い以外は健康です。91歳でも、庭の花を育て、夕食は自分で作ります。

そんな元気な人でも、75歳の頃、母は老人になったんだと、私は自分に言い聞かせる必要がありました。そう思うことは寂しいことでしたが、少しラクにもなりました。

一旦そう思ってからは、母は私が慈しむべき相手になりました。それまでも母のことは大事に思っていましたが、母が「お母さん」ではなく「老人」になったと認識してからは、老人の母に対してどう接するべきかと考えるようになりました。

私は彼女の娘であり、私にも娘がいます。娘もまた、私のことを「老人」と捉える日が来るでしょう。

91歳の母の気持ちは私には想像できません。
60歳を越えた3人の子どもを目の前にして、みんな元気に育ってよかったと母は言います。心配することもなくよかったねと。

本当は3人3様に、ただならぬ心配をかけてきました。全部、忘れちゃったのかな。

91歳の母の気持ちは想像できません。いつも、私たちが想像できないところに母はいます。
ただ来年もまた兄弟そろって、お祝いできればいいなと思います。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?