![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/158533784/rectangle_large_type_2_0d8618ba212ebc2d07c95f91e292f64c.jpg?width=1200)
打ち込みの「生っぽさ」について
DTMでよく打ち込みテクニックとして「生っぽさ」「人が弾いてる感じ」を出すというのがありますが、私としては、制作において「生っぽさ」は一切考えていません。ベロシティも変えず、タイミングもグリッドに沿ったままです。
打ち込みテクニックで単に「生っぽさ」を出すこと自体がナンセンスだと考えているからです。
どういうことかというと
生っぽい=良い曲
ではないからです。時間をかけて細かなニュアンスを生演奏っぽくしたからと言って、それが本当にその曲の魅力が向上するのか?その時間を他に使った方がクオリティが上がったのではないか?考えてみる必要があります。
生演奏とは、人間が演奏することを指します。演者にも上手い人、下手な人がいます。生演奏なら人間味が加わって無条件に良い演奏になるわけではありません。
むしろ、人間は練習の際にメトロノームを使い、テンポをキープするよう細心の注意を払って練習します。目指しているのは狂いのない演奏のはずなのです。
その点で言えば、打ち込みは完璧です。今のDAWとソフトシンセではグリッド線に合わせれば基本的に発音に狂いは出ません。ならば、ジャストタイミングで曲を作るほうが理にかなっているはずです。
それなのにわざわざ人間らしさを出そうと完璧なタイミングの音符をズラすという行為に、本当に意味があるでしょうか?
私にとっての演奏のニュアンス付けとは「生っぽく」するためではなく、強弱の流れを作ることで「良い曲」になることを目標としております。だから結果として「生っぽさ」を出すような処理をすることがあっても、それ自体が目的ではないのです。
良い曲の演奏は上手い演奏であったりしますが、上手い演奏が必ずしも良い曲になるわけではないのです。
目的と手段を履き違えないよう、音楽制作の際は曲を良くするために本当に必要なことはなにか、良く考えましょう。