【占星術の歴史】古典占星術とモダン占星術の違いとは?
普段、我々が目にする雑誌の「12星座占い」が、20世紀以降に作られたモダン占星術だという事は、実はあまり知られていません。
紀元前から1600年代まで栄えた"長い歴史を持つ"のは、実は古典占星術で、モダン占星術とは別物なのです。
では、占星術にはどんな歴史があり、モダンと古典では何が違うのでしょうか。
古典占星術の歴史
占星術が組織的に使われていた事を示す最古の記録は、紀元前1600年頃のバビロン(※古代メソポタミアで勃興した「バビロニア帝国」の首都)の「アンミサドゥカの金星粘土版」です。※ただ、複製とも言われています。
実は「アンミサドゥカの金星粘土版」よりも更に古い、エジプトのピラミッドが建設されていた頃(アガデ王サルゴンの時代)には、すでに占星術は政治に活用されていたことがわかっています。
そしてバビロンには、50以上の神殿があり、三位一体で黄道帯の支配者であるシン(月)、シャマシュ(太陽)、イシュタル(金星)が祀られていました。
しかし我々が考える「占星術」とはシステムが違っていたよう…。現在の占星術の根幹となる、サイン(12星座)とハウスのシステムが確立されたのは、実はヘレニズム期(紀元前323年〜紀元前32年)に入ってから。
紀元前331年に、アレキサンダー大王の征服により、ギリシャ文化とオリエント文化が融合し、12星座(古代メソポタミア文明起源)と、ハウス(古代エジプト文明起源)が融合し、現在のような基盤を作ります。
そして占星術最古の書物は、紀元前10年頃の「アストロノミカ」で、叙事詩体(詩)の書物です。
これは天文学的な理論を用いたものではないものの、チャートの技術を用いている事から、「最古の書物」とされています。
そして紀元前5年頃のバビロニアで、「春分点」が考案。これはシルクロードを通り日本にも伝来し、二十四節気の他、あらゆる占いの基礎を作ります。
そして2世紀頃、天文学者・クラウディオス・プトレマイオスによる、天文学的な理論を用いた書物、「テトラビブロス」が登場。コペルニクスの「地動説」まで、大きな影響を与えることになります。
この「アストロノミカ」から「テトラビブロス」までの約150年間に、占星術は急速な発展を遂げた事がわかっています。それは何故なのでしょうか。
実はアレキサンダー大王の占領後、アレキサンドリアには、約70万冊もの蔵書を誇る、アレクサンドリア図書館(古代における、最も重要な図書館)が建設され、誰でも無料で勉強ができたというのです。
ここではプトレマイオスの他に、ヴェティウス・ヴァレンスといった著名な占星術家たちも活動拠点にし、(占星術以外にも)様々な学問の発展が起きました。
そして2世紀に入り、ギリシャで発展した占星術の技術は、ペルシャ(現在のイラン)の占星術師達に引き継がれ、8世紀にはアラビア(中東のアラブ人が多く住む地域)に伝わって行きました。
そして11世紀に入ると、ようやく占星術のテクストはラテン語に翻訳され、1600年代までヨーロッパ全土の知的層を中心に発展。ところが、ルネサンス期に入り大事件が勃発します。
そう、コペルニクス(1473~1543)が、地動説(1543年)を提唱し、中世までの「キリスト教的宇宙観」が崩壊。また「天動説」がベースである占星術の「学術的な根拠」も崩壊してしまうのです。
モダン占星術の誕生
天文学者・ガリレオ・ガリレイ(1564〜1642)が、観測により地動説を実証し、ニュートン(1642〜1727)が「万有引力の法則」で証明すると、知的層は占星術に見向きもしなくなります。
(な〜にが占星術だよ)
(もうアイツも終わりだな…笑)
占星術「………。」
学問として否定される事になった占星術は、(完全な消滅は免れたものの)権威を失い、表舞台から姿を消してしまうのです。
……そして時は流れ、1848年アメリカ。
ハイズヴィルに住むフォックス姉妹が、「霊と交流できる」と告白し、全米で一大心霊ブームが起きます。
これはあっと言う間にヨーロッパにも波及し、社会現象となるのですが、まさかこれが、占星術復活のきっかけになろうとは…。
実はこの頃(奴隷解放運動の頃)、権威主義的な思想や体制に否定的なムードが漂い、より「人間中心」「理性中心」のモダニズム(近代主義)が盛り上がり、キリスト教に代わる「新しい心の拠り所」が必要とされていました。
ここにスッと入ったのが、心霊主義(オカルト・スピリチュアル)で、心霊主義に影響を受けたのが、神智学(現在のスピリチュアルの走り)でした。
その神智学創始者・ヘレナ・P・ブラヴァツキーに信頼されていた人物に、アラン・レオ(1860 〜1917)がいました。現代占星術の父と呼ばれる、占星術復興の立役者です。
彼は神智学協会会員でもあり、心霊やインド神秘思想にも精通していた人物で、学術的な根拠を失った占星術に「霊的な進化(精神世界)」という視点を加え、大胆に復活を試みたのです。
これがいわゆる、12星座占いで有名な、モダン占星術の始まりです。
「え?」と思われそうですが、当時は知識層もオカルトに夢中になっており、交霊会ブームが起きていました。
ヒトラーでさえチャネリングで動きを決めていた「びっくり」な時代だからこそ、占星術は華麗な復活ができたのかもしれませんね。
古典とモダン「技術的な違いとは?」
ここまで軽く歴史を振り返ると、占星術には「学問重視」の古典占星術と、「精神重視」のモダン占星術の2つが存在している事がわかります。
では、技術面は?というと、やはり全く別物。私たちが「占星術」と認識しているものは、「モダン占星術」を指しています。
では一体どの部分が異なっているのか?
まず決定的に違うのは、古典占星術は「惑星を重視」し、モダンは「12星座(サイン)を重視」しています。
例えばモダンでは、「獅子座さんは〜射手座さんは〜」と表現する方もいますが、星座(サイン)は単独で存在しているものではありません。惑星の「表現手段」が星座(サイン)の役割です。
単独で存在しているのは「惑星」で、惑星が主体的に動き、環境は「ハウス」が、表現手段は「星座(サイン)」が決定し、どことリンクするかは「アスペクト」や「ルーラー」で見ます。
ですから、12星座占いが当たらないと思うのも当然の話です。筆者もそう思っていました。占いの中でも特に占星術が一番当たらない。ほとんど創作ではないか?と。
ただそもそも、12個に人間の性格が分けられるはずがないですよね。これは簡易的なシステムで、本来は10惑星で見る「複雑」なシステムだと知り、妙に納得しました。
そして世界観も大きく異なっています。
古典占星術は政治、経済の問題に答える、男性が気になる「社会の出来事(マンデン・ホラリー)」を担当し、モダン占星術は、女性が気になる「性格分析や相性占い(ネイタル・シナストリー)を担当しています。
そして古典占星術は、7惑星(太陽・月・水星・金星・火星・木星・土星)で鑑定し、モダン占星術は、天王星・海王星・冥王星を入れた、10惑星で鑑定します。
また古典占星術は「運命は変えられない、外の世界を受け入れて生きていく」といった、自由意志がない時代の人々を助ける意味合いが強く、モダン占星術は「運命は自分の力で変えられる、人生は自分次第」といった、自由意志がある時代を”どう生きるか”に答えてくれます。
また鑑定方法も異なり、古典占星術は「あなたの惑星は○○点です」といった、細かい評価のルールが定められています。ですから、占い師次第でコロコロ内容が変わったり、勝手な創作は(原則的に)不可能で、技術も難解で難しく、習得には時間がかかります。
逆にモダン占星術にはルールが何もなく、占い師次第でコロコロ内容が変わることは普通です。良く言えば感性重視で、どんな悪い部分もポジティブに解釈することができます(古典は悪い評価は悪いとし、ポジティブな評価はできません。リセプションで改善点を模索する位です)
古典占星術の復興の動き
そして時は流れ、占星術にユング心理学を取り込んだのが、現代占星術界で最も強い影響力を持つ、リズ・グリーンです。
彼女は占星術に自己理解、自己成長の視点を加え、「オカルトやスピリチュアル」という怪しい占星術のイメージを、本来の学問に戻した人物です。
やがて90年代に入り、「占星術はスピリチュアルやオカルトではない」というムードが強まり、「古典占星術復興」の動きが出始めます。これは、ウィリアム・リリーの書籍が復刻されたのを機に始まったようです。
そして1996年、「ハウスにはハウス本来の意味や歴史があり、サインとは関係ないのでは?」という指摘とともに、デボラ・ホールディングが「ハウス 天空の神殿」を発売。モダン占星術の「ハウス」の問題に切り込みます。
こうした西洋で始まった古典占星術復興の動きは、日本では2010年代に到来。占星術研究家の河内邦利さんが、日本で殆ど馴染みがない「リセプション」を紹介し、ジワジワと注目が集まるようになりました。
おわりに
どうでしたか?占星術には古典とモダンがあり、複雑な時代背景に翻弄された歴史があることがわかりますよね。
しかし、そのおかげで(?)、古典占星術はタイムカプセルのようにしっかりと残り、またモダン占星術は誰に忖度する事もなく、古典にはなかった技法を生み出し、より占星術に広がりを生み出しました。
古典とモダン、どちらが正しい、どちらが優れていると言う解釈ではなく、用途によって使い分ける事で、より複雑な読み解きが可能となったのです。
今回は「古典とモダン」をテーマに、占星術の記事を書いてみました。最後までお読みいただき、ありがとうございました。